Tuesday, May 29, 2012
聖書の解釈と科学
神戸海星大学『研究紀要』第38号(1999)
聖書の解釈と科学
A・ボナツィ
I. 歴史的的展望
J・B・ボシュエやG・B・ヴィコに見られるように、一七世紀から、聖書に関する解釈をめぐって解釈学の必要性を感じさせる引き金となったのは「歴史意識」の目覚めである。[1]「歴史意識」とは聖書その他の文献がすべてある過去の一時代に生きた人々によってその時代の何らかの特定の目的のために書かれているという理解であり、それらを正しく解釈するにはそれらの書かれた歴史的背景を知らなければならないという問題意識である。この問題意識は「様式史批評」 (Formgeschichte)、「史的批評」(Historical
criticism)の方法の発達と共に、今では聖書解釈に携わる者が持つべき必要条件の一つとなっている。文献を中心において、「解釈する側」と「解釈される側」を区別してこの問題意識を分類するならば、聖書の解釈をめぐっての「歴史意識」は主に「解釈される側」の歴史性に関する問題意識であったと言える。
しかし、また一方で、解釈学上のもう一つの問題である「解釈する側」の歴史性が歴史学の分野において問題として指摘され始めた。一七世紀以降、解釈学と並ぶ形で発達したのは科学としての歴史学であるが、歴史学の中核をなすものは歴史資料の解釈である。科学としての歴史学は、あるがままに歴史を理解するには、歴史を解釈する者が、すでに持っている偏見や前理解を払い去った状態、J・ロックの「白紙」(tabula rasa)の状態で、歴史の解釈にあたらなければならないという主張のもとで、「解釈される側」ではなく、「解釈する側」に関する問題を中心においたものである。なぜ、このように移行してきたかと問うならば、解釈という行為は解釈されるデータを軸に「解釈される側」と「解釈する側」がその題材に関する理解において一致することによって成り立つ行為だからであると言えよう。
しかしまもなく、この立場が含んでいる大きな問題が指摘されることとなった。つまり、歴史学者がいくら偏見や、前理解を捨てたと言ったところで、その歴史学者が生きている時代を支配する考え方から抜け出すことは不可能である。[2]だれもが、なんらかの前提を持っている、しかしその前提がどのようなものかを明らかにしようと努めることによって、理解や解釈を始めようとするその最初から、間違った前提を少しづつ取り除くことが可能になるのである。理解・解釈に影響を及ぼす前提を制御する方法とは、つまり解釈の行為を行いつつ、そこに働いている前提はどのようなものかを明かにするよう、対象事項の内容に対して払う以上の注意を、自らが持つ前提の性質に対して向けるという方法である。
次に、解釈者の持つ前提を明るみに出した後に、どの前提が正しく、どの前提が訂正すべきかということを判断する「基準」について問題となる。そのためにここで解釈という行為の性質について自然科学と人文科学の研究対象とするものの違いを通じて述べる必要がある。
I,1 科学論の幾つかの基本概念について
自然科学と人文科学の違いをその対象物に関して一言で述べるならば、自然科学の対象物(これらを「自然事項(natural things)」と呼ぶことにする)はその存在が人間の理解判断に依って成り立つものではない。一方、人文科学の対象物(「人間事項(human things)」と呼ぶことにする)は、そのほとんどが人間の理解と判断によって存在するようになったものであるということである。[3]
二対一の割合で水素と酸素が化合して構成されている物質を我々は「水」と呼び、化学式では「H2O」と表しているが、水が存在するのは人間がその存在を望んだからではない。それは人間がその存在に気づく以前から存在しており、それが何であるかということについて人間が問いをかけその構成要素を理解するようになり、人間がその性質についての理解を得たからといって、その構成要素に変化が生じたわけではない。人間は水なしに生きられないにしても、水は人間の存在に頼る事なく存在している。
一方、人文科学の対象とする物(例えば:学校、習慣、経済、文学など人間社会、あるいは人間生活に関わって存在するもの)はその存在を人間存在、特に人間の認識行為に基づいており、人間の理解、判断が発展、成長する、あるいは沈滞、誤解が起こるごとに発展、成長し、あるいは後退、消滅するという性質をもっている。
「火」とは「存在するもののすべてがそれによって構成される四要素の一つ」としたアリストテレスに対して、十八世紀になってその誤りが指摘され、その変わりにフロギストン(phlogiston)の理論が生じた。[4]この理論によれば、火とは物体中にあるフロギストンという要素を抜き出す過程に起こる現象である。さらにこの理論の弱点がA.L.Lavoisierによって訂正され、この段階において、火とは酸化(oxydization)過程の一部であることが理解されるようになった。
ここで指摘すべき点は、火についての「理解」が時代を経るに従ってに訂正され、発展していったにもかかわらず、火の「実体」には何の変化もなく、昔と同じように燃え続けてきたという事実である。これと異なり人間についての理解が異なると共にその性質そのものが変わってしまうのが人間事項である。例えば、同じ「宗教」という語句にに含まれる古代キリスト教と現代日本仏教が、ある程度の共通した性質をもっているとしても、なぜ異なり、個性を持っているのかということになれば、それは、「宗教」というものの存在の基礎を人間の認識においているからであろう。故に、宗教の役割、意味、働きなどの在り方について人間の理解に発展あるいは沈滞があれば、「宗教」にも発展(沈滞)が見られることになる。人間事項の持つこの性質こそが「歴史性」の基礎をなすものである。「解釈」という人間事項の在り方も、解釈する人間の理解、判断によって左右されるとなると、解釈の性質についての研究は人間認識の性質についての理解に基礎を求めなければならないことが明かである。そして、認識行為の構造を理解することによって、認識行為が古今東西すべての人間に共通する普遍的なものか否か明らかにされるのである。つまり、人間の理解は時と共に、また場所によって、絶えず変化していくから、人間の認識行為の性質や構造を問わなければならない。
I,2 人間認識に関する三つの問い
人間認識に関する探求の歴史は長い。それはプラトンの時代に始まり他の様々な問いと絡み合いながら分化し発展してきた。今までに問われた認識に関する問いをその種類によって分類すると大きく三つに分けられるが、それらの問いをそれらが問われた時代の順にそってあげるならば、次のようになる:
①「認識行為によって我々は何を認識するのか」(古代)
②「何かを認識するということはそもそも可能であるか。もし可能ならば、認識したということをどうして知ることが出来るのか」(カント以来)
③「一体、認識行為とはどのような成り立ちを持っているか」
この三番目の問いが実証可能な方法で問われるようになったのは今世紀半ばになってからである。[5]なぜ、「実証可能な方法で」という但し書きが付くのかと言えば、次のような理由による。内容からして、①と②の問いは③の問いへの答えを前提としており、その意味では③の問いは①の問いが問われた時からその問いを通じて問い続けられ、様々な答えが出されて来た。しかし、それらの答えはひとつの共通した弱点を持っていた。つまり、それぞれの答え、認識に関する理論の正しさを具体的データにおいて実証する方法を伴わなかったことである。ゆえに、認識に関する問題は新たなな転機を迎えることになった。
③の問いに実証的に答えることによって明らかにされた認識の性質とは次のようなものである。人間認識は大きく分けて二つの種類の問いへの答えによって構成される。それは、
1a「何(what)」、「なぜ(why)」などの疑問によって導かれる質問と、
1b(「何」「なぜ」という問いへの答えが)正しいか否か(Is it so?)という質問(判断)である。
I,3 記述(description)と説明(explanation)
人間の認識は質問を発することから始まるが、問われる質問はすべて初めから同じ種類、レベルで起こるわけではない。問いは一つひとつ孤立して突然に問われることはまれであり、ほとんどの場合、一つの問いは別のいくつかの問いを前提とし、同時にまた別の問いの前提となっており、時を経るにしたがってそれらは発展し、総合され、また同時に更に細かく分化していく。そして、質問の発展に応じて理解も発展していくが、人間がまず最初に問う質問は、
イ)自分の生活に関わる「もの(thing)」と「自分」との間の関係についてである。この問いが様々な角度から問われた後に現れてくるといが、
ロ)「もの」の現象の「理由」をなす、その「もの」を構成する要素間の関係とその「もの」と他の「もの」との関係に関する問いである。
前者の種類の問いに対する答えを「記述(description)」、後者の種類への答えを「説明(explanation)」として区別すれば、「記述を求める探求(descriptive
inquiry)」は知的欲求のみではなく、それらの問いを発する人間の日常生活において必要となる、生物的、動物的、あるいは社会的欲求によって導かれる探求であり、そこに得られた理解の積み重ねとそれを共有することによって特定の文化、社会における「常識(common sense)」が構成される。
他方、「説明を求める探求(explanatory inquiry)」は、純粋に知的探求のみに導かれて、日常生活で観察される現象のレベルを越えて、「なぜそのような現象が起こるのか」を問い、ものそれ自体の性質を理解しようとするものであり、この種類の探求によって「科学」が成立する。例を挙げてみよう。
同じ部屋にある木材の椅子と金属の椅子に手を触れると、後者のほうが前者よりも冷たく「感じる」。これは、椅子と手の皮膚感覚を通しての我々の間の関係についての理解、つまり「記述」である。一方、「なぜ金属のほうが冷たいのか」と問うことによって、我々は「説明」の領域に入っていくのである。そして、「熱」とは微分方程式によって表される「温度」、「時間」、「位置」、「伝導性」、「密度」、「熱容量」の間の関係、つまり、それぞれに変化する要素(variable)の間の一定(invariant)の関係であることを把握することによって、説明的理解に達することができる。
「記述」と違って「説明」は「もの」の具体性から抽象することによって、その「もの」の成り立ちと他の「もの」との関係をつかむがゆえに、その理解が正しいと判断される限りにおいて時と場所、個人、文化、社会の独自性を越えて有効であり、説明によってこそ異文化にまたがる認識や、記述のレベルでは全く関連がなく見える状況を関連づけることが可能になるのである。しかし、この二つの種類の認識はどちらが勝り、どちらが劣るというものではなく、それぞれが別の役割を担うことによって互いに補いあっている。一方で、科学は探求する対象についての日常生活における多くの記述を前提としてこそ可能となるものであるし、また他方では、限られた範囲での人間との関わりの理解にとどまる記述は科学的な理解によって補われる必要があるのである。
I,4「実在(reality)」と「客観性(objectivity)」
上に述べた認識に関する問い①、「認識行為によって我々は何を認識するのか」の答えは「実在」であるが、この問いは「認識行為」の存在を前提としているので、その答えの内容は「認識行為とはどのようなものか」という問いに対する答えによって左右される。ここで、今述べた認識行為の構造と性質についての理論を「立脚点(position)」と呼び、これと異なった理論を「反立脚点(counter-position)と呼ぶとし、立脚点と反立脚点が、どれほど差を生じさせるかをみてみたいと思う。
立脚点に立てば、「実在」とは「有(being)」であり、「有」は知性による理解可能性の把握と、理性にかなった、つまり、正しい判断によってとらえられうるものの総体である。「実在」するものの一つの特徴は、それが、無条件の存在 (formally
unconditioned)ではなく、条件付き(conditioned)であり、事実においてたまたまその条件が満たされたが故に存在するのであるという点にある。その条件が「事実上」(virtually)満たされていることを把握するのが「判断」の働きである。そして判断によって直接観察によってとらえた理解可能性が認識者に依存しているのではなく、認識者を超越して存在することが確かめられるのである。観察が起こるために必要となる「ものの表象(image)は五官の供給するデータに基づいているが、表象を貫いて直接観察がとらえ、反省的観察がその存在を確認する「理解可能性」は五官によってとらえられるものではない。故に、「実在」の基準は五官を超えて、正しい判断が行われるか否かという点にある。もし、認識行為とは、複数の異なった機能作用の総合作用などではなく、単に目の前にある対象をよくみつめることによってのみ成り立つとする理論(反立脚点)においてはとらえられるのは実在ではなく「物体」ということになる。
立脚点に立てば、「もの(thing)」と「物体(body)」とは全く異なるものである。物体とは、知性と理性のレベルにおける質問を通じて認識される以前のものである。一方、「もの」は知性と理性のレベルにおける質問を通じて、ある一定のデータの総合関係の一体性(unity)、同一性(identity)と全体性(whole)を把握することによって認識されるものであり、「もの」の「ものたること(thinghood)」は五官によってとらえられるものではない。例えば、エレクトロンはどれほど高性能な顕微鏡を使ったとしても目に見えるものではない。その理解可能性と存在はエレクトロンとその他の「もの」との関係を理解し判断することによって認識されるものである。
"Our casual observation
of phenomena seldom reveals the causal mechanisms;
indeed, careful scrutiny of
the observable phenomena does not generally
reveal their presence and
nature. So our effort at finding causal relations andcausal explanations often
- if not always - take us beyond the realm of
observable phenomena. Such
knowledge is empirical knowledge, and it involves descriptive knowledge of the hidden
mechanisms of the world but itdoes go beyond descriptive knowledge of the
observable phenomena."[6]
第②の問いが問題とするのは認識の客観性である。「客観性」とは主体と客体の間の関係であるが、立脚点に立てば、客観性は正しい判断の持つ絶対要素に基づき、いくつかの判断の組み合わせによって到達するものである。まず第一の判断は認識者自身の「自分は認識行為を自らの内に行っている主体である」という認識者としての自己同一性(identity)の判断である。第二の判断によってとらえるのは直接観察によって捉えられた理解可能性の実在である。そして、その二つの判断をもとに、「認識者である自分」と「その実在をとらえた対象」が異なった存在であるという三番目の判断によって主体と客体との間に絶対客観性が成り立つのである。[7]ところが、もし、認識行為の意味するものが対象を「ただ良く見つめる」という事であるなら、「客観性」とは認識者(主体)と認識対象(客体)の間に空間的距離があるか否か、或いは五官によって知覚されうるかがその基準となってしまう。
過去四世紀の間に起こった自然科学の発達は大まかに分けて二つの段階を経て発達してきたと見る事が出来る。第一の段階は、コペルニクスから量子論革命(The Quantum
Revolution)までであり、もう一つの段階はダーウィンの『種の起源』(1859)から現在までである。第一段階は自然科学における探求が、その性質において「記述」から「説明」に移行した段階であるが、この段階に置いては探求の多くが反立脚点に基づいており、また、科学とは「必然的な原因を捉える事に依って得る知識」[9]というアリストテレスの定義から抜け出ていない。
第二段階は諸々の新しい発見によって自然科学が、意識されずとも、実際の研究行為の上で、アリストテレスの演繹論とその科学の定義の弱点が見いだされることによって新しい「科学」の定義が生まれ、認められるようになった。量子力学が紹介されるまで主流をしめてきた科学観によれば、この世界の事象は組織的に必然的に存在するものであり、その組織性は自然法則を理解することによってすべて解明できると考えられてきた。しかし、量子力学の発達に伴って、事象の「性質」とその「発生」とが区別され、この世界の事象の「発生」は組織的に必然的に起こるわけではなく、統計的に発生(emerge)するものであることが明らかにされてきた。つまり、ものごとの成り立ちと相互関係の説明は古典的法則を見いだすことによって得られるものであるが、その法則に沿って実際にものごとがどのような頻度で起こる、あるいは、存在するようになるかという点は古典的法則では理解されえず、それは統計的法則によるという意味である。そして、この世界の事象が古典的法則と統計的法則の相互補完によって明らかにされるという理解に伴って、この世界の存在自体が本質的に統計的であり、未知なるものの発生に向けて「開かれている」、未だ完成してはいないものであることが明らかになってきた。もちろん統計的法則の存在が意味するのはものごとの発生が理解不可能な気まぐれなものであるということではなく、逆に、組織的ではなく、統計的にしか捉えられない「ものごとの発生の偶発性」の究極的原因としての神のこの世界への絶えざる「かかわり」について自然科学の分野からの神についての新たな問いを開くことになったのである。[10]
近代科学においては古典的法則はすべて、この世界におけるものごとの発生が統計的に開かれたものであるために蓋然的(probable)であり[11]、また、なんらかの現象とそれを説明する可能性のある古典的法則との間に唯一絶対の関係が成り立たない限り、その認識には絶えず訂正の余地があり、「ほぼ確実」とは言い得ても「確実」とは言い得ない。従って現象は必然的にではなく、蓋然的に実証(verify)されるものである。[12]しかし、蓋然的にしか実証しえないということはそれについての認識がまったく得られないことを意味するわけではない。[13]
科学はこの世界に絶えず内在する「原因」としてのアルケー(avrch,)を求めるものであるということは近代科学に当てはまらない。アルケーに関する問いは近代科学においては扱われていないのである。アリストテレスの四つの原因で言うなら、科学とは「始動因(efficient cause)」と「目的因(final cause)」と「形相因(formal cause)」を探るものであるが、実際の近代科学者の探求の対象は「形相因」のみである。例えば、物理学者が取り扱う問いは「地球を含めたこの)宇宙ではいったいどのようなことが起こっているのだろうか」という問いではあるが、「この宇宙の存在の目的は何か」とか「そもそもなぜこの宇宙は存在するようになったのか」という問いではない。[14]
このように、認識構造のどの部分を正しく理解し、どの部分の働きを見落として、あるいは誤解しているかによって認識、実在、客観性についての様々の異なった理論が現れてくる。その中の主なものを挙げれば、唯物論、論理的原子論、感覚論、ポジティビィズム、プラグマティズム、観念論、相対論、概念論等を見いだすことができる。これらの理論はより以前に現れた理論の弱点が契機になって、その弱点を補うべく、あるいは、長所をさらに発展させるべく問われるようになった新しい問いに答える形で現れてきたものであり、今後もそれらの弱点の訂正と長所の発展につながる問いが出され続けるはずである。つまり、一度に完璧な認識理論が現れてきたのではなく、一歩づつながら、反立脚点の訂正と立脚点の発展という積み重ねられた過程の一部として様々な理論が現れ、これからもその過程は続くであろうということである。[15]
聖書解釈もそれぞれの時代の認識論の影響を受けながら、飽くまで「目的」、あるいは物事の「なぜ」を問う学問でなければならない。
II. フレ-ゲにおける「意味と指示」の解釈学的適用について
フレ-ゲは、固有名詞が表現する意味(Sinn)とそれが指示する対象(Bedeutung)とを区別し、意味によって指示対象の与えられ方が示される、言い換えれば意味を通じて指示対象の同定がなされる、と考えた。この考えは多くの研究者に受けいられ、後に多様な観点から一層洗練されようとしたものである。本稿の主張は、フレ-ゲの区別は論理学的もしくは科学的命題だけではなく、いかなる言述にも原則として妥当するということである。
対象指示の問題は、二つのレベルでとらえる事が出来ると思われる。すなわち意味論のレベルと解釈学のレベルである。前者は、対象指示は文を単位とする言述にのみ関係する。後者は文より大きい規模の言語現象を対象にする。言語分析の伝統において、言述理論を発展させたのは論理学者や認識論者である。彼らは時に文学批評に注意を払うことはあっても、言語学者達(ソシュ-ル等)や解釈学者(ディルタイ以降)の研究にはめったに関心を寄せない。しかし言語に関する研究は様々な局面に広がり、今や科学的言述と人文科学的研究を総括的に捉える時代になったと思われる。具体的にそれは、例えば、アングロ・サクソン系の意味論と言語学(linguistics)ないし解釈学的意味論をドッキングさせてることによって可能になると思う。
II,1 記号論と意味論
フレ-ゲの有名な「文脈原理」("Nur im Zusammenhang eines Satzes
bedeutet ein Wort etwas")によると、文のみが意味と指示作用の区別を可能にする。全体として据えられた文のレベルにおいてのみ、言われることと、それについて言われているものとを区別できる。意味と指示の違いは、次のような方程式的な定義として表わすことができる。つまり、A=Bにおいて、AとBはそれぞれ異なる意味を持っているとすれば、もしも一方が他方に等しいと言うなら、同時に、両者は同一のものを指示する、ということになる。一つの指示に対して二つの意味がある場合(アレクサンドロ大王の師/プラトンの生徒)と、経験的に指定できる指示対象がない場合(地球から一番遠い物体)とを考えたら、指示作用と意味の相異を示せることがわかる。フレ-ゲが言うには、考えるべきことは「記号と、その意味と、その指示との間の規則的な関係」[16]である。この規則的な関係とは、「記号には一定の意味が対応し、意味には一定の指示が対応するのに対し、ただ一つの指示(唯一の対象)は一つ以上の記号を許容する。」[17]というようなものである。たとえば「〈宵の明星〉の指示と〈明けの明星〉の指示とは同じであろうが、それぞれの意味は異なるだろう。」(p.103)
このように意味と指示の区別は日常言語の特徴であり、それが日常言語と完璧な記号体系とは異なるものであることを意味する。この区別は、記号論の内在性の原理(つまり記号は同じ体系内に他の記号と関係づけられ、ゆえに記号論においては、指示対象を取り損ねる問題はない)とは真向から対立する。記号は体系の内在性において、他の記号としか関係づけられないのに対し、日常言語の言述は事物に関わる。しかし、記号論と意味論の間のこの単純な対立からさらに進んでいかなくてはならない。記号と言述の二つの面は、ただ区別されるだけでなく、前者は後者の抽象である。記号が結局のところ、記号として意味を受け取るのは、言述における記号の〈用法〉のおかげなのである。記号を、記号がその代わりになるものと結びつける〈志向性 Intentionalität〉を、記号論における記号の〈用法〉から受け取るのでなかったら、記号が何かを表わす(代わりになる)ことをどうして知り得ようか。記号論は、〈記号世界〉という閉じられた領域にとどまっているというかぎり、記号論は意味論からの抽象であると言わざるをえない。[18]意味論は意味の内的構成と、対象指示の〈志向〉とを関係づけるものである。対象指示は、言語の〈自己超越〉のしるしである。言語は、文とともに自己自身から外に出ようとする。おそらく他のいかなる特質にもまして、この特質こそは、意味論性と記号論性の根本的相異を示すものである。記号論性は言語内関係しか知らない。意味論性のみが記号と、指示された事物との関係、結局は言語と現実世界の関係を求める。すなわち、言述のされるものは、述語行為を土台にして、その指示対象である言語外の現実を志向する。もちろん、対象の存在しない指示がいつもあり得るとしても、それは「意味と指示」の区別を弱めるものではない。なぜなら、対象をもたないこともまた指示の一つの特徴なのであり、それは指示対象の問題がつねに意味の問題によって開かれていることの証明であろう。
II,2 文全体の指示と単語の指示
欧州大陸の言語学においても、フレ-ゲの区別に相当する、〈能記Signifiant〉と〈所記Signifié〉[19]という区別がある。しかし、フレ-ゲの区別はまずは単語(正確には、固有名詞)に適用されるべきのにたいして、言語学の区別は文全体の意味・指示(志向されるもの)にも適用されるのである。その根本的な相違は指摘できるのである。確かに、フレ-ゲが最初に定義したのは、固有名詞の指示対象であり、それは、「我々がその名で指定する対象そのもの」である。しかし、指示の観点から見た文全体も、それが〈指示〉する事態に対しては、固有名詞と同じような役割をはたす。「或る固有名(語、記号、記号の組合せ、表現)は、その意味を表現し、その外示的意味を表示または指示する」[20]。我々が或る固有名(たとえば:月)を口にするとき、我々は自分の表象(つまり特定の心的な出来事)について語るだけにとどまらない。「我々は意味だけに満足せず」(つまり、心的な出来事に還元できるような、理念的な対象にとどまらず)、「我々は指示対象を前提とする」(ibidem)。我々を(指示対象の存在などについて)誤らせるのは、まさにこの前提である。だが誤るのは「我々のことばや思考において暗黙に含意されている意図(Absicht)」が、指示対象を要求するからである。(p. 108)この意図とは、〈真理への欲求〉である。「我々を意味から指示対象へと駆り立てるものは、この真理の探求、真理への欲求である。」(p. 109)この真理への欲求は、固有名と同一視可能な役割をもつ文全体を活気づける。だが、フレ-ゲにとってあくまでも文が指示対象をもつのは、固有名を介してなのである。「なぜなら、述語が肯定されたり、否定されたりするのは、この名の指示についてなのであるから。もし指示を認めないならば、それに述語を賦与したりも拒否したりもできない。」(ibidem)したがって、言語学者とフレ-ゲの理論の間には重なる部分がある。フレ-ゲにとって、指示は固有名から命題全体に伝達される。その命題は指示対象に関連して、事態を指す固有名となる。言語学者にとって指示対象(所記)は文全体から語へ、連辞内の細分化によって伝達される。語はその用法によって意味論的価値をおび、そのとき語は指示対象をもち、具体的な状況において、語が対応する個別的な対象である(Benveniste)。
これら二つの考え方は、相補的である。つまり、固有名から命題に上昇するか、分析的分解によって、言明から語の意味論的単位に下降するか、の違いだけである。もし名の指示対象が考慮されると、それは〈対象〉と呼ばれ、もし文全体の指示対象が考慮されると、それは〈事態(état de choses)〉と呼ばれる。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』において、この指示対象の両極性を裏付けてくれる。彼は世界を物(Dinge)の総体ではなく、事実(Tatsachen)の総体と定義する(1.1)。さらに事実を「諸事態の存立」(das Bestehen von
Sachverhalten)(2.0)と定義する。そして事態は諸対象(事物)の組合せ (eine Verbindung
von Gegeständen, Sachen, Dingen)(2.0)と主張する。こうして、世界における対象=事態の対は、言語における名詞=文の対に相当する。
まとめて言えば、言語学者達とともに、言明によって志向されるものは、記号論における「所記」とは違って、事物に、世界にかかわると認め、そしてさらにフレ-ゲにしたがって、いかなる文においても、その意味とその指示作用、つまり言語をこえた外部にむかって超越していく働きとを区別できると主張し得るであろう。日常言語では、理解は意味でとどまらないで、意味を通りこして対象指示にむかっていくのがフレ-ゲの「意味と指示」における重要な論旨である。
II,3 「発見の原理」
さて、対象指示の理論は、文よりもずっと拡大した、いろいろな面で特殊的なものとしての〈テクスト〉(たとえば、文学作品や聖書)にあてはめるとき、違った理論が必要となってくる。意味論は文から始まり、文でおわるから、この問題は意味論よりも、解釈学に属するようになる。もちろんテクストは特殊的なものであり、その諸特性は言明や文の単位での理論の中で直接に扱えない。しかし、試みとしてフレ-ゲの指示概念を再解釈してこの問題にあてはめてみることもできると思われる。
「我々は意味だけに満足せず、さらに指示を前提とする」と言うかわりに、{我々は作品の意味だけに満足せず、作品の世界を前提とする}と再定式化すれば十分に参考になる。ある作品を解釈するとは、作品の〈配置〉、〈ジャンル〉、〈文体〉から、つまり作品の構造(意味)から、作品が指示する世界を展開させることである。解釈学とは、まさに作品構造から作品の世界への移行を対象とする学問である。ただし、ここで私はロマン主義的な理論ではなくて、P・リク-ル[21]の基本理念にしたがって論じるつもりである。ロマン主義(シュライエルマッハやディルタイ)にとって解釈の最高の法則とは、著者の魂と読者の魂との「同属性」を探求することである。これに対して、作品構造から得られた意味(単文の意味と等しい)と作品の世界(文の指示に相当するような概念)との関係が問題になる。
文学的言述は、多くの場合dénotationをもたず、connotationしかもたないので、一見してフレ-ゲの理論にあてはまらないと見える。フレ-ゲは、意味を指示の方へ進ませる真理への欲求を、科学の言明に対してははっきり認めているが、文学の言明に対しては拒否しているようである。フレ-ゲは叙事詩の例をあげて、「ユリシ-ス」(Ulysses)という固有名は、指示対象がない、と主張する。「命題の意味が起こす表象や感情のみが、我々の注意をひきつける。」(p.109)つまり、科学とは異なり、芸術の言述は、「指示」なき「意味」でとどまるようである。しかし、上に述べたフレ-ゲ理論の再定式を参考に次のように言える。つまり、文学作品の固有の意味作用によって、言述の指示作用が中断されるという条件のもとでのみ、世界を発見させる。言い換えれば、文学作品では、(第一階概念と同様に)第一階の指示(first-level
reference)を中断させるおかげで、言述は第二階の指示を展開するのである。現実を「再記述」(redescription)する能力としての文学的言表にとって、字通りの指示の中断こそ、第二階指示というべき文学的指示能力が解放されるための条件である。M・ブラック[22]によると、「フィクションによる再記述」は、科学のモデルと同じ働きをし、それと同じように、現実に対する新しい発見を促す「発見の原理」(heuristic
principle)である。
[1] REIMARUS H.S., Abhandlungen von den vornehmsten Wahreiten der natürliche
Religion, 1754; Apologie oder
Schutzschrift für die vernünftiger Verehrer Gottes, 1767. SCHWEITZER A.,
Geschichte der leben-Jesu-Forschung, Tübingen
1913参照。
[2] このように指摘したのは、歴史の分野ではCOLLINGWOOD R.G., The Idea of History, Oxford, 1946、哲学においてはHEIDEGGER
M., Sein und Zeit, Tübingen, 1927; GADAMER H.G. Wahrheit
und Methode, Tübingen, 1960 である。
[4] 「火」についての理解の発展の歴史に関してはCOHEN I.B., Revolution in Science, Harvard Univ., 1985; FABER E.,
The Evolution of Chemistry, N.Y., Ronald, 1969を参照。
[5] LONERGAN, op. cit.
Philosophy of Science, Vol. XIII, 1991,
p.133.
[8] BUTTERFIELD H., The Origin of Modern Science 1300-1800 (1957),
N.Y.: MacMillan, 1965; COHEN I.B., op. cit.; HEIM K., The Transfomation of the
Scientific World View, London: SCM, 1953; LINSAY R.B.-MARGENAU H., Foundations
of Phisics (1963), Woodbridge: Ox Bow, 1981参照。
[9] ARISTOTLE, Posterior Analytics, Book A, 2.
[10] BYRNE P.H., “God and the Statistical Universe”, in: 《Zigon》, vol. 16/4,
1981, p. 346; LINDSAY-MARGENAU, op. cit. pp.188-252参照。
[12] 「実証」(Verification)と「証明」(Proof)の違いは次のような仮言三段論法で表すことができる。証明は「もしAならばBである。然るにAである。故にBである」。実証は「もしAならばBである。然るにAである。故に、たぶん(probably)Aである」、つまり「もし理論が正しければ、次のようなデータが得られるはずである。然るに、そのようなデータが得られた。故に、たぶんその理論は正しい」。なぜ、ここで「たぶん」という条件がつくのかと言えば、AとBとは互いに関係していることが確認されても、BとA以外の原因との関係は完璧に除外されないからである。Bという現象の起こる原因がA以外のものによる可能性が残るかぎり、AのみがBを説明する唯一絶対の原因であるとは言えない。しかし、研究の結果としてA以外のものによるBの原因の存在可能性が狭ければ狭いほど、「たぶん」の度合いは低くなり、「ほぼ確実」と言う判断を下せる。
[14] 近年になって、物理学の中の自然界の力(今までGravitation, Electromagnetism, The Weak Nuclear Force, The Strong
Nuclear Forceは確認されたが、もう一つの種類の力が存在するとおもわれている)について探究する中で宇宙発生の瞬間を再生する試みがなされているが、このような試みは再び、科学者をアルケーについての問いへ導く可能性がある。
[15] さらに、反立脚点に立てば、「記述」と「説明」の区別が困難になり、「記述」と「説明」が混乱すると「説明」の領域に想像の要素を混入してしまう危険が起こる。この世界が原因と結果の連続体であるという「連続体」をアリストテレスの意味で理解していればアリストテレスの「連続体」(sunech,j)はその究極のリフアランス・ポイントとして想像可能な絶対空間と絶対時間を前提としている。しかし、絶対空間と絶対時間というものの存在は未だに実証されておらず、さらに1905年にはアインシュタインが「特殊相対牲理論」によつて空間と時間の定義が想像によつて措けるものではなく、その理解可能性は五感と想像力によつて支配される記述の領域を越えなければ理解できないことを示すにいたった(PASACHOFF J. –KNUTTER M., Invitation to Physics, New York, 1981,
pp.129-150)。現在「連続体」は微積分法によって含蓄的に定義されるものであり、その理解はその定義に意味を与える「関係」を把握しないかぎり不可能であり、そこには想像可能な要素の入る余地はないのである。
[16] FREGE G., Über Sinn und Bedeutung, “Zeitschrift für Philosophie und
philosophisce Kritik”, 100, 1982: 仏訳 “Sens et dénotation”, Écrits logiques et philosophiques, Paris, éd.
du Seuil, 1971, p.104.
[19] BENVENISTE E., Problèmes de linguistique générale, Paris,
Gallimard, 1966. (岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』みすず書房、1983); “La forme et le
sens dans le language”, in: Le Language, Actes du XIII congrés des sociétés de
la philosophie de langue française, Neuchâtel, 1967, p.27-40参照。
[21] La Métaphore vive, Seuil, 1975 (伊訳 La Metafora viva, Jaka Book,
Milano, 1981. 久米博訳(抄)『生きた隠喩』 岩波現代選諸、1984参照)
Thursday, May 24, 2012
Lode del convento. Stampa Saveriana?
Volendo fare un bilancio su un materiale così effimero qual è la notizia — anche la notizia religiosa non sfugge a questa regola — c'è da dire che ci si trova di fronte ad una informazione a volte mediocre, sia che venga fatta da organi di informazione cattolica — basti pensare agli oltre tremila bollettini e rivi- ste cattoliche, ai 190 settima- nali diocesani — dove spesso prevale la lode del convento, sia che venga fatta da grandi network, dove la ricerca del sensazionalismo ha quasi sempre il primo posto.
Giuseppe Costa, Osservatore Romano, 23 maggio 2012, p. 4.
iPadから送信
Giuseppe Costa, Osservatore Romano, 23 maggio 2012, p. 4.
iPadから送信
Monday, May 21, 2012
Thursday, May 17, 2012
Sunday, May 13, 2012
神の存在証明
神の存在証明 (認識論の道)
(Bonazzi A., A Case for Pluralism in a Relativistic Environment, in: Sugiharto B.-R. Voragen, eds., Overlapping
Territories, Asian Voices on Culture and Civilization, Cambridge Scholars Publishing, 2011, 68-80, 71-75からの訳)
主体は五感を通して物事(対象)を知覚する。こういうことから主体(S)と対象(O)の関係について何が言えるのか。まず、SはOではない、そしてOはSではないと言えるだろう。主体は対象に還元できないこと。そうでなければ、主体はゾウを見るときにゾウになってしまい、無という概念を考えるときに自分を無くしてしまうだろう。さらに、OもまたSに還元されえない。対象はユニコーンのように全く想像上のものでも、ユニコーンはキメラと異なるものであり、薄いながら存在性を持ち、完全な無ではない。経験主義者に「経験主義は間違っている」と攻めると、彼はそれを却下するだろう。こうやって、「経験主義は偽である」とその反対の命題「経験主義は真である」とは同じものではないことを証明し、思考の対象は無に還元できないことは証明される。従って、対象は存在と関係があり、その存在性はいかに稀薄であっても、その関係はなくならない。
もし主体と対象は絶対的に同一(O=S)であれば、主体は自分と違うものを知覚するときに自分を無くしてしまうことになる。従って、次のように推論できる。
(1)SとOは異なっており、そうでなければ考えることは不可能になる。言い換えれば、
(2)SとOの差異は、思考するための必要条件である。
SとOは絶対的に異なったものであろうか。つまり、SはOとは、あるいはOはSと、何の共通点もないほどに、異なるのか。「絶対(absolute)」という単語の意味の幅をフルに活用する。もしMという事柄が存在し、MはSと関連をもち、そしてMはOと別の関連をもつのであれば、SとOはMという共通点をもち、絶対的に異なったものではない。SとOは絶対的に異なるようになるためには、何の共通点もなく、それぞれはそれぞれの密封の「宇宙」に閉じ込められていなければならない。これは不条理である。SとOは絶対的に異なるものではなく、共通点・接点をもっている。
当議論は、SとOを認識論的観点から扱っているが、存在論的に拡大できる。二つの事柄は絶対的に異なることはありえない。もしありうるとすれば、それぞれが唯我論的状態(solipsism)におかれることになる。全く関係のないそれぞれの宇宙になる。我々の宇宙には物事はこんなに孤立し、離れているならば、宇宙自体成は立しえなくなり、無に帰るだろう。従って、
(3)SとOは絶対的に異なることは、形而上学的に不可能である。「形而上学的に不可能である」というのは、もしそのようなことが現
にあるならば、宇宙の消滅が起こる、ということを意味する。(3)から結果として得られるのは、
(4)SとOは、同様の(same)もの、同一のものである(しかし、これはA=Aのように、絶対的に同様ということとは違う)。
(5)SとOの同様性は
(5a)存在のために (絶対的差異は、宇宙をバラバラにするから)
(5b)考えるために (絶対的差異は認識的関連を破壊するから) 必要条件である。
項目(1)[SとOは異なる]と(4)[SとOは同様である]を合わせて考えると、SとOは形而上学的対立にあると言える。さて、ここから当を得た形而上学的帰納を行わなければならない。つまり、次の設問に進む。SとOの同様性の起源は何か?例えば、同様性は完全にSからきていると仮定しよう。それならば、Oの差異でさえSから派生し、SとOの差異はなくなる。しかし、これはOは必然的にSと異なる(1)と矛盾する。従って、SとOの同様性は完全にSから出てくることは不可能である。似たような推論で、完全にOからでてくるのも不可能である。しかし(3)のゆえになければならない。従って、
(6)SとOの同様性は、完全にSからも、Oからも派生しない。従って、
(7)SとOの同様性は、SからもOからも自立(超越)している。この結論は形而上学的帰納である。つまり、SとOの形而上学的対立の必要条件としての先在する現実の肯定。それは、認識行為とSとOの差異という現実の必要条件でもある。
注意深い読者はすでに気がついたが、この結論は、物質的身体的条件から離れたマインドという概念に強い疑問を投げかける。人間のマインドは絶対的観点から世界を見、好き勝手に価値を構成するものではない。なぜなら、主体の思考は絶対的なものではなく、SとOの同様性によって条件つけられているからである。同様性は両方からも派生しないので、両方からも自立している。従って、絶対的なマインドは存在しえない。もし、絶対的な思考が存在するならば、それは主体の中に自立した同様性を吸収しなければならないだろう。つまり、同様性への依存をなくさなければならない。しかし、それは主体と対象の差異を破壊し、項目(2)に従って、思考そのものの破壊を帰結する。
人間の認識行為から得られる確実な認識に戻ろう。結論(7)はSとOという認識的関連の中で得られたが、その妥当性は認識に限る理由はない。簡単に見てみよう。もしXとYは任意な有限現実を意味するなら、それらは絶対的に異なったものではありえない(宇宙の消滅を招くから、項目(3)参照)。従って、同様的なものでなければならない。その同様性は、Xのみからも、Yのみからも派生できない(差異をなくすから)。従って、両方が形而上学的対立の中で共存できるためには、両方から自立していなければならない。従って、(7)を強めて次の結論に至る。
(8)二つの有限現実の共通同様性の先在は、それらの形而上学的対立のために絶対的な必要条件である。
我々の実際の宇宙には有限現実はいっぱいある。それらの間にたくさんの形而上学的対立が成り立っている。Xは一つの有限現実だとしよう。Xは無数の形而上学的対立に入り、他のすべての有限現実とは異なっているが、絶対的に異なっているわけではない。他のそれぞれの現実と同様でもあり、従ってXとその他の各々の有限現実の前に先在する共通の同様性がなければならない。Xがすべての形而上学的対立に共通しているので、これらのすべての対立は絶対的に異なったものではありえない。ある程度の同様性ももっていなければならない。
でなければ、Xの有限な同一性は、矛盾的にそれぞれ絶対的に異なった部品に分解するだろう。従って、
(9)有限的な物事の間にある各々の、そしてすべての形而上学的対立の必要条件として、普遍的な同様性は先在しなければならない。
これを、有限な物事からなる我々の宇宙全体の必要条件であるから、「(唯一)全体(the Totality)」と呼ぶことにしよう。もし、二つの(唯一)全体があるとすれば、項目(8)のゆえに、この二つが対立するために、より高い共通の同様性が先在しなければならない。
このより高い同様性は、本当の全体となり、唯一の全体となるだろう。従って、
(10)全体は唯一であり、それを唯一全体と呼ぶには根拠がある。さらに、
(11)唯一全体は外在的(extrinsically)には無限である。もし、全体が別の外在的現実から制限を受けるなら、より高い共通的同様性の先在を伴い、全体の唯一性と矛盾する本当の全体となるだろう。さらに、唯一全体は個々の有限現実によって制約されないように、すべての有限現実に浸透する内包的なものであると付け加えることができる。だがしかし、それは「ダイナミズム」という概念の導入であり、別論の展開に譲るべきである。最後に、
(12)唯一全体は内在的(intrinsically)には有限である。存在するために全体に依存する有限現実たちは、全体の中から全体を物語るのである。この内在的物語り方は、内的制約であり、それを「内在的有限性(intrinsic finitude)」と呼ぼう。要するに、唯一全体は、内在的に有限であり、外在的には無限である。
項目(9)に基づいて、唯一全体が有限な物事の間にある形而上学的対立のために、先在する必要な普遍的共通性であり、そしてそれとして、どのような有限な物事に還元できない、という事実から、唯一全体は各々、そしてすべての有限現実と形而上学的対立にある、と帰結する。全体は、有限現実と同一であり、それらと異なったものである。この対立を解決するために、さらなる形而上学的帰納が必要になってくる。項目(6)と(7)に似た推論によって、全体と有限現実の同様性は、全体にもいかなる有限現実にも還元できない。その同様性は、全体からも各々の有限な物事から自立していなければならない。こうして、我々は形而上学的に、さらなる現実の必然的先在を帰納する。このさらなる現実は外在的に無限である。もし、外在的に有限であれば、自己と唯一全体との間の対立を解くことはできないことになり、そして確かに有限的な物事と全体の対立を解くことはできないことになるだろう。このさらなる現実は、内在的にも無限である。内在的に有限であれば、唯一全体性の構造の反復となり、全体の唯一性と矛盾してしまう(10)。このさらなる現実を「∞Ω」(アルファ・オメガ)と呼ぶことにしよう。そしてこう結論付けよう、
(13)「∞Ω」は内在的にも外在的にも無限である。よりシンプルに言い換えれば、「絶対的に無限」である。絶対的に無限であるから、
(14)「∞Ω」唯一である。なぜなら、反復があれば、それは無限と矛盾し、制約をつけることになるから。その上に、その内在的無
限性(絶対的単純性)のゆえに、(全体のように)それに参与する物事に自らの存在を分配しないことが帰結する。
(15)「∞Ω」は全存在と一致する。そして、
(16)全体を含めて、有限現実の存在は完全に「∞Ω」の内にある。全存在と「∞Ω」のこの一致(15)は、強意の意味(∞Ω=存
在)で理解すべきであり、永遠である。従って、
(17)「∞Ω」は永遠である。これは、「∞Ω」は存在しないのは不可能である、と言い換えることができる。(16)に基づいて、「∞Ω」は各々の、そしてすべての存在者の存在であり、存在性においては他のすべての現実とは異なったものではない、と言える。従って、「∞Ω」は他のすべての現実とは形而上学的対立という関係に立っていない。そして、ここからさらなる形而上学的帰納を行う必要はない。
(18)「∞Ω」は究極的現実であり、神である。
以上
(Bonazzi A., A Case for Pluralism in a Relativistic Environment, in: Sugiharto B.-R. Voragen, eds., Overlapping
Territories, Asian Voices on Culture and Civilization, Cambridge Scholars Publishing, 2011, 68-80, 71-75からの訳)
主体は五感を通して物事(対象)を知覚する。こういうことから主体(S)と対象(O)の関係について何が言えるのか。まず、SはOではない、そしてOはSではないと言えるだろう。主体は対象に還元できないこと。そうでなければ、主体はゾウを見るときにゾウになってしまい、無という概念を考えるときに自分を無くしてしまうだろう。さらに、OもまたSに還元されえない。対象はユニコーンのように全く想像上のものでも、ユニコーンはキメラと異なるものであり、薄いながら存在性を持ち、完全な無ではない。経験主義者に「経験主義は間違っている」と攻めると、彼はそれを却下するだろう。こうやって、「経験主義は偽である」とその反対の命題「経験主義は真である」とは同じものではないことを証明し、思考の対象は無に還元できないことは証明される。従って、対象は存在と関係があり、その存在性はいかに稀薄であっても、その関係はなくならない。
もし主体と対象は絶対的に同一(O=S)であれば、主体は自分と違うものを知覚するときに自分を無くしてしまうことになる。従って、次のように推論できる。
(1)SとOは異なっており、そうでなければ考えることは不可能になる。言い換えれば、
(2)SとOの差異は、思考するための必要条件である。
SとOは絶対的に異なったものであろうか。つまり、SはOとは、あるいはOはSと、何の共通点もないほどに、異なるのか。「絶対(absolute)」という単語の意味の幅をフルに活用する。もしMという事柄が存在し、MはSと関連をもち、そしてMはOと別の関連をもつのであれば、SとOはMという共通点をもち、絶対的に異なったものではない。SとOは絶対的に異なるようになるためには、何の共通点もなく、それぞれはそれぞれの密封の「宇宙」に閉じ込められていなければならない。これは不条理である。SとOは絶対的に異なるものではなく、共通点・接点をもっている。
当議論は、SとOを認識論的観点から扱っているが、存在論的に拡大できる。二つの事柄は絶対的に異なることはありえない。もしありうるとすれば、それぞれが唯我論的状態(solipsism)におかれることになる。全く関係のないそれぞれの宇宙になる。我々の宇宙には物事はこんなに孤立し、離れているならば、宇宙自体成は立しえなくなり、無に帰るだろう。従って、
(3)SとOは絶対的に異なることは、形而上学的に不可能である。「形而上学的に不可能である」というのは、もしそのようなことが現
にあるならば、宇宙の消滅が起こる、ということを意味する。(3)から結果として得られるのは、
(4)SとOは、同様の(same)もの、同一のものである(しかし、これはA=Aのように、絶対的に同様ということとは違う)。
(5)SとOの同様性は
(5a)存在のために (絶対的差異は、宇宙をバラバラにするから)
(5b)考えるために (絶対的差異は認識的関連を破壊するから) 必要条件である。
項目(1)[SとOは異なる]と(4)[SとOは同様である]を合わせて考えると、SとOは形而上学的対立にあると言える。さて、ここから当を得た形而上学的帰納を行わなければならない。つまり、次の設問に進む。SとOの同様性の起源は何か?例えば、同様性は完全にSからきていると仮定しよう。それならば、Oの差異でさえSから派生し、SとOの差異はなくなる。しかし、これはOは必然的にSと異なる(1)と矛盾する。従って、SとOの同様性は完全にSから出てくることは不可能である。似たような推論で、完全にOからでてくるのも不可能である。しかし(3)のゆえになければならない。従って、
(6)SとOの同様性は、完全にSからも、Oからも派生しない。従って、
(7)SとOの同様性は、SからもOからも自立(超越)している。この結論は形而上学的帰納である。つまり、SとOの形而上学的対立の必要条件としての先在する現実の肯定。それは、認識行為とSとOの差異という現実の必要条件でもある。
注意深い読者はすでに気がついたが、この結論は、物質的身体的条件から離れたマインドという概念に強い疑問を投げかける。人間のマインドは絶対的観点から世界を見、好き勝手に価値を構成するものではない。なぜなら、主体の思考は絶対的なものではなく、SとOの同様性によって条件つけられているからである。同様性は両方からも派生しないので、両方からも自立している。従って、絶対的なマインドは存在しえない。もし、絶対的な思考が存在するならば、それは主体の中に自立した同様性を吸収しなければならないだろう。つまり、同様性への依存をなくさなければならない。しかし、それは主体と対象の差異を破壊し、項目(2)に従って、思考そのものの破壊を帰結する。
人間の認識行為から得られる確実な認識に戻ろう。結論(7)はSとOという認識的関連の中で得られたが、その妥当性は認識に限る理由はない。簡単に見てみよう。もしXとYは任意な有限現実を意味するなら、それらは絶対的に異なったものではありえない(宇宙の消滅を招くから、項目(3)参照)。従って、同様的なものでなければならない。その同様性は、Xのみからも、Yのみからも派生できない(差異をなくすから)。従って、両方が形而上学的対立の中で共存できるためには、両方から自立していなければならない。従って、(7)を強めて次の結論に至る。
(8)二つの有限現実の共通同様性の先在は、それらの形而上学的対立のために絶対的な必要条件である。
我々の実際の宇宙には有限現実はいっぱいある。それらの間にたくさんの形而上学的対立が成り立っている。Xは一つの有限現実だとしよう。Xは無数の形而上学的対立に入り、他のすべての有限現実とは異なっているが、絶対的に異なっているわけではない。他のそれぞれの現実と同様でもあり、従ってXとその他の各々の有限現実の前に先在する共通の同様性がなければならない。Xがすべての形而上学的対立に共通しているので、これらのすべての対立は絶対的に異なったものではありえない。ある程度の同様性ももっていなければならない。
でなければ、Xの有限な同一性は、矛盾的にそれぞれ絶対的に異なった部品に分解するだろう。従って、
(9)有限的な物事の間にある各々の、そしてすべての形而上学的対立の必要条件として、普遍的な同様性は先在しなければならない。
これを、有限な物事からなる我々の宇宙全体の必要条件であるから、「(唯一)全体(the Totality)」と呼ぶことにしよう。もし、二つの(唯一)全体があるとすれば、項目(8)のゆえに、この二つが対立するために、より高い共通の同様性が先在しなければならない。
このより高い同様性は、本当の全体となり、唯一の全体となるだろう。従って、
(10)全体は唯一であり、それを唯一全体と呼ぶには根拠がある。さらに、
(11)唯一全体は外在的(extrinsically)には無限である。もし、全体が別の外在的現実から制限を受けるなら、より高い共通的同様性の先在を伴い、全体の唯一性と矛盾する本当の全体となるだろう。さらに、唯一全体は個々の有限現実によって制約されないように、すべての有限現実に浸透する内包的なものであると付け加えることができる。だがしかし、それは「ダイナミズム」という概念の導入であり、別論の展開に譲るべきである。最後に、
(12)唯一全体は内在的(intrinsically)には有限である。存在するために全体に依存する有限現実たちは、全体の中から全体を物語るのである。この内在的物語り方は、内的制約であり、それを「内在的有限性(intrinsic finitude)」と呼ぼう。要するに、唯一全体は、内在的に有限であり、外在的には無限である。
項目(9)に基づいて、唯一全体が有限な物事の間にある形而上学的対立のために、先在する必要な普遍的共通性であり、そしてそれとして、どのような有限な物事に還元できない、という事実から、唯一全体は各々、そしてすべての有限現実と形而上学的対立にある、と帰結する。全体は、有限現実と同一であり、それらと異なったものである。この対立を解決するために、さらなる形而上学的帰納が必要になってくる。項目(6)と(7)に似た推論によって、全体と有限現実の同様性は、全体にもいかなる有限現実にも還元できない。その同様性は、全体からも各々の有限な物事から自立していなければならない。こうして、我々は形而上学的に、さらなる現実の必然的先在を帰納する。このさらなる現実は外在的に無限である。もし、外在的に有限であれば、自己と唯一全体との間の対立を解くことはできないことになり、そして確かに有限的な物事と全体の対立を解くことはできないことになるだろう。このさらなる現実は、内在的にも無限である。内在的に有限であれば、唯一全体性の構造の反復となり、全体の唯一性と矛盾してしまう(10)。このさらなる現実を「∞Ω」(アルファ・オメガ)と呼ぶことにしよう。そしてこう結論付けよう、
(13)「∞Ω」は内在的にも外在的にも無限である。よりシンプルに言い換えれば、「絶対的に無限」である。絶対的に無限であるから、
(14)「∞Ω」唯一である。なぜなら、反復があれば、それは無限と矛盾し、制約をつけることになるから。その上に、その内在的無
限性(絶対的単純性)のゆえに、(全体のように)それに参与する物事に自らの存在を分配しないことが帰結する。
(15)「∞Ω」は全存在と一致する。そして、
(16)全体を含めて、有限現実の存在は完全に「∞Ω」の内にある。全存在と「∞Ω」のこの一致(15)は、強意の意味(∞Ω=存
在)で理解すべきであり、永遠である。従って、
(17)「∞Ω」は永遠である。これは、「∞Ω」は存在しないのは不可能である、と言い換えることができる。(16)に基づいて、「∞Ω」は各々の、そしてすべての存在者の存在であり、存在性においては他のすべての現実とは異なったものではない、と言える。従って、「∞Ω」は他のすべての現実とは形而上学的対立という関係に立っていない。そして、ここからさらなる形而上学的帰納を行う必要はない。
(18)「∞Ω」は究極的現実であり、神である。
以上
Friday, April 20, 2012
Profeti dentro e adulatori fuori
Falsi profeti
di Antonio Livi
17-03-2012
Enzo Bianchi si presenta come il priore della Comunità di Bose, che i cattolici ritengono essere un nuovo ordine monastico, mentre canonicamente non lo è, perché non rispetta le leggi della Chiesa sulla vita comune religiosa. I cattolici lo ritengono un maestro di spiritualità, un novello san Francesco d’Assisi capace di riproporre ai cristiani di oggi il Vangelo sine glossa, ma nei suoi discorsi la Scrittura non è la Parola di Dio custodita e interpretata dalla Chiesa ma solo un espediente retorico per la sua propaganda a favore di un umanesimo che nominalmente è cristiano ma sostanzialmente è ateo.
Ecco, ad esempio, come Enzo Bianchi commentava il racconto evangelico delle tentazioni di Gesù nel deserto: «Gesù non si sottrae ai limiti della propria corporeità e non piega le Scritture all’affermazione di sé; al contrario, egli persevera nella radicale obbedienza a Dio e al proprio essere creatura, custodendo con sobrietà e saldezza la propria umanità» (Avvenire, 4 marzo 2012). Insomma, un’esplicita negazione della divinità di Cristo, il quale è ridotto a simbolo dell’etica sociale politically correct, l’etica dell’uomo che – come scriveva Bianchi poco più sopra – deve «avere il cuore e le mani libere per dire all’altro uomo: “Mai senza di te”» (ibidem).
Grazie al non disinteressato aiuto dei media anticattolici, Enzo Bianchi ha saputo gestire molto bene la propria immagine pubblica: quando si rivolge a quanti si professano cattolici, Enzo Bianchi veste i panni del “profeta” che lotta per l’avvento di un cristianesimo nuovo (un cristianesimo che deve essere moderno, aperto, non gerarchico e non dogmatico, cioè, in sostanza, non cattolico); quando invece si rivolge ai cosiddetti “laici” (ossia a coloro che hanno smesso di professarsi cattolici oppure non lo sono mai stati ma desiderano tanto vedere morire una buona volta il cattolicesimo), Enzo Bianchi si presenta simpaticamente come loro alleato, come una quinta colonna all’interno della Chiesa cattolica (se non piace la metafora di “quinta colonna” posso ricorrere alla metafora, ideata da Dietrich von Hildebrand, di “cavallo di Troia nella Città di Dio”).
Ora, che i media anticattolici (il Corriere della Sera, la Repubblica, La Stampa, L’Espresso) ospitino volentieri i sermoni del profeta della fine del cattolicesimo (così come ospitano i sermoni di tutti i piccoli e grandi intellettuali, cattolici e non, che auspicano una Chiesa cattolica senza più dogma, senza morale, senza sacramenti, senza autorità pastorale) non desta meraviglia, visto che si tratta di gente che porta acqua al loro mulino; invece, che i media ufficialmente cattolici si prestino (da almeno dieci anni!) a operazioni del genere fa comprendere fino a qual punto di confusione dottrinale e di insensibilità pastorale si sia arrivati nella Chiesa, almeno in Italia (anche se forse negli altri Paesi di antica tradizione cristiana le cosa stanno pure peggio).
Ho parlato di “insensibilità pastorale”, perché è evidente che organi di informazione che sono istituzionalmente al servizio della pastorale (penso a Famiglia Cristiana, che fu fondata da chi voleva promuove l’apostolato della “buona stampa” e che per decenni è stata diffusa soprattutto nelle chiese; penso ad Avvenire, quotidiano voluto da Paolo VI e gestito dalla Conferenza episcopale) non dovrebbero contribuire alla diffusione di ideologie che sono per l’appunto l’ostacolo massimo che oggi la pastorale si trova davanti. La pastorale infatti è costituita essenzialmente dalla catechesi e dall’evangelizzazione, ossia dall’offerta della verità e della grazia di Cristo a chi già crede e a chi ancora deve arrivare alla fede. Come si fa a portare la verità e la grazia di Cristo agli uomini (quelli di oggi, non diversamente da quelli di ieri) se si nasconde loro che Cristo è il Salvatore, cioè Dio stesso fatto Uomo per redimerci dal peccato e assicurarci la salvezza eterna? Come si fa ad avvicinare gli uomini all’Eucaristia, fonte della vita soprannaturale, se agli uomini di oggi si nasconde il mistero della Presenza reale, se non li si educa allo spirito di adorazione, se si annulla la differenza tra l’umano e il divino, se la “comunione” di cui si parla non è principalmente con Dio ma esclusivamente con gli altri uomini (e “comunione” vuol dire solo solidarietà, accoglienza, “fare comunità”)?
Come si fa a far amare la Chiesa di Cristo, «colonna e fondamento della verità», se viene messo in ombra il carisma dell’infallibilità del magistero ecclesiastico, se viene esaltato lo spirito di disobbedienza e la critica demolitrice della legittima autorità stabilita da Cristo stesso? Insomma, non è certo segno di sensibilità pastorale orientare il criterio dottrinale dei propri lettori (per definizione si suppone che siano cattolici) con i discorsi bonariamente eretici di Enzo Bianchi. Il quale, peraltro, non fa mistero della sua piena condivisione delle proposte riformatrici di Hans Küng, che con il linguaggio tecnico della teologia dogmatica ha enunciato e continua a enunciare le medesime eresie che Bianchi enuncia con il linguaggio retorico della saggistica letteraria. Nessuno si è sorpreso infatti leggendo sulla Stampa di Torino un recente articolo di Enzo Bianchi (13 marzo 2012) nel quale il priore di Bose ribadisce il suo sostegno alle tesi di Hans Küng, prendendo occasione da una nuova edizione italiana del suo Essere cristiani.
Hans Küng, che è il più famoso (meglio si direbbe famigerato) di tutti i falsi teologi che hanno diffuso nella Chiesa cattolica, a partire dalla seconda metà del Novecento, le ideologie secolaristiche che oggi costituiscono quell’ostacolo alla pastorale del quale parlavo. Lo esalta presentandolo come una specie di “dottore della Chiesa” ingiustamente inascoltato, guardandosi bene dal ricordare (ma lo sanno persino molti lettori della Stampa) che il professore svizzero ha sempre negato la verità dei dogmi della Chiesa e il fondamento teologico della morale cattolica, disconoscendo sempre la funzione del magistero ecclesiastico (a partire dal libro intitolato Infallibile?). Küng non è stato scomunicato né è stato messo a tacere (peraltro, tutti gli editori più importanti dell’Occidente scristianizzato hanno pubblicato e diffuso le sue opere), e non c’è ragione alcuna per la quale egli debba presentarsi ed essere presentato come una vittima della repressione da parte della gerarchia ecclesiastica.
Per disegnargli intorno alla testa l’aureola della santità, Enzo Bianchi parla di Küng come di un protagonista del Vaticano II, facendo finta di ignorare che un concilio ecumenico è un’espressone solenne del magistero ecclesiastico (protagonisti ne sono soltanto i vescovi, e i documenti approvati al termine dei lavori hanno un eminente valore per la dottrina della fede in quanto convocato, presieduto e convalidato dai Papi) e non un convegno internazionale di teologi (Hans Küng, come “perito”, non ha avuto nel Concilio né voce né voto). Insomma, Enzo Bianchi vorrebbe far credere che Küng, malgrado i suoi meriti teologici, non avrebbe ottenuto dall’autorità ecclesiastica la benevolenza e i riconoscimenti che gli spettavano; addirittura, insinua Bianchi, alla Chiesa conveniva mettere Küng, piuttosto che il suo collega Ratzinger, a capo della congregazione per la Dottrina della fede.
Sono assurdità che possono andar bene solo per i lettori della Stampa (quotidiano di collaudata tradizione massonica), ai quali non importa nulla della fede cristiana ma sono ben contenti di vedere la Chiesa cattolica in preda a una profonda crisi dottrinale e disciplinare, sperando che tutto ciò affretti la sua definitiva scomparsa dalla scena sociale e politica. Ma Bianchi è ospitato anche dalla stampa cattolica, e in quella sede l’assurdità di cui parlavo dovrebbe essere percepita da qualcuno.
Qualcuno dovrebbe rinfacciare a Bianchi l’ipocrisia di presentare come vittima del potere ecclesiastico senza dire che il teologo svizzero non ha mai voluto riconoscere la legittimità (cioè l’origine divina) di questo potere, che ad altro non serve se non alla custodia fedele e alla interpretazione infallibile della verità che salva. Bianchi si guarda bene dal riferire tutte le contumelie e gli insulti che Hans Küng è solito scrivere (anche in italiano, sul Corriere della Sera) contro quei papi (soprattutto Paolo VI e Giovanni Paolo II) che non gli hanno dato ragione (e come avrebbero potuto?).
di Antonio Livi
17-03-2012
Enzo Bianchi si presenta come il priore della Comunità di Bose, che i cattolici ritengono essere un nuovo ordine monastico, mentre canonicamente non lo è, perché non rispetta le leggi della Chiesa sulla vita comune religiosa. I cattolici lo ritengono un maestro di spiritualità, un novello san Francesco d’Assisi capace di riproporre ai cristiani di oggi il Vangelo sine glossa, ma nei suoi discorsi la Scrittura non è la Parola di Dio custodita e interpretata dalla Chiesa ma solo un espediente retorico per la sua propaganda a favore di un umanesimo che nominalmente è cristiano ma sostanzialmente è ateo.
Ecco, ad esempio, come Enzo Bianchi commentava il racconto evangelico delle tentazioni di Gesù nel deserto: «Gesù non si sottrae ai limiti della propria corporeità e non piega le Scritture all’affermazione di sé; al contrario, egli persevera nella radicale obbedienza a Dio e al proprio essere creatura, custodendo con sobrietà e saldezza la propria umanità» (Avvenire, 4 marzo 2012). Insomma, un’esplicita negazione della divinità di Cristo, il quale è ridotto a simbolo dell’etica sociale politically correct, l’etica dell’uomo che – come scriveva Bianchi poco più sopra – deve «avere il cuore e le mani libere per dire all’altro uomo: “Mai senza di te”» (ibidem).
Grazie al non disinteressato aiuto dei media anticattolici, Enzo Bianchi ha saputo gestire molto bene la propria immagine pubblica: quando si rivolge a quanti si professano cattolici, Enzo Bianchi veste i panni del “profeta” che lotta per l’avvento di un cristianesimo nuovo (un cristianesimo che deve essere moderno, aperto, non gerarchico e non dogmatico, cioè, in sostanza, non cattolico); quando invece si rivolge ai cosiddetti “laici” (ossia a coloro che hanno smesso di professarsi cattolici oppure non lo sono mai stati ma desiderano tanto vedere morire una buona volta il cattolicesimo), Enzo Bianchi si presenta simpaticamente come loro alleato, come una quinta colonna all’interno della Chiesa cattolica (se non piace la metafora di “quinta colonna” posso ricorrere alla metafora, ideata da Dietrich von Hildebrand, di “cavallo di Troia nella Città di Dio”).
Ora, che i media anticattolici (il Corriere della Sera, la Repubblica, La Stampa, L’Espresso) ospitino volentieri i sermoni del profeta della fine del cattolicesimo (così come ospitano i sermoni di tutti i piccoli e grandi intellettuali, cattolici e non, che auspicano una Chiesa cattolica senza più dogma, senza morale, senza sacramenti, senza autorità pastorale) non desta meraviglia, visto che si tratta di gente che porta acqua al loro mulino; invece, che i media ufficialmente cattolici si prestino (da almeno dieci anni!) a operazioni del genere fa comprendere fino a qual punto di confusione dottrinale e di insensibilità pastorale si sia arrivati nella Chiesa, almeno in Italia (anche se forse negli altri Paesi di antica tradizione cristiana le cosa stanno pure peggio).
Ho parlato di “insensibilità pastorale”, perché è evidente che organi di informazione che sono istituzionalmente al servizio della pastorale (penso a Famiglia Cristiana, che fu fondata da chi voleva promuove l’apostolato della “buona stampa” e che per decenni è stata diffusa soprattutto nelle chiese; penso ad Avvenire, quotidiano voluto da Paolo VI e gestito dalla Conferenza episcopale) non dovrebbero contribuire alla diffusione di ideologie che sono per l’appunto l’ostacolo massimo che oggi la pastorale si trova davanti. La pastorale infatti è costituita essenzialmente dalla catechesi e dall’evangelizzazione, ossia dall’offerta della verità e della grazia di Cristo a chi già crede e a chi ancora deve arrivare alla fede. Come si fa a portare la verità e la grazia di Cristo agli uomini (quelli di oggi, non diversamente da quelli di ieri) se si nasconde loro che Cristo è il Salvatore, cioè Dio stesso fatto Uomo per redimerci dal peccato e assicurarci la salvezza eterna? Come si fa ad avvicinare gli uomini all’Eucaristia, fonte della vita soprannaturale, se agli uomini di oggi si nasconde il mistero della Presenza reale, se non li si educa allo spirito di adorazione, se si annulla la differenza tra l’umano e il divino, se la “comunione” di cui si parla non è principalmente con Dio ma esclusivamente con gli altri uomini (e “comunione” vuol dire solo solidarietà, accoglienza, “fare comunità”)?
Come si fa a far amare la Chiesa di Cristo, «colonna e fondamento della verità», se viene messo in ombra il carisma dell’infallibilità del magistero ecclesiastico, se viene esaltato lo spirito di disobbedienza e la critica demolitrice della legittima autorità stabilita da Cristo stesso? Insomma, non è certo segno di sensibilità pastorale orientare il criterio dottrinale dei propri lettori (per definizione si suppone che siano cattolici) con i discorsi bonariamente eretici di Enzo Bianchi. Il quale, peraltro, non fa mistero della sua piena condivisione delle proposte riformatrici di Hans Küng, che con il linguaggio tecnico della teologia dogmatica ha enunciato e continua a enunciare le medesime eresie che Bianchi enuncia con il linguaggio retorico della saggistica letteraria. Nessuno si è sorpreso infatti leggendo sulla Stampa di Torino un recente articolo di Enzo Bianchi (13 marzo 2012) nel quale il priore di Bose ribadisce il suo sostegno alle tesi di Hans Küng, prendendo occasione da una nuova edizione italiana del suo Essere cristiani.
Hans Küng, che è il più famoso (meglio si direbbe famigerato) di tutti i falsi teologi che hanno diffuso nella Chiesa cattolica, a partire dalla seconda metà del Novecento, le ideologie secolaristiche che oggi costituiscono quell’ostacolo alla pastorale del quale parlavo. Lo esalta presentandolo come una specie di “dottore della Chiesa” ingiustamente inascoltato, guardandosi bene dal ricordare (ma lo sanno persino molti lettori della Stampa) che il professore svizzero ha sempre negato la verità dei dogmi della Chiesa e il fondamento teologico della morale cattolica, disconoscendo sempre la funzione del magistero ecclesiastico (a partire dal libro intitolato Infallibile?). Küng non è stato scomunicato né è stato messo a tacere (peraltro, tutti gli editori più importanti dell’Occidente scristianizzato hanno pubblicato e diffuso le sue opere), e non c’è ragione alcuna per la quale egli debba presentarsi ed essere presentato come una vittima della repressione da parte della gerarchia ecclesiastica.
Per disegnargli intorno alla testa l’aureola della santità, Enzo Bianchi parla di Küng come di un protagonista del Vaticano II, facendo finta di ignorare che un concilio ecumenico è un’espressone solenne del magistero ecclesiastico (protagonisti ne sono soltanto i vescovi, e i documenti approvati al termine dei lavori hanno un eminente valore per la dottrina della fede in quanto convocato, presieduto e convalidato dai Papi) e non un convegno internazionale di teologi (Hans Küng, come “perito”, non ha avuto nel Concilio né voce né voto). Insomma, Enzo Bianchi vorrebbe far credere che Küng, malgrado i suoi meriti teologici, non avrebbe ottenuto dall’autorità ecclesiastica la benevolenza e i riconoscimenti che gli spettavano; addirittura, insinua Bianchi, alla Chiesa conveniva mettere Küng, piuttosto che il suo collega Ratzinger, a capo della congregazione per la Dottrina della fede.
Sono assurdità che possono andar bene solo per i lettori della Stampa (quotidiano di collaudata tradizione massonica), ai quali non importa nulla della fede cristiana ma sono ben contenti di vedere la Chiesa cattolica in preda a una profonda crisi dottrinale e disciplinare, sperando che tutto ciò affretti la sua definitiva scomparsa dalla scena sociale e politica. Ma Bianchi è ospitato anche dalla stampa cattolica, e in quella sede l’assurdità di cui parlavo dovrebbe essere percepita da qualcuno.
Qualcuno dovrebbe rinfacciare a Bianchi l’ipocrisia di presentare come vittima del potere ecclesiastico senza dire che il teologo svizzero non ha mai voluto riconoscere la legittimità (cioè l’origine divina) di questo potere, che ad altro non serve se non alla custodia fedele e alla interpretazione infallibile della verità che salva. Bianchi si guarda bene dal riferire tutte le contumelie e gli insulti che Hans Küng è solito scrivere (anche in italiano, sul Corriere della Sera) contro quei papi (soprattutto Paolo VI e Giovanni Paolo II) che non gli hanno dato ragione (e come avrebbero potuto?).
Il dialogo nei limiti del politically correct
APPUNTI SUL “MAGISTERO” DEL PRIORE DI BOSE
di Pietro De Marco
1. Due cose colpiscono nella querelle sorta attorno alle critiche mosse da Antonio Livi a Enzo Bianchi, occasionate da un articolo di Bianchi, su “La Stampa” dell’11 marzo, sulla nuova edizione di “Essere cristiani” di Hans Küng.
La prima è la difficoltà di Enzo Bianchi a valutare autocriticamente la portata dei suoi interventi, sia che cadano su un terreno ricettivo (dove attecchiscono senza che lui per primo ne possa controllare i frutti) sia che arrivino a menti e ad ambienti critici nei suoi confronti, ove vengono di regola, ma legittimamente, valutati con allarme se non con ostilità. Su questo punto tornerò.
La seconda è la preziosa occasione di riflessione e mediazione che “Avvenire” poteva mettere a frutto, ma ha mancato. Marco Tarquinio, il direttore del quotidiano della conferenza episcopale italiana, ha perso (e in modo irragionato e scomposto: da vecchio collaboratore del giornale me ne dolgo) l’opportunità di offrire finalmente uno spazio al severo, duro, dibattito che percorre la Chiesa cattolica da alcuni anni su questioni della massima importanza: in primo luogo la quotidiana diluizione della “fides quae” (cioé dei contenuti della dottrina della fede) che avviene per molte vie e, non secondariamente, attraverso la manipolazione militante o abitudinaria del Vaticano II.
L’”Avvenire” di Tarquinio preferisce invece incrementare nei cattolici italiani una koinè magmatica di “sociale” e “spirituale”, senza domandarsi se il bagno nell’emozionale attivistico e nei fasti dell’ecclesialese che – con eccezioni – vi dominano, non si accodi alla perdita di rigore dell’intelletto cattolico di questi anni, e non stenda una patina opaca anche sulla forza e determinatezza dell’insegnamento papale.
Può darsi che la valutazione che Livi ha dato della “predicazione” di Bianchi (in effetti inarrestabile, assillante, per cento canali) abbia ecceduto in durezza. Livi recentemente ha pubblicato un importante volume sulla teologia come scienza della fede (contro le derive di quella “filosofia religiosa” venduta per teologia che infesta le facoltà cattoliche e molta produzione teologica), libro di cui “Avvenire” non ha finora parlato e che le librerie cattoliche si guardano bene dal mettere in evidenza. Da un’intelligenza esercitata al rigore come quella di Livi non sorprende che sia arrivata una reazione dura, nell’attimo in cui il fenomeno deprecato gli è sembrato superare ogni soglia di tollerabilità.
Questo traboccare, lo sappiamo, può essere provocato anche solo da una goccia. Anch’io avevo messo da parte l’articolo di Bianchi su Küng: un episodio, non così minore, di mancanza di responsabilità non solo nei confronti dei tanti che bevono le sue parole ma della sua stessa intelligenza. Chiedo: si può scrivere di Hans Küng su un giornale (che prevede una quota di lettori occasionali e non sistematici di ciò che si scrive) senza prendere esplicitamente da lui le distanze, e non tanto per opportunità ma per l’obiettiva pericolosità di un autore che ha prodotto danni enormi alla Chiesa? Non è legittimare, anzi incentivare presso il lettore (magari un “sincero cercatore di Dio”) la lettura di qualsiasi altra cosa di Küng, dai pamphlet più insidiosi e in odore di eresia alle piatte eppure maliziose compilazioni storico-religiose, dalle costanti e insolenti aggressioni a Roma ai velleitari progetti di “etica mondiale”? Non prevale in Bianchi, in questi casi, una presunzione di “magistero” divenuta talmente automatica da mettere, come Livi ha denunciato, sullo stesso piano Küng e Roma, giocando cioè a una sorta di superiore terzietà? Una goccia, magari, nel mare degli interventi del priore di Bose, eppure un brutto sintomo.
2. A suo tempo avevo lasciate “pro bono pacis” nel mio cassetto delle annotazioni sulle pagine iniziali de “La differenza cristiana”, un lettissimo volumetto di Bianchi pubblicato da Einaudi nel 2006. Ora è forse il momento di usarle. Nessun processo all’autore; ma una conferma di quell’enunciare incoerente o equivoco che, a più modesti livelli, sta corrompendo il laicato colto e settori del clero delle generazioni di mezzo, anzitutto.
Si possono sottolineare già le coordinate offerte dall’indice del libro: 1. “Una laicità del rispetto”, ove si indulge in formule problematiche come “laicità, una garanzia per la religione”, o “chi minaccia il cristianesimo” fino a “l’etica, un dono dell’esperienza”; poi: 2. “La differenza cristiana” in cui, dopo aver ricordato che “la fede non si impone”, si insiste sul dato che “i cristiani non sono perseguitati” e si proclama: “Siate profeti, ma non entrate in politica”; per finire con: 3. “Dialogare e accogliere l’altro”, ove colpisce la formula “un solo Dio, molti modi per dirlo” e altre del tipo “sei diverso da me, quindi ti accetto”. Verrebbe da dire sorridendo che siamo nel cuore del cattolicesimo politicamente corretto. Ma non è più l’ora di sottovalutare il peso di alcune di queste formule che, per usare un’immagine, non stanno a galla ma trascinano sul fondo coloro che vi si aggrappano.
Sottolineo subito la piega anti-apologetica di Bianchi. La tensione e l’assuefazione anti-apologetica non vanno considerate una virtù. Come è enorme la ricchezza che l’apologetica ha donato alla Chiesa (dai primi Padri ad Agostino, nei secoli, fino agli intelletti che guidarono le grandi conversioni nella cultura europea tra Otto e Novecento), così il suo mancato esercizio ha snervato, reso incolto e intimistico l’intelletto cristiano comune. Per Bianchi invece, nella da lui temutissima sfida laici-cattolici, la Chiesa rischierebbe di sentirsi “costretta ad esprimersi” (!) in modo apologetico, e con ciò a non essere più capace di sostenere in termini di pacifico confronto la sua collocazione nella “compagnia degli uomini” (pp. 3-4).
Naturalmente, per Bianchi, molto della conflittualità è da imputare alla Chiesa, a un suo “presenzialismo” che privilegia “tematiche e linguaggi di scontro”, una opzione – si suggerisce – gratuita e irresponsabile. Proseguendo su questa strada “ne patirebbe la stessa evangelizzazione” (p. 4). Da ciò il lettore ricava che il parlare a voce alta dei due recenti pontificati e di alcune conferenze episcopali non ha ragion d’essere nel merito ed è contrario all’autentica pastorale.
Sintomatico esordio per tutto il volumetto: assenza di diagnosi dell’attualità storica – che la Chiesa dovrebbe leggere meramente come un’astorica “compagnia” – e una concezione della differenza cristiana esonerata, forse perché immunizzata, dalla dimensione critica, se non quella indotta dall’intelligencija e molto praticata da Bianchi: libertà civili, democrazia, pacifismo, declamazione giustizialista, pauperista e simili.
Certo, Bianchi condanna l’eccesso libertario (”reificazione della libertà”), poichè i cristiani credono che in ogni essere umano vi sia una legge, un ethos non rivelato, non scritto, non codificato, eppure “presente ed eloquente”. In questo consisterebbe l’universalità stessa dell’umano. La Chiesa è di conseguenza “presidio di autentico umanesimo”. Ma come? Egli dice: come spazio di dialogo e di recupero di principi condivisi, luogo di confronto tra etiche e atteggiamenti individuali. In Bianchi, la concessione alla Chiesa d’essere presidio di umanesimo e l’accettazione di una sua funzione pubblica (“patrimonio di sapienza non destinato a restare negli spazi del culto privato”) prendono subito la strada vetero-habermasiana dell’agire comunicativo. Non si capisce come possa un “presidio” coincidere a priori con un’arena o una funzione di confronto di etiche e atteggiamenti individuali: arena ove la materia da presidiare non può che essere questa stessa funzione dialogica, in sé protettiva di qualsiasi contenuto e atteggiamento messo correttamente in campo. Neppure Habermas è più convinto che la Verità sia mero “Diskurs”.
D’altronde un “presidio”, se il termine non è solo retorico, suppone un pericolo e un’azione di prevenzione e difesa; che è altro dall’apertura di spazi dialogici fini a se stessi. Sfugge a Bianchi che solo l’agire recente, anche conflittuale, della Chiesa è la negazione di quel confinamento al culto privato che egli teme, e che la dimensione di “setta per quanto influente” è proprio ciò che la recente politicità della Chiesa cattolica nega. Ma chi legga attentamente Bianchi sa di non potersi attendere molta consequenzialità argomentativa in un quadro ideologico pur coerente.
Per Bianchi, naturalmente, non v’è contraddizione tra fedeltà alla Chiesa e attaccamento all’istanza di laicità. Il priore critica la laicità alla francese, ma la “giusta laicità” sarebbe di “grande giovamento alla Chiesa”. I cristiani vi troverebbero protezione contro l’utilizzo della fede come “religione civile”, termine con cui egli designa del tutto erroneamente l’uso strumentale della religione da parte di quanti “misconoscono nuovamente la distinzione tra Dio e Cesare”. Sullo sfondo del conflitto attuale egli evoca ancora gli eccessi del cesaropapismo e della teocrazia latina medievale. Vi sarebbero, secondo Bianchi, forze che vogliono un ruolo dominante della Chiesa, cioè che non vogliono che la Chiesa mantenga viva la forza profetica, la memoria eversiva del Vangelo. Le istituzioni religiose verrebbero piegate alla “mediazione”, con una vicendevole “strumentalizzazione” di poteri religiosi, politici e sociali (pp. 14-15). Tutto ciò sarebbe contrario alla parola, profezia liberante, che chiede la rinuncia agli idoli societari.
Questi luoghi comuni non rappresentano solo una confusione estrema – come qualsiasi studioso coglie – tra teocratismo, disciplinamento religioso della società, religione civile, come tra mediazione politica e “strumentalizzazione” delle parti. In tutto il corso del libretto si invocano, come formule di rito, dialogo, ethos e spazio sociale condiviso; e naturalmente “integrazione”, nelle scontatissime pagine sui rapporti interetnici. Paradossalmente, questo corpo retorico che si sviluppa attorno all’espressione “presidio” è affine, senza che Bianchi lo sospetti, al vero quadro ideologico della moderna religione civile: “religione” subordinata alla “volonté générale” di una comunità roussoviana senza conflitto.
Dunque la Chiesa sarebbe “presidio di autentico umanesimo” da esercitare nello spazio pubblico; ma presidio vacuo, poiché ogni sua azione autorevole, se in contrasto con la “volonté générale”, sarebbe in sé, per Bianchi, “spegnimento di profezia” e “sacrificio agli idoli societari”. Nell’idea che “la profezia della Chiesa” si dia nella conformità alla “volonté générale” hanno creduto, a lungo, tutte le subculture cristiane subalterne dell’intelligencija rivoluzionaria. Oggi è tutto dimenticato, ma la religione civile che pretende il dominio è sempre quella dell’intelligencija (dei diritti emancipatori, oggi), mentre è difficile per la Chiesa esercitare il proprio “presidio” pubblico. Né sarà possibile che lo eserciti mai se seguirà il canone di Bianchi: “I pastori chiedono di essere ascoltati, consigliano, mettono in guardia ma non pretendono che la legge evangelica [ma non era il diritto naturale, "ethos non rivelato, non scritto, eppure eloquente" universalmente? - p.d.m.] sia tradotta in legge vincolante per tutti”.
“Evangelizzazione e dialogo, dunque!”. Ma come e su che cosa, se la preoccupazione maggiore è che “la definizione della verità [per Bianchi “prodotta e definita dalla Chiesa stessa” (p. 92)] rischia di sostituirsi alla Verità vivente, Gesù Cristo risorto”? La sudditanza ai “valori” dell’azione politica dell’intelligencija unita alla de-dogmatizzazione sono una pericolosa miscela, che non sarà Bose a trattenere sull’orlo del precipizio fideistico. Nel suo più recente libro “Per un’etica condivisa”, pubblicato nel 2009, il priore di Bose mostra, infatti, che anche in lui la scivolata prosegue. A p. 46 generosamente sostiene che è ancora possibile “raggiungere al cuore del loro vissuto ordinario” gli uomini di oggi: “È ancora possibile rendere conto di un legame vitale con una presenza invisibile che i credenti chiamano Dio. Certo, per fare questo appare oramai infruttuosa se non addirittura impraticabile la via dell’esposizione della dottrina e della dimostrazione dei dogmi”. Ovviamente la strada è, invece, quella del restare “attaccati” a “un Dio soprattutto raccontato, spiegato da Gesù Cristo”.
Che poi il Dio “raccontato, spiegato” da Gesù sia, anche nelle omelie dei parroci poco provveduti, il Dio del “forse Gesù non ha detto questo”, del “probabilmente non è avvenuto quello che l’evangelista racconta”, cioè della critica biblica orecchiata, diffusamente maneggiata senza criteri ermeneutici e senza teologia, insomma il Dio di un Gesù ricostruito arbitrariamente, a Bianchi non interessa. Né gli interessa, sul terreno dei fondamentali, che il Concilio Vaticano II non abbia annullato il rapporto necessario tra Scrittura e Tradizione, che solo può garantire la vera “doxa” sul “Dio spiegato da Gesù Cristo”. Purtroppo, su questo terreno, l’impietosa lettura di Livi tocca difetti e pericoli reali.
3. Sarebbe stato meglio per Bianchi non arroccarsi nel: “Io? quando mai?”. I “maestri” devono adattarsi, ormai, a un altro regime comunicativo e a maggiore autocontrollo; meglio se anche a una maggiore riflessione. Egualmente chi li pubblica.
Scrivo questo con dinanzi agli occhi anche l’ultima sortita pubblica di Bianchi, su “La Stampa” della domenica di Pasqua. L’articolo-omelia è per gran parte opinabile nei limiti della legittima diversità tra tutti noi. Personalmente, né da un giornale né da un pulpito vorrei sentirmi dire che nella Pasqua i cristiani “innanzitutto leggono una storia di passione e di morte”. Ritengo evidente che nella Pasqua i cristiani anzitutto rivivono la resurrezione e “leggono” ciò che in apertura della veglia pasquale recita l’Exultet, quando invoca uno squillante, regale annuncio “pro tanti Regis victoria”. Sarà la diversità delle nostre sensibilità comunicative, o qualcos’altro, che il finale dell’articolo di Bianchi rivela?
In effetti il priore di Bose poteva arrestarsi sulla battuta “politica” contro il Crocifisso come “simbolo culturale”, un tema complicato del genere “religione civile”, per affrontare il quale si richiederebbero categorie giuste. Pazienza. Ma egli si avventa sul terreno della testimonianza cristiana del Risorto: i cristiani ricordano e si dicono – scrive – “semplicemente questo: l’amore vissuto da Gesù ha vinto la morte… Gesù era umanissimo e ciò che aveva di eccezionale non era di ordine religioso [che significa? è un escamotage per evitare di dire che non era di ordine soprannaturale? - p.d.m.] ma umano. È con la sua umanità che egli, il Figlio di Dio e la Parola diventata uomo come noi, ci ha portato a Dio”. Per un cristiano augurare la buona Pasqua sarebbe, quindi, affermare: “Vorrei dirti che l’amore vince la morte”.
La protezione che l’inciso “il Figlio di Dio e la Parola ecc.” esercita sulle 14 righe finali dell’articolo è minima. Restano la romanticheria dell’enunciato: “l’amore vince la morte”, tutto minuscolo, pura enfasi adatta a tutti gli approdi, aperta a tutte le concezioni, da quella delle lettere giovannee al clima del romanzo rosa e della canzonetta. Quale “amore”? E quale “morte”? Abbiamo riflettuto e battagliato su morte e antropologia cristiana per anni, perche i “maestri” arrivino a dirci queste miserie? Qui non c’è neppure il buon senso (o il coraggio, su un quotidiano laico) di introdurre le maiuscole come a suggerire che, comunque, si intendono la vetta incarnata dell’Agape e la visione della Morte propria, poniamo, della teologia paolina della redenzione: “Ubi est mors aculeus tuus, ubi est mors victoria tua?”.
L’affermazione, poi, che “ciò che Gesù ebbe di eccezionale fu di ordine umano” è follemente equivoca. È la ripetizione di un topos del protestantesimo liberale. È per questo che Bianchi non dice che Gesù ha vinto la morte, ma che “l’amore vissuto da Gesù” lo ha fatto, cioè che a salvarci è stata semplicemente l’esperienza amorevole dell’umanissimo Gesù. Davvero i “teologi” del Gesù solo amore – questi neopietisti postmoderni – pensano che per vincere la Morte non sia stato necessario il Signore della Storia?
Il tutto è irresponsabilmente ai margini, se non fuori, della cristologia dei grandi Concili, di quei fondamenti trinitari e cristologici irrinunciabili la cui alterazione, frequente, conduce sempre a una predicazione dimezzata e infantile, a un cristianesimo informe, alla corruttela “teologica” dei best seller di un Vito Mancuso. Così, a cascata. Solo l’intervento di Pietro, temo, solo il “confirma fratres tuos” potrà fermare questa incosciente, gaia e stolida, caduta collettiva.
Firenze, 9 aprile 2012
di Pietro De Marco
1. Due cose colpiscono nella querelle sorta attorno alle critiche mosse da Antonio Livi a Enzo Bianchi, occasionate da un articolo di Bianchi, su “La Stampa” dell’11 marzo, sulla nuova edizione di “Essere cristiani” di Hans Küng.
La prima è la difficoltà di Enzo Bianchi a valutare autocriticamente la portata dei suoi interventi, sia che cadano su un terreno ricettivo (dove attecchiscono senza che lui per primo ne possa controllare i frutti) sia che arrivino a menti e ad ambienti critici nei suoi confronti, ove vengono di regola, ma legittimamente, valutati con allarme se non con ostilità. Su questo punto tornerò.
La seconda è la preziosa occasione di riflessione e mediazione che “Avvenire” poteva mettere a frutto, ma ha mancato. Marco Tarquinio, il direttore del quotidiano della conferenza episcopale italiana, ha perso (e in modo irragionato e scomposto: da vecchio collaboratore del giornale me ne dolgo) l’opportunità di offrire finalmente uno spazio al severo, duro, dibattito che percorre la Chiesa cattolica da alcuni anni su questioni della massima importanza: in primo luogo la quotidiana diluizione della “fides quae” (cioé dei contenuti della dottrina della fede) che avviene per molte vie e, non secondariamente, attraverso la manipolazione militante o abitudinaria del Vaticano II.
L’”Avvenire” di Tarquinio preferisce invece incrementare nei cattolici italiani una koinè magmatica di “sociale” e “spirituale”, senza domandarsi se il bagno nell’emozionale attivistico e nei fasti dell’ecclesialese che – con eccezioni – vi dominano, non si accodi alla perdita di rigore dell’intelletto cattolico di questi anni, e non stenda una patina opaca anche sulla forza e determinatezza dell’insegnamento papale.
Può darsi che la valutazione che Livi ha dato della “predicazione” di Bianchi (in effetti inarrestabile, assillante, per cento canali) abbia ecceduto in durezza. Livi recentemente ha pubblicato un importante volume sulla teologia come scienza della fede (contro le derive di quella “filosofia religiosa” venduta per teologia che infesta le facoltà cattoliche e molta produzione teologica), libro di cui “Avvenire” non ha finora parlato e che le librerie cattoliche si guardano bene dal mettere in evidenza. Da un’intelligenza esercitata al rigore come quella di Livi non sorprende che sia arrivata una reazione dura, nell’attimo in cui il fenomeno deprecato gli è sembrato superare ogni soglia di tollerabilità.
Questo traboccare, lo sappiamo, può essere provocato anche solo da una goccia. Anch’io avevo messo da parte l’articolo di Bianchi su Küng: un episodio, non così minore, di mancanza di responsabilità non solo nei confronti dei tanti che bevono le sue parole ma della sua stessa intelligenza. Chiedo: si può scrivere di Hans Küng su un giornale (che prevede una quota di lettori occasionali e non sistematici di ciò che si scrive) senza prendere esplicitamente da lui le distanze, e non tanto per opportunità ma per l’obiettiva pericolosità di un autore che ha prodotto danni enormi alla Chiesa? Non è legittimare, anzi incentivare presso il lettore (magari un “sincero cercatore di Dio”) la lettura di qualsiasi altra cosa di Küng, dai pamphlet più insidiosi e in odore di eresia alle piatte eppure maliziose compilazioni storico-religiose, dalle costanti e insolenti aggressioni a Roma ai velleitari progetti di “etica mondiale”? Non prevale in Bianchi, in questi casi, una presunzione di “magistero” divenuta talmente automatica da mettere, come Livi ha denunciato, sullo stesso piano Küng e Roma, giocando cioè a una sorta di superiore terzietà? Una goccia, magari, nel mare degli interventi del priore di Bose, eppure un brutto sintomo.
2. A suo tempo avevo lasciate “pro bono pacis” nel mio cassetto delle annotazioni sulle pagine iniziali de “La differenza cristiana”, un lettissimo volumetto di Bianchi pubblicato da Einaudi nel 2006. Ora è forse il momento di usarle. Nessun processo all’autore; ma una conferma di quell’enunciare incoerente o equivoco che, a più modesti livelli, sta corrompendo il laicato colto e settori del clero delle generazioni di mezzo, anzitutto.
Si possono sottolineare già le coordinate offerte dall’indice del libro: 1. “Una laicità del rispetto”, ove si indulge in formule problematiche come “laicità, una garanzia per la religione”, o “chi minaccia il cristianesimo” fino a “l’etica, un dono dell’esperienza”; poi: 2. “La differenza cristiana” in cui, dopo aver ricordato che “la fede non si impone”, si insiste sul dato che “i cristiani non sono perseguitati” e si proclama: “Siate profeti, ma non entrate in politica”; per finire con: 3. “Dialogare e accogliere l’altro”, ove colpisce la formula “un solo Dio, molti modi per dirlo” e altre del tipo “sei diverso da me, quindi ti accetto”. Verrebbe da dire sorridendo che siamo nel cuore del cattolicesimo politicamente corretto. Ma non è più l’ora di sottovalutare il peso di alcune di queste formule che, per usare un’immagine, non stanno a galla ma trascinano sul fondo coloro che vi si aggrappano.
Sottolineo subito la piega anti-apologetica di Bianchi. La tensione e l’assuefazione anti-apologetica non vanno considerate una virtù. Come è enorme la ricchezza che l’apologetica ha donato alla Chiesa (dai primi Padri ad Agostino, nei secoli, fino agli intelletti che guidarono le grandi conversioni nella cultura europea tra Otto e Novecento), così il suo mancato esercizio ha snervato, reso incolto e intimistico l’intelletto cristiano comune. Per Bianchi invece, nella da lui temutissima sfida laici-cattolici, la Chiesa rischierebbe di sentirsi “costretta ad esprimersi” (!) in modo apologetico, e con ciò a non essere più capace di sostenere in termini di pacifico confronto la sua collocazione nella “compagnia degli uomini” (pp. 3-4).
Naturalmente, per Bianchi, molto della conflittualità è da imputare alla Chiesa, a un suo “presenzialismo” che privilegia “tematiche e linguaggi di scontro”, una opzione – si suggerisce – gratuita e irresponsabile. Proseguendo su questa strada “ne patirebbe la stessa evangelizzazione” (p. 4). Da ciò il lettore ricava che il parlare a voce alta dei due recenti pontificati e di alcune conferenze episcopali non ha ragion d’essere nel merito ed è contrario all’autentica pastorale.
Sintomatico esordio per tutto il volumetto: assenza di diagnosi dell’attualità storica – che la Chiesa dovrebbe leggere meramente come un’astorica “compagnia” – e una concezione della differenza cristiana esonerata, forse perché immunizzata, dalla dimensione critica, se non quella indotta dall’intelligencija e molto praticata da Bianchi: libertà civili, democrazia, pacifismo, declamazione giustizialista, pauperista e simili.
Certo, Bianchi condanna l’eccesso libertario (”reificazione della libertà”), poichè i cristiani credono che in ogni essere umano vi sia una legge, un ethos non rivelato, non scritto, non codificato, eppure “presente ed eloquente”. In questo consisterebbe l’universalità stessa dell’umano. La Chiesa è di conseguenza “presidio di autentico umanesimo”. Ma come? Egli dice: come spazio di dialogo e di recupero di principi condivisi, luogo di confronto tra etiche e atteggiamenti individuali. In Bianchi, la concessione alla Chiesa d’essere presidio di umanesimo e l’accettazione di una sua funzione pubblica (“patrimonio di sapienza non destinato a restare negli spazi del culto privato”) prendono subito la strada vetero-habermasiana dell’agire comunicativo. Non si capisce come possa un “presidio” coincidere a priori con un’arena o una funzione di confronto di etiche e atteggiamenti individuali: arena ove la materia da presidiare non può che essere questa stessa funzione dialogica, in sé protettiva di qualsiasi contenuto e atteggiamento messo correttamente in campo. Neppure Habermas è più convinto che la Verità sia mero “Diskurs”.
D’altronde un “presidio”, se il termine non è solo retorico, suppone un pericolo e un’azione di prevenzione e difesa; che è altro dall’apertura di spazi dialogici fini a se stessi. Sfugge a Bianchi che solo l’agire recente, anche conflittuale, della Chiesa è la negazione di quel confinamento al culto privato che egli teme, e che la dimensione di “setta per quanto influente” è proprio ciò che la recente politicità della Chiesa cattolica nega. Ma chi legga attentamente Bianchi sa di non potersi attendere molta consequenzialità argomentativa in un quadro ideologico pur coerente.
Per Bianchi, naturalmente, non v’è contraddizione tra fedeltà alla Chiesa e attaccamento all’istanza di laicità. Il priore critica la laicità alla francese, ma la “giusta laicità” sarebbe di “grande giovamento alla Chiesa”. I cristiani vi troverebbero protezione contro l’utilizzo della fede come “religione civile”, termine con cui egli designa del tutto erroneamente l’uso strumentale della religione da parte di quanti “misconoscono nuovamente la distinzione tra Dio e Cesare”. Sullo sfondo del conflitto attuale egli evoca ancora gli eccessi del cesaropapismo e della teocrazia latina medievale. Vi sarebbero, secondo Bianchi, forze che vogliono un ruolo dominante della Chiesa, cioè che non vogliono che la Chiesa mantenga viva la forza profetica, la memoria eversiva del Vangelo. Le istituzioni religiose verrebbero piegate alla “mediazione”, con una vicendevole “strumentalizzazione” di poteri religiosi, politici e sociali (pp. 14-15). Tutto ciò sarebbe contrario alla parola, profezia liberante, che chiede la rinuncia agli idoli societari.
Questi luoghi comuni non rappresentano solo una confusione estrema – come qualsiasi studioso coglie – tra teocratismo, disciplinamento religioso della società, religione civile, come tra mediazione politica e “strumentalizzazione” delle parti. In tutto il corso del libretto si invocano, come formule di rito, dialogo, ethos e spazio sociale condiviso; e naturalmente “integrazione”, nelle scontatissime pagine sui rapporti interetnici. Paradossalmente, questo corpo retorico che si sviluppa attorno all’espressione “presidio” è affine, senza che Bianchi lo sospetti, al vero quadro ideologico della moderna religione civile: “religione” subordinata alla “volonté générale” di una comunità roussoviana senza conflitto.
Dunque la Chiesa sarebbe “presidio di autentico umanesimo” da esercitare nello spazio pubblico; ma presidio vacuo, poiché ogni sua azione autorevole, se in contrasto con la “volonté générale”, sarebbe in sé, per Bianchi, “spegnimento di profezia” e “sacrificio agli idoli societari”. Nell’idea che “la profezia della Chiesa” si dia nella conformità alla “volonté générale” hanno creduto, a lungo, tutte le subculture cristiane subalterne dell’intelligencija rivoluzionaria. Oggi è tutto dimenticato, ma la religione civile che pretende il dominio è sempre quella dell’intelligencija (dei diritti emancipatori, oggi), mentre è difficile per la Chiesa esercitare il proprio “presidio” pubblico. Né sarà possibile che lo eserciti mai se seguirà il canone di Bianchi: “I pastori chiedono di essere ascoltati, consigliano, mettono in guardia ma non pretendono che la legge evangelica [ma non era il diritto naturale, "ethos non rivelato, non scritto, eppure eloquente" universalmente? - p.d.m.] sia tradotta in legge vincolante per tutti”.
“Evangelizzazione e dialogo, dunque!”. Ma come e su che cosa, se la preoccupazione maggiore è che “la definizione della verità [per Bianchi “prodotta e definita dalla Chiesa stessa” (p. 92)] rischia di sostituirsi alla Verità vivente, Gesù Cristo risorto”? La sudditanza ai “valori” dell’azione politica dell’intelligencija unita alla de-dogmatizzazione sono una pericolosa miscela, che non sarà Bose a trattenere sull’orlo del precipizio fideistico. Nel suo più recente libro “Per un’etica condivisa”, pubblicato nel 2009, il priore di Bose mostra, infatti, che anche in lui la scivolata prosegue. A p. 46 generosamente sostiene che è ancora possibile “raggiungere al cuore del loro vissuto ordinario” gli uomini di oggi: “È ancora possibile rendere conto di un legame vitale con una presenza invisibile che i credenti chiamano Dio. Certo, per fare questo appare oramai infruttuosa se non addirittura impraticabile la via dell’esposizione della dottrina e della dimostrazione dei dogmi”. Ovviamente la strada è, invece, quella del restare “attaccati” a “un Dio soprattutto raccontato, spiegato da Gesù Cristo”.
Che poi il Dio “raccontato, spiegato” da Gesù sia, anche nelle omelie dei parroci poco provveduti, il Dio del “forse Gesù non ha detto questo”, del “probabilmente non è avvenuto quello che l’evangelista racconta”, cioè della critica biblica orecchiata, diffusamente maneggiata senza criteri ermeneutici e senza teologia, insomma il Dio di un Gesù ricostruito arbitrariamente, a Bianchi non interessa. Né gli interessa, sul terreno dei fondamentali, che il Concilio Vaticano II non abbia annullato il rapporto necessario tra Scrittura e Tradizione, che solo può garantire la vera “doxa” sul “Dio spiegato da Gesù Cristo”. Purtroppo, su questo terreno, l’impietosa lettura di Livi tocca difetti e pericoli reali.
3. Sarebbe stato meglio per Bianchi non arroccarsi nel: “Io? quando mai?”. I “maestri” devono adattarsi, ormai, a un altro regime comunicativo e a maggiore autocontrollo; meglio se anche a una maggiore riflessione. Egualmente chi li pubblica.
Scrivo questo con dinanzi agli occhi anche l’ultima sortita pubblica di Bianchi, su “La Stampa” della domenica di Pasqua. L’articolo-omelia è per gran parte opinabile nei limiti della legittima diversità tra tutti noi. Personalmente, né da un giornale né da un pulpito vorrei sentirmi dire che nella Pasqua i cristiani “innanzitutto leggono una storia di passione e di morte”. Ritengo evidente che nella Pasqua i cristiani anzitutto rivivono la resurrezione e “leggono” ciò che in apertura della veglia pasquale recita l’Exultet, quando invoca uno squillante, regale annuncio “pro tanti Regis victoria”. Sarà la diversità delle nostre sensibilità comunicative, o qualcos’altro, che il finale dell’articolo di Bianchi rivela?
In effetti il priore di Bose poteva arrestarsi sulla battuta “politica” contro il Crocifisso come “simbolo culturale”, un tema complicato del genere “religione civile”, per affrontare il quale si richiederebbero categorie giuste. Pazienza. Ma egli si avventa sul terreno della testimonianza cristiana del Risorto: i cristiani ricordano e si dicono – scrive – “semplicemente questo: l’amore vissuto da Gesù ha vinto la morte… Gesù era umanissimo e ciò che aveva di eccezionale non era di ordine religioso [che significa? è un escamotage per evitare di dire che non era di ordine soprannaturale? - p.d.m.] ma umano. È con la sua umanità che egli, il Figlio di Dio e la Parola diventata uomo come noi, ci ha portato a Dio”. Per un cristiano augurare la buona Pasqua sarebbe, quindi, affermare: “Vorrei dirti che l’amore vince la morte”.
La protezione che l’inciso “il Figlio di Dio e la Parola ecc.” esercita sulle 14 righe finali dell’articolo è minima. Restano la romanticheria dell’enunciato: “l’amore vince la morte”, tutto minuscolo, pura enfasi adatta a tutti gli approdi, aperta a tutte le concezioni, da quella delle lettere giovannee al clima del romanzo rosa e della canzonetta. Quale “amore”? E quale “morte”? Abbiamo riflettuto e battagliato su morte e antropologia cristiana per anni, perche i “maestri” arrivino a dirci queste miserie? Qui non c’è neppure il buon senso (o il coraggio, su un quotidiano laico) di introdurre le maiuscole come a suggerire che, comunque, si intendono la vetta incarnata dell’Agape e la visione della Morte propria, poniamo, della teologia paolina della redenzione: “Ubi est mors aculeus tuus, ubi est mors victoria tua?”.
L’affermazione, poi, che “ciò che Gesù ebbe di eccezionale fu di ordine umano” è follemente equivoca. È la ripetizione di un topos del protestantesimo liberale. È per questo che Bianchi non dice che Gesù ha vinto la morte, ma che “l’amore vissuto da Gesù” lo ha fatto, cioè che a salvarci è stata semplicemente l’esperienza amorevole dell’umanissimo Gesù. Davvero i “teologi” del Gesù solo amore – questi neopietisti postmoderni – pensano che per vincere la Morte non sia stato necessario il Signore della Storia?
Il tutto è irresponsabilmente ai margini, se non fuori, della cristologia dei grandi Concili, di quei fondamenti trinitari e cristologici irrinunciabili la cui alterazione, frequente, conduce sempre a una predicazione dimezzata e infantile, a un cristianesimo informe, alla corruttela “teologica” dei best seller di un Vito Mancuso. Così, a cascata. Solo l’intervento di Pietro, temo, solo il “confirma fratres tuos” potrà fermare questa incosciente, gaia e stolida, caduta collettiva.
Firenze, 9 aprile 2012
Monday, April 09, 2012
Sunday, March 25, 2012
「宗派を超えて」に違和感と疑問
「宗派を超えて」に違和感と疑問
神奈川県・大船教会 江澤増雄 (77)
新聞や書物に折に触れて登場する、「宗教、民族、国籍を超えて」とか、「宗派を超えて」とかいう類の思想ないし理念に、私は違和感と疑問を抑えることができません。ごく最近の例では、あるタウン誌の第一面に、「明日、3月11日、建長寺では、神道・仏教・キリスト教が宗派を超えて 追悼・復興祈願祭」と題する記事がありました。
事ほどさように、日本国では「宗派を超えて」という思想ないし理念が、「宗派」の上位概念として平然と登場します。
この思想ないし理念は個々の「宗派」を数ある「宗派」の一つに相対化してしまうので、結局は「万教一致」思想にたどり着きます。「宗派を超えて」という思想ないし理念のもとでは「宗派」は相対的価値しかなく、「宗派」は人類が超えるべき障害の一つでしかありません。
しかし、「宗派を超えて」という思想ないし理念を是とする人からは、「宗派を超える」積極的な価値が示されることなく、示されるのはせいぜい人間中心の「人道主義」であり、それ以上のものではありません。
「宗派を超えて」という思想ないし理念には、果たして日本国以外の地にも妥当する普遍性があるのでしょうか。
カトリック新聞 2012年3月25日
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Thursday, March 08, 2012
Ricci added a sixth relationship to Confucianism
"Ricci is adding another dimension to the five relationships of Confucianism among human beings (king and officials, father and son, husband and wife, brother and brother, friend and friend): the relationship between human being and their Creator."
(CHUNG-YAN JOYCE CHAN, Commands from Heaven: Mattoe Ricci's Christianity in the Eyes of Ming Confucian Officials, Missiology vol. XXXI, 3, July 2003, p. 284)
(CHUNG-YAN JOYCE CHAN, Commands from Heaven: Mattoe Ricci's Christianity in the Eyes of Ming Confucian Officials, Missiology vol. XXXI, 3, July 2003, p. 284)
Thursday, February 16, 2012
Morale ockammista-kantiana e morale tomista
http://www.hprweb.com/2012/01/does-morality-inhibit-freedom/
Thursday, February 09, 2012
Individualismo e vita consacrata
G. MUCCI, Individualismo e vita consacrata, La Civilta' cattolica, 2005 II, 153-158.
(...)
R. Bellah ha distinto due aspetti o modalita' (Habits of the Heart. Individualism and Commitment in American Life, Univ. of California Press, 1985). C'e' un individualismo utilitaristico, fondato sul lavoro, attento a valutare rischi e possibilita' di successo, che subordina sentimenti ed esigenze agli interessi pratici. E c'e' un individualismo espressivo, che non nega la ricerca del successo, ma concede maggiore spazio alle varie esperienze che la vita permette e ai godimenti e ai piaceri.
(...)
Trattandosi di religiosi, si deve notare che il ruolo dell'autorita' non e' finito, ma va ripensato non ripetendo semplicemente i luoghi classici dell'ascetica (obbedienza, mortificazione, umilta'), ma tenendo in seria considerazione il nuovo orizzonte della liberta' individuale imposto dal clima culturale (...)Percio' il nuovo nome dell'autorita' non e' l'imposizione, ma la persuasione.
(...)
R. Bellah ha distinto due aspetti o modalita' (Habits of the Heart. Individualism and Commitment in American Life, Univ. of California Press, 1985). C'e' un individualismo utilitaristico, fondato sul lavoro, attento a valutare rischi e possibilita' di successo, che subordina sentimenti ed esigenze agli interessi pratici. E c'e' un individualismo espressivo, che non nega la ricerca del successo, ma concede maggiore spazio alle varie esperienze che la vita permette e ai godimenti e ai piaceri.
(...)
Trattandosi di religiosi, si deve notare che il ruolo dell'autorita' non e' finito, ma va ripensato non ripetendo semplicemente i luoghi classici dell'ascetica (obbedienza, mortificazione, umilta'), ma tenendo in seria considerazione il nuovo orizzonte della liberta' individuale imposto dal clima culturale (...)Percio' il nuovo nome dell'autorita' non e' l'imposizione, ma la persuasione.
Wednesday, February 08, 2012
Matteo Ricci e l'Illuminismo
1616
Histoire de l'expédition chrestienne au royaume de la Chine entreprise par les PP. de la Compagnie de Jésus: comprise en cinq livres esquels est traicté fort exactement et fidelelement des moeurs, loix et coustumes du pays, et des commencemens très-difficiles de l'Eglise naissante en ce royaume (1616) - French translation of De Christiana expeditione by D.F. de Riquebourg-Trigault. Full text available on Google Books.
1702-1776
"Lettres édifiantes et curieuses" (31 volumi) raccoglie le lettere dei gesuiti mandate dalla Cina in Europa. Scritti edificanti che mostrano i trionfi della fede. Prototipo della propaganda missionaria.
Les Lettres édifiantes et curieuses forment une large collection de 34 volumes de lettres envoyées en Europe par des Jésuites missionnaires en Chine, au Levant, en Inde, en Amérique, et ailleurs. Publiés entre 1702 et 1776, cette collection fit beaucoup pour ouvrir l’Europe de la Renaissance (surtout la France) aux cultures non-européennes.
Le Lettres édifiantes et curieuses (Lettere edificanti e curiose) sono un'ampia raccolta, in 34 volumi, di lettere inviate in Europa da gesuiti missionari in Cina, nel Levante, in India, in America, ed altrove. Pubblicate fra il 1702 ed il 1776 contribuirono parecchio ad aprire l’Europa (in particolare la Francia) alle culture non europee.
Ces publications jouèrent un rôle primordial dans l’ouverture et l’évolution des idées du Siècle des Lumières. Les grands esprits de l’époque tel que Voltaire et Montesquieu ne tarissaient pas d’éloges pour ce que les lettres leur apportèrent. Gottfried Leibniz parlait de la mission jésuite en Chine comme de la plus grande affaire de notre temps. Par leur objectivité précise, la diversité et l’ampleur des sujets traités et la profondeur de la réflexion elles méritent d’être placées parmi les grandes œuvres encyclopédiques du siècle des Lumières. Elles permirent une première relativisation de beaucoup de mœurs et coutumes européennes.
Queste pubblicazioni ebbero un ruolo primordiale nell'apertura e nell'evoluzione delle idee del Secolo dei Lumi. Le grandi menti dell'epoca come Voltaire e Montesquieu non mancavano di elogi per quanto le Lettere avevano apportato loro. Leibniz parlava della missione gesuita in Cina come del più grande caso dei nostri tempi. Per la loro precisa obiettività, la diversità e l'ampiezza dei soggetti meritano di essere poste fra le grandi opere enciclopediche del secolo dei Lumi. Esse permisero una prima relativizzazione di molti usi e costumi europei.
1755
L'Orphelin de la Chine est une pièce de théâtre de Voltaire écrite en 1755 et représentée pour la première fois le 20 août 1755 à la Comédie-Française.
--------
Il deismo confuciano come fondamento di una morale nuova giocata contro la necessita' della Rivelazione e della universale mediazione della Chiesa. I prodromi dell'Illuminismo sono il frutto dell'influenza delle lettere dei gesuiti, ancorche' interpretate in modo tendenzioso.
東洋文庫141、624、627
『マッテオ・リッチ伝』(平川祐弘著)
Histoire de l'expédition chrestienne au royaume de la Chine entreprise par les PP. de la Compagnie de Jésus: comprise en cinq livres esquels est traicté fort exactement et fidelelement des moeurs, loix et coustumes du pays, et des commencemens très-difficiles de l'Eglise naissante en ce royaume (1616) - French translation of De Christiana expeditione by D.F. de Riquebourg-Trigault. Full text available on Google Books.
1702-1776
"Lettres édifiantes et curieuses" (31 volumi) raccoglie le lettere dei gesuiti mandate dalla Cina in Europa. Scritti edificanti che mostrano i trionfi della fede. Prototipo della propaganda missionaria.
Les Lettres édifiantes et curieuses forment une large collection de 34 volumes de lettres envoyées en Europe par des Jésuites missionnaires en Chine, au Levant, en Inde, en Amérique, et ailleurs. Publiés entre 1702 et 1776, cette collection fit beaucoup pour ouvrir l’Europe de la Renaissance (surtout la France) aux cultures non-européennes.
Le Lettres édifiantes et curieuses (Lettere edificanti e curiose) sono un'ampia raccolta, in 34 volumi, di lettere inviate in Europa da gesuiti missionari in Cina, nel Levante, in India, in America, ed altrove. Pubblicate fra il 1702 ed il 1776 contribuirono parecchio ad aprire l’Europa (in particolare la Francia) alle culture non europee.
Ces publications jouèrent un rôle primordial dans l’ouverture et l’évolution des idées du Siècle des Lumières. Les grands esprits de l’époque tel que Voltaire et Montesquieu ne tarissaient pas d’éloges pour ce que les lettres leur apportèrent. Gottfried Leibniz parlait de la mission jésuite en Chine comme de la plus grande affaire de notre temps. Par leur objectivité précise, la diversité et l’ampleur des sujets traités et la profondeur de la réflexion elles méritent d’être placées parmi les grandes œuvres encyclopédiques du siècle des Lumières. Elles permirent une première relativisation de beaucoup de mœurs et coutumes européennes.
Queste pubblicazioni ebbero un ruolo primordiale nell'apertura e nell'evoluzione delle idee del Secolo dei Lumi. Le grandi menti dell'epoca come Voltaire e Montesquieu non mancavano di elogi per quanto le Lettere avevano apportato loro. Leibniz parlava della missione gesuita in Cina come del più grande caso dei nostri tempi. Per la loro precisa obiettività, la diversità e l'ampiezza dei soggetti meritano di essere poste fra le grandi opere enciclopediche del secolo dei Lumi. Esse permisero una prima relativizzazione di molti usi e costumi europei.
1755
L'Orphelin de la Chine est une pièce de théâtre de Voltaire écrite en 1755 et représentée pour la première fois le 20 août 1755 à la Comédie-Française.
--------
Il deismo confuciano come fondamento di una morale nuova giocata contro la necessita' della Rivelazione e della universale mediazione della Chiesa. I prodromi dell'Illuminismo sono il frutto dell'influenza delle lettere dei gesuiti, ancorche' interpretate in modo tendenzioso.
東洋文庫141、624、627
『マッテオ・リッチ伝』(平川祐弘著)
Tuesday, January 03, 2012
CRIMINALITY DEFENDED AS CULTURAL DIFFERENCE
1) Reuters on Olympus Japan corruption issue: It takes a NJ whistleblowing CEO to uncover it, yet he gets sacked for “cultural reasons”
This is still a growing issue, and there’s an excellent Reuters article below to hang this blog post on. Consider the case of Michael Woodford, a Brit hired more than thirty years ago by Japanese firm Olympus, with the superhuman tenacity to work his way up to the post of CEO (not hired, as are many of the famous NJ executives in Japanese companies, as an international prestige appointment).
The presumption is that his appointment was because Mr Woodford would be different — there are plenty of Japanese corporate drones who would have gladly not rocked the boat for a quiet life and comfortable salary. But when he actually does something different, such as uncover and question possible corporate malfeasance, he gets fired because “his style of management was incompatible with traditional Japanese practices”.
This of course, as further investigations finally gather traction, calls into practice the cleanliness of those traditional Japanese corporate practices. And it looks like the only way to get them investigated properly in Japan is to take the issue to overseas regulators (this is, after all, an international company, if only in the sense that it has international holdings, but now beholden to international standards).
Not to mention the Japanese media (which, as the article alludes to below, is once again asleep at its watchdog position). None of this is surprising to the Old Japan Hands, especially those let anywhere close to Japanese corporate boardrooms, who see this nest feathering as a normal, nay, an obvious part of Japanese corporate culture the higher and richer you go.
But woe betide the NJ whistleblower — perpetually in a vulnerable position for being of the wrong race and for not doing what he’s told like a good little gaijin. After all, there’s peer pressure behind membership in “Team Japan”, and as soon as it’s convenient, the race/culture card gets pulled by the crooks to excuse themselves. I’m just glad Mr. Woodford had the guts to do what he did. I doubt it’ll result in a system-wide cleanup (the rot is too systemic and entrenched, and few watch the watchers in corporatist Japan). But you gotta start somewhere, since exposure of corruption must be seen to be becoming commonplace in post-Fukushima Japan. Bravo Mr. Woodford, and expose away.
http://www.debito.org/?p=9576
This is still a growing issue, and there’s an excellent Reuters article below to hang this blog post on. Consider the case of Michael Woodford, a Brit hired more than thirty years ago by Japanese firm Olympus, with the superhuman tenacity to work his way up to the post of CEO (not hired, as are many of the famous NJ executives in Japanese companies, as an international prestige appointment).
The presumption is that his appointment was because Mr Woodford would be different — there are plenty of Japanese corporate drones who would have gladly not rocked the boat for a quiet life and comfortable salary. But when he actually does something different, such as uncover and question possible corporate malfeasance, he gets fired because “his style of management was incompatible with traditional Japanese practices”.
This of course, as further investigations finally gather traction, calls into practice the cleanliness of those traditional Japanese corporate practices. And it looks like the only way to get them investigated properly in Japan is to take the issue to overseas regulators (this is, after all, an international company, if only in the sense that it has international holdings, but now beholden to international standards).
Not to mention the Japanese media (which, as the article alludes to below, is once again asleep at its watchdog position). None of this is surprising to the Old Japan Hands, especially those let anywhere close to Japanese corporate boardrooms, who see this nest feathering as a normal, nay, an obvious part of Japanese corporate culture the higher and richer you go.
But woe betide the NJ whistleblower — perpetually in a vulnerable position for being of the wrong race and for not doing what he’s told like a good little gaijin. After all, there’s peer pressure behind membership in “Team Japan”, and as soon as it’s convenient, the race/culture card gets pulled by the crooks to excuse themselves. I’m just glad Mr. Woodford had the guts to do what he did. I doubt it’ll result in a system-wide cleanup (the rot is too systemic and entrenched, and few watch the watchers in corporatist Japan). But you gotta start somewhere, since exposure of corruption must be seen to be becoming commonplace in post-Fukushima Japan. Bravo Mr. Woodford, and expose away.
http://www.debito.org/?p=9576
The costly fallout of tatemae and Japan's culture of deceit | The Japan Times Online
The costly fallout of tatemae and Japan's culture of deceit | The Japan Times Online
By DEBITO ARUDOU
There is an axiom in Japanese: uso mo hōben — "lying is also a means to an end." It sums up the general attitude in Japan of tolerance of — even justification for — not telling the truth.
First — defining "telling the truth" as divulging the truth (not a lie), the whole truth (full disclosure) and nothing but the truth (uncompounded with lies) — consider how lies are deployed in everyday personal interactions.
Let's start with good old tatemae (charitably translated as "pretense"). By basically saying something you think the listener wants to hear, tatemae is, essentially, lying. That becomes clearer when the term is contrasted with its antonym, honne, one's "true feelings and intentions."
Tatemae, however, goes beyond the "little white lie," as it is often justified less by the fact you have avoided hurting your listener's feelings, more by what you have gained from the nondisclosure.
But what if you disclose your true feelings? That's often seen negatively, as baka shōjiki ("stupidly honest"): imprudent, naive, even immature. Skillful lying is thus commendable — it's what adults in society learn to do.
Now extrapolate. What becomes of a society that sees lying as a justifiably institutionalized practice? Things break down. If everyone is expected to lie, who or what can you trust?
Consider law enforcement. Japan's lack of even the expectation of full disclosure means, for example, there is little right to know your accuser (e.g., in bullying cases). In criminal procedure, the prosecution controls the flow of information to the judge (right down to what evidence is admissible). And that's before we get into how secretive and deceptive police interrogations are infamous for being.
Consider jurisprudence. Witnesses are expected to lie to such an extent that Japan's perjury laws are weak and unenforceable. Civil court disputes (try going through, for example, a divorce) often devolve into one-upmanship lying matches, flippantly dismissed as "he-said, she-said" (mizukake-ron). And judges, as seen in the Valentine case (Zeit Gist, Aug. 14, 2007), will assume an eyewitness is being untruthful simply based on his/her attributes — in this case because the witness was foreign like the plaintiff.
Consider administrative procedure. Official documents and public responses attach organizational affiliations but few actual names for accountability. Those official pronouncements, as I'm sure many readers know due to arbitrary Immigration decisions, often fall under bureaucratic "discretion" (sairyō), with little if any right of appeal. And if you need further convincing, just look at the loopholes built into Japan's Freedom of Information Act.
All this undermines trust of public authority. Again, if bureaucrats (like everyone else) are not expected to fully disclose, society gets a procuracy brazenly ducking responsibility wherever possible through vague directives, masked intentions and obfuscation.
This is true to some degree of all bureaucracies, but the problem in Japan is that this nondisclosure goes relatively unpunished. Our media watchdogs, entrusted with upholding public accountability, often get distracted or corrupted by editorial or press club conceits. Or, giving reporters the benefit of the doubt, it's hard to know which lyin' rat to pounce on first when there are so many. Or journalists themselves engage in barely researched, unscientific or sensationalistic reporting, undermining their trustworthiness as information sources.
Public trust, once lost, is hard to regain. In such a climate, even if the government does tell the truth, people may still disbelieve it. Take, for example, the Environment Ministry's recent strong-arming of regional waste management centers to process Tohoku disaster ruins: Many doubt government claims that radioactive rubble will not proliferate nationwide, fanning fears that the nuclear power industry is trying to make itself less culpable for concentrated radiation poisoning by irradiating everyone (see www.debito.org/?p=954!)!
Apologists would say (and they do) that lying is what everyone in positions of power does worldwide, since power itself corrupts. But there is the matter of degree, and in Japan there is scant reward for telling the truth — and ineffective laws to protect whistle-blowers. It took a brave foreign CEO at Olympus Corp. to come out recently about corporate malfeasance; he was promptly sacked, reportedly due to his incompatibility with "traditional Japanese practices." Yes, quite so.
This tradition of lying has a long history. The Japanese Empire's deception about its treatment of prisoners of war and noncombatants under the Geneva Conventions (e.g., the Bataan Death March, medical experiments under Unit 731), not to mention lying to its own civilians about how they would be treated if captured by the Allies, led to some of the most horrifying mass murder-suicides of Japanese, dehumanizing reprisals by their enemies, and war without mercy in World War II's Pacific Theater.
Suppressing those historical records, thanks to cowardice among Japan's publishers, reinforced by a general lack of "obligation to the truth," has enabled a clique of revisionists to deny responsibility for Japan's past atrocities, alienating it from its neighbors in a globalizing world.
Even today, in light of Fukushima, Japan's development into a modern and democratic society seems to have barely scratched the surface of this culture of deceit. Government omerta and omission kept the nation ignorant about the most basic facts — including reactor meltdowns — for months!
Let me illustrate the effects of socially accepted lying another way: What is considered the most untrustworthy of professions? Politics, of course. Because politicians are seen as personalities who, for their own survival, appeal to people by saying what they want to hear, regardless of their own true feelings.
That is precisely what tatemae does to Japanese society. It makes everyone into a politician, changing the truth to suit their audience, garner support or deflect criticism and responsibility.
Again, uso mo hoben: As long as you accomplish your goals, lying is a means to an end. The incentives in Japan are clear. Few will tell the truth if they will be punished for doing so, moreover rarely punished for not doing so.
No doubt a culturally relativistic observer would attempt to justify this destructive dynamic by citing red herrings and excuses (themselves tatemae) such as "conflict avoidance," "maintaining group harmony," "saving face," or whatever. Regardless, the awful truth is: "We Japanese don't lie. We just don't tell the truth."
This is not sustainable. Post-Fukushima Japan must realize that public acceptance of lying got us into this radioactive mess in the first place.
For radiation has no media cycle. It lingers and poisons the land and food chain. Statistics may be obfuscated or suppressed as usual. But radiation's half-life is longer than the typical attention span or sustainable degree of public outrage.
As the public — possibly worldwide — sickens over time, the truth will leak out.
By DEBITO ARUDOU
There is an axiom in Japanese: uso mo hōben — "lying is also a means to an end." It sums up the general attitude in Japan of tolerance of — even justification for — not telling the truth.
First — defining "telling the truth" as divulging the truth (not a lie), the whole truth (full disclosure) and nothing but the truth (uncompounded with lies) — consider how lies are deployed in everyday personal interactions.
Let's start with good old tatemae (charitably translated as "pretense"). By basically saying something you think the listener wants to hear, tatemae is, essentially, lying. That becomes clearer when the term is contrasted with its antonym, honne, one's "true feelings and intentions."
Tatemae, however, goes beyond the "little white lie," as it is often justified less by the fact you have avoided hurting your listener's feelings, more by what you have gained from the nondisclosure.
But what if you disclose your true feelings? That's often seen negatively, as baka shōjiki ("stupidly honest"): imprudent, naive, even immature. Skillful lying is thus commendable — it's what adults in society learn to do.
Now extrapolate. What becomes of a society that sees lying as a justifiably institutionalized practice? Things break down. If everyone is expected to lie, who or what can you trust?
Consider law enforcement. Japan's lack of even the expectation of full disclosure means, for example, there is little right to know your accuser (e.g., in bullying cases). In criminal procedure, the prosecution controls the flow of information to the judge (right down to what evidence is admissible). And that's before we get into how secretive and deceptive police interrogations are infamous for being.
Consider jurisprudence. Witnesses are expected to lie to such an extent that Japan's perjury laws are weak and unenforceable. Civil court disputes (try going through, for example, a divorce) often devolve into one-upmanship lying matches, flippantly dismissed as "he-said, she-said" (mizukake-ron). And judges, as seen in the Valentine case (Zeit Gist, Aug. 14, 2007), will assume an eyewitness is being untruthful simply based on his/her attributes — in this case because the witness was foreign like the plaintiff.
Consider administrative procedure. Official documents and public responses attach organizational affiliations but few actual names for accountability. Those official pronouncements, as I'm sure many readers know due to arbitrary Immigration decisions, often fall under bureaucratic "discretion" (sairyō), with little if any right of appeal. And if you need further convincing, just look at the loopholes built into Japan's Freedom of Information Act.
All this undermines trust of public authority. Again, if bureaucrats (like everyone else) are not expected to fully disclose, society gets a procuracy brazenly ducking responsibility wherever possible through vague directives, masked intentions and obfuscation.
This is true to some degree of all bureaucracies, but the problem in Japan is that this nondisclosure goes relatively unpunished. Our media watchdogs, entrusted with upholding public accountability, often get distracted or corrupted by editorial or press club conceits. Or, giving reporters the benefit of the doubt, it's hard to know which lyin' rat to pounce on first when there are so many. Or journalists themselves engage in barely researched, unscientific or sensationalistic reporting, undermining their trustworthiness as information sources.
Public trust, once lost, is hard to regain. In such a climate, even if the government does tell the truth, people may still disbelieve it. Take, for example, the Environment Ministry's recent strong-arming of regional waste management centers to process Tohoku disaster ruins: Many doubt government claims that radioactive rubble will not proliferate nationwide, fanning fears that the nuclear power industry is trying to make itself less culpable for concentrated radiation poisoning by irradiating everyone (see www.debito.org/?p=954!)!
Apologists would say (and they do) that lying is what everyone in positions of power does worldwide, since power itself corrupts. But there is the matter of degree, and in Japan there is scant reward for telling the truth — and ineffective laws to protect whistle-blowers. It took a brave foreign CEO at Olympus Corp. to come out recently about corporate malfeasance; he was promptly sacked, reportedly due to his incompatibility with "traditional Japanese practices." Yes, quite so.
This tradition of lying has a long history. The Japanese Empire's deception about its treatment of prisoners of war and noncombatants under the Geneva Conventions (e.g., the Bataan Death March, medical experiments under Unit 731), not to mention lying to its own civilians about how they would be treated if captured by the Allies, led to some of the most horrifying mass murder-suicides of Japanese, dehumanizing reprisals by their enemies, and war without mercy in World War II's Pacific Theater.
Suppressing those historical records, thanks to cowardice among Japan's publishers, reinforced by a general lack of "obligation to the truth," has enabled a clique of revisionists to deny responsibility for Japan's past atrocities, alienating it from its neighbors in a globalizing world.
Even today, in light of Fukushima, Japan's development into a modern and democratic society seems to have barely scratched the surface of this culture of deceit. Government omerta and omission kept the nation ignorant about the most basic facts — including reactor meltdowns — for months!
Let me illustrate the effects of socially accepted lying another way: What is considered the most untrustworthy of professions? Politics, of course. Because politicians are seen as personalities who, for their own survival, appeal to people by saying what they want to hear, regardless of their own true feelings.
That is precisely what tatemae does to Japanese society. It makes everyone into a politician, changing the truth to suit their audience, garner support or deflect criticism and responsibility.
Again, uso mo hoben: As long as you accomplish your goals, lying is a means to an end. The incentives in Japan are clear. Few will tell the truth if they will be punished for doing so, moreover rarely punished for not doing so.
No doubt a culturally relativistic observer would attempt to justify this destructive dynamic by citing red herrings and excuses (themselves tatemae) such as "conflict avoidance," "maintaining group harmony," "saving face," or whatever. Regardless, the awful truth is: "We Japanese don't lie. We just don't tell the truth."
This is not sustainable. Post-Fukushima Japan must realize that public acceptance of lying got us into this radioactive mess in the first place.
For radiation has no media cycle. It lingers and poisons the land and food chain. Statistics may be obfuscated or suppressed as usual. But radiation's half-life is longer than the typical attention span or sustainable degree of public outrage.
As the public — possibly worldwide — sickens over time, the truth will leak out.
Saturday, December 31, 2011
Wednesday, December 28, 2011
コルモスに参加して
「現代における宗教の役割研究会」(Conference On Religion and Modern Society - CORMOS)の第58回研究会議(京都国際ホテル・2001年12月26-27日)に参加して感じたことを書きます。
石蔵 文信(いしくら ふみのぶ)は、医者として「巨人性うつと阪神性不安」という著書に書いているように、男性更年期外来の人は両方を抱えている。
読売巨人軍(とそのファン)は、常に勝つことを義務付けられている(と思いこんでいる)。幸せ慣れした人は突然の不幸に弱く、些細なことに傷つく。つまずいたことのない人は転び方がわからずに大怪我をする! それが「巨人性うつ」なのだそうです。「つまずいたら、つまずく前のように走ろうと無理をしてはいけない。少し症状が良くなると、すぐ元のように働こうとする。そして、ぶり返して元の木阿弥になるのである。」・・・典型的なうつ病の経過を、見事に巨人ファンの心理を通して解説しておりました。
一方、阪神です。「いつも負けているのに今年は優勝するかもしれない?」・・・そんな絶好調の真っ只中での阪神(とそのファン)の心理です。慣れない幸せに恵まれると落ち着かない、不安でたまらない。今日は良いけど明日から全部負けるかもしれない。この幸せの先にもっと大きな不幸があるかもしれない!といつも不安に思うのです。これが「阪神性不安」です。不安になると過去の失敗ばかりに気をとられて「また失敗するのではないか」と悪い予感にとらわれる。これを避けるには過去の良いことばかり思い出せばいい。
不安と言われると私はゲーテの『ファウスト』を思い出します。メフィストフェレスと取引をしたファウストは感じたのは不安ではなかったかと思います。
今月は真珠湾攻撃の70周年に当たります。これについて朝日新聞(12月8日朝刊)に東大の加藤陽子教授のインタビューが載っていました。真珠湾攻撃に終わったサイクルは明治維新に始まるというのです。そして、「今の日本社会の状況が、昔のこの時代に似ていて心配です。」
明治維新というと、「追いつけ追い越せ」、「和魂洋才」、「富国強兵」、「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」というスローガンを思い出します。西洋の技術(洋才)だけ輸入し、大和魂を守るといいながら、実はそこにメフィストフェレス的な取引はなかったかと思われます。大村さんが「敗戦後の日本に輸入された欧米の宗教文化」を嘆いておられるが、戦後ではない、明治でしょう。明治において欧米から技術を輸入しながら、拒んだのは宗教ではないか。技術と富と権力にメフィストフェレス的なものが付いて回るのは分からなかったのか。今やっと分かるようになったのか。
石蔵 文信(いしくら ふみのぶ)は、医者として「巨人性うつと阪神性不安」という著書に書いているように、男性更年期外来の人は両方を抱えている。
読売巨人軍(とそのファン)は、常に勝つことを義務付けられている(と思いこんでいる)。幸せ慣れした人は突然の不幸に弱く、些細なことに傷つく。つまずいたことのない人は転び方がわからずに大怪我をする! それが「巨人性うつ」なのだそうです。「つまずいたら、つまずく前のように走ろうと無理をしてはいけない。少し症状が良くなると、すぐ元のように働こうとする。そして、ぶり返して元の木阿弥になるのである。」・・・典型的なうつ病の経過を、見事に巨人ファンの心理を通して解説しておりました。
一方、阪神です。「いつも負けているのに今年は優勝するかもしれない?」・・・そんな絶好調の真っ只中での阪神(とそのファン)の心理です。慣れない幸せに恵まれると落ち着かない、不安でたまらない。今日は良いけど明日から全部負けるかもしれない。この幸せの先にもっと大きな不幸があるかもしれない!といつも不安に思うのです。これが「阪神性不安」です。不安になると過去の失敗ばかりに気をとられて「また失敗するのではないか」と悪い予感にとらわれる。これを避けるには過去の良いことばかり思い出せばいい。
不安と言われると私はゲーテの『ファウスト』を思い出します。メフィストフェレスと取引をしたファウストは感じたのは不安ではなかったかと思います。
今月は真珠湾攻撃の70周年に当たります。これについて朝日新聞(12月8日朝刊)に東大の加藤陽子教授のインタビューが載っていました。真珠湾攻撃に終わったサイクルは明治維新に始まるというのです。そして、「今の日本社会の状況が、昔のこの時代に似ていて心配です。」
明治維新というと、「追いつけ追い越せ」、「和魂洋才」、「富国強兵」、「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」というスローガンを思い出します。西洋の技術(洋才)だけ輸入し、大和魂を守るといいながら、実はそこにメフィストフェレス的な取引はなかったかと思われます。大村さんが「敗戦後の日本に輸入された欧米の宗教文化」を嘆いておられるが、戦後ではない、明治でしょう。明治において欧米から技術を輸入しながら、拒んだのは宗教ではないか。技術と富と権力にメフィストフェレス的なものが付いて回るのは分からなかったのか。今やっと分かるようになったのか。
Equivoci su comunita' e missione
Cosa si intende precisamente quando si dice che il soggetto della missione e' la comunita'?Che la missione e' fatta dalla comunita' e non dall'individuo?
Non ci sono forse molti fraintendimenti o preconcetti ideologici, quando si parla di missione e comunita'?
Si prega di meditare i due posts qui sotto.
Non ci sono forse molti fraintendimenti o preconcetti ideologici, quando si parla di missione e comunita'?
Si prega di meditare i due posts qui sotto.
Community, Mission and the Individual
"Karl Barth clearly put the election of the Church (the community) before that of the individual (Church Dogmatic II/2, 195-305). In some way, therefore the community becoms mother of the faithful. In itself this is not wrong, but Catholic thought complements it: here the community's place is occupied by a person, most concretely by the Mother of Jesus; her mission is also to be the mother of his brothers, of his 'Mystical Body'(...). (...)This can be illustrated by the mission of Abraham. (...)It is impossible to discover which is prior in God's plan: the election of the individual for his universal mission or the election of the 'great nation' (Gen 12:2f) that is to result from that mission. The universal mission only exist as the pr longation of the person, and the person only exist through being thus prolonged in the mission.
(...)No longer do we simply have a number of individuals forming a community on the basis of a shared specific nature and the relation between the sexes. Rather, every individual who has been personalized in Christ has within him a sphere of community in virtue of his mission, for the mission proceeds from the individual member (that is from each person and its goal is the entire Body.
(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 273ff)
共同体と宣教と個人
「カール・バルトははっきりと教会(共同体)の選びを個人の選びに先行させている(Church Dogmatic II/2, 195-305)。従って、ある意味で共同体は信仰者の生みの母親となる。これは、それ自体で間違っていないが、カトリック思想はそれを補足する。カトリックにおいては共同体の場は一人の個人によって占められている。それは、最も具体的な意味でイエスの母である。彼女の使命はイエスの兄弟、その『神秘体』の母となることでもある(...)。(...)これは、アブラハムの使命にたとえることができる。(...)神の計画には何が先行するか、普遍的な使命に向けての個人の選びか、それともその使命から生まれる『大いなる国民』(創世記12・2)の選びか、を突き止めることは不可能である。普遍的使命は存在するのは、個人の延長線においてのみであり、個人は存在するのは、使命に延長させられることを通してのみである。
(...)もはや、我々はただ単に、共有される種的本性と男女の関係に基づいた共同体を形成する数々の個人を持っているわけではない。むしろ、我々は持っているのは、キリストによって人格付けられた各々の個人である。宣教使命は個人のメンバー(つまり各個人から、そしてその目標は『体』全体である)から発生(proceed)するがゆえに、各個人は、使命のゆえに、共同体の本分を自分のうちに持っている。(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 273ffからの私訳)
"D. THE INDIVIDUAL
I. The Pathos of the Christian Individual
(...)We began by considering Christ, the unique individual in world history who becomes universally present and universally necessary. We went on to consider the feminine answer he receives, an answer given by a single woman. Only on the basis of this primal encounter did what we call 'community' come about - facilitated by other individuals, namely, the first disciples. However firmly these individuals may have been anchored in a given (Jewish) community - with the result that the event took place 'in the fullness of time' - the fact remains that the event as such was brought about uniquely by them, by individuals; it continues to rest upon them.
To this extent, a very particular pathos attacches to the 'individual' in the Christian context. (...) In Christian terms, community can only be a community of disciples, and such community must begin in particularity; moreover, it must CONTINUE in particularity, for this is how Christ's path began, proceeded - and ended.
(...)This will give us a new perspective on the Church and on life in the Church. (...)though she is Christ's community of love, che consists of individuals who live their lives following the solitary Christ.
D.個人
I キリスト教的個人のパトス
「我々は、普遍的に偏在するようになり、必然的な存在となった、世界史におけるユニークな個人、キリストを考察することから話を始めた。そこから、彼が一人の女から受けた女性的答えを考察することに進んだ。この原初的出会いにおいてのみ、我々は共同体と呼んでいるものが生じた、他の個人、つまり最初の弟子たちに助けられて。これらの個々人は、(ユダヤ教的)共同体にどれほど支えられたせよ、結果的に出来事は「時が満ちる」中で起こったにせよ、出来事そのものは生じさせたのは個人としての彼らであった事実は変わらない。そして、現在に至るまで個人の彼らを土台として続いている。その限り、キリスト教においては『個人』には極めて独特なパトスが付きまとっている。(...)キリスト教的な意味で、共同体は弟子の共同体でなければならず、そのような共同体は特殊性から始めなければならない。しかも、特殊性の道を歩み続かなければならない。なぜなら、それはキリストによって始められ、続けられ、終えたであるから。(...)これで、我々は、教会そして教会における生活について新しい視点を得たのである。教会はキリストの愛の共同体であるにせよ、教会は孤独なキリストに従って生活し、人生を生きている個々人から構成されている。
a. Community and Mission
The Eleven who, at the end of the Gospel of Matthew, are given the exalted Lord's command to go forth are rent asunder by centrifugal force.
b. The Situation of the Witness
So it can happen that an individual, sent out into a non-Christian world or finding himself there against his will, can follow his Lord by representing the Church as such.
(...)Witness, martyrion, is always the individual's response to Christ, but it is always made in teh name of the Church and concretely represent her. Whether the martyrdom is bloody or unbloody, the person who gives it, staking his whole existence on it, speaks and 'acts', not for himself, but IN PERSONA ECCLESIAE. The Church is concentrated in this individual; he steps forth in her name, with or without an explicit commission.
(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 447ff)
a.共同体と宣教使命
マタイ福音書の終わりで、栄光を受けた主から派遣された11人は、遠心力によって離れ離れになる。
b.証人の状況
従って、次のようなことが起こりうる。ある個人は非キリスト教的世界に送られ、それを望まなくても、教会そのものを代表することを通して、自分の主に従うということ。
(...)証し、殉教はいつも個人のキリストへの答えであるが、それはいつも教会の名においてなされ、具体的に教会を代表(表示)する。証し(殉教)は流血を伴うあるいは伴わないにせよ、自分の全存在をかけながら、それを行う個人は、話するのは、行為するのは、自分ゆえにではなく、『教会に代わって』(in persona Ecclesiae)である。教会がこの個人に凝縮されるのである。彼は教会の名において、明示的な委嘱があってもなくても、足を踏み込むのである。
(...)No longer do we simply have a number of individuals forming a community on the basis of a shared specific nature and the relation between the sexes. Rather, every individual who has been personalized in Christ has within him a sphere of community in virtue of his mission, for the mission proceeds from the individual member (that is from each person and its goal is the entire Body.
(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 273ff)
共同体と宣教と個人
「カール・バルトははっきりと教会(共同体)の選びを個人の選びに先行させている(Church Dogmatic II/2, 195-305)。従って、ある意味で共同体は信仰者の生みの母親となる。これは、それ自体で間違っていないが、カトリック思想はそれを補足する。カトリックにおいては共同体の場は一人の個人によって占められている。それは、最も具体的な意味でイエスの母である。彼女の使命はイエスの兄弟、その『神秘体』の母となることでもある(...)。(...)これは、アブラハムの使命にたとえることができる。(...)神の計画には何が先行するか、普遍的な使命に向けての個人の選びか、それともその使命から生まれる『大いなる国民』(創世記12・2)の選びか、を突き止めることは不可能である。普遍的使命は存在するのは、個人の延長線においてのみであり、個人は存在するのは、使命に延長させられることを通してのみである。
(...)もはや、我々はただ単に、共有される種的本性と男女の関係に基づいた共同体を形成する数々の個人を持っているわけではない。むしろ、我々は持っているのは、キリストによって人格付けられた各々の個人である。宣教使命は個人のメンバー(つまり各個人から、そしてその目標は『体』全体である)から発生(proceed)するがゆえに、各個人は、使命のゆえに、共同体の本分を自分のうちに持っている。(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 273ffからの私訳)
"D. THE INDIVIDUAL
I. The Pathos of the Christian Individual
(...)We began by considering Christ, the unique individual in world history who becomes universally present and universally necessary. We went on to consider the feminine answer he receives, an answer given by a single woman. Only on the basis of this primal encounter did what we call 'community' come about - facilitated by other individuals, namely, the first disciples. However firmly these individuals may have been anchored in a given (Jewish) community - with the result that the event took place 'in the fullness of time' - the fact remains that the event as such was brought about uniquely by them, by individuals; it continues to rest upon them.
To this extent, a very particular pathos attacches to the 'individual' in the Christian context. (...) In Christian terms, community can only be a community of disciples, and such community must begin in particularity; moreover, it must CONTINUE in particularity, for this is how Christ's path began, proceeded - and ended.
(...)This will give us a new perspective on the Church and on life in the Church. (...)though she is Christ's community of love, che consists of individuals who live their lives following the solitary Christ.
D.個人
I キリスト教的個人のパトス
「我々は、普遍的に偏在するようになり、必然的な存在となった、世界史におけるユニークな個人、キリストを考察することから話を始めた。そこから、彼が一人の女から受けた女性的答えを考察することに進んだ。この原初的出会いにおいてのみ、我々は共同体と呼んでいるものが生じた、他の個人、つまり最初の弟子たちに助けられて。これらの個々人は、(ユダヤ教的)共同体にどれほど支えられたせよ、結果的に出来事は「時が満ちる」中で起こったにせよ、出来事そのものは生じさせたのは個人としての彼らであった事実は変わらない。そして、現在に至るまで個人の彼らを土台として続いている。その限り、キリスト教においては『個人』には極めて独特なパトスが付きまとっている。(...)キリスト教的な意味で、共同体は弟子の共同体でなければならず、そのような共同体は特殊性から始めなければならない。しかも、特殊性の道を歩み続かなければならない。なぜなら、それはキリストによって始められ、続けられ、終えたであるから。(...)これで、我々は、教会そして教会における生活について新しい視点を得たのである。教会はキリストの愛の共同体であるにせよ、教会は孤独なキリストに従って生活し、人生を生きている個々人から構成されている。
a. Community and Mission
The Eleven who, at the end of the Gospel of Matthew, are given the exalted Lord's command to go forth are rent asunder by centrifugal force.
b. The Situation of the Witness
So it can happen that an individual, sent out into a non-Christian world or finding himself there against his will, can follow his Lord by representing the Church as such.
(...)Witness, martyrion, is always the individual's response to Christ, but it is always made in teh name of the Church and concretely represent her. Whether the martyrdom is bloody or unbloody, the person who gives it, staking his whole existence on it, speaks and 'acts', not for himself, but IN PERSONA ECCLESIAE. The Church is concentrated in this individual; he steps forth in her name, with or without an explicit commission.
(H. U. von Balthasar, Theo-Drama, III, 447ff)
a.共同体と宣教使命
マタイ福音書の終わりで、栄光を受けた主から派遣された11人は、遠心力によって離れ離れになる。
b.証人の状況
従って、次のようなことが起こりうる。ある個人は非キリスト教的世界に送られ、それを望まなくても、教会そのものを代表することを通して、自分の主に従うということ。
(...)証し、殉教はいつも個人のキリストへの答えであるが、それはいつも教会の名においてなされ、具体的に教会を代表(表示)する。証し(殉教)は流血を伴うあるいは伴わないにせよ、自分の全存在をかけながら、それを行う個人は、話するのは、行為するのは、自分ゆえにではなく、『教会に代わって』(in persona Ecclesiae)である。教会がこの個人に凝縮されるのである。彼は教会の名において、明示的な委嘱があってもなくても、足を踏み込むのである。
Thursday, December 22, 2011
Witness of the individual
"In this most extreme situation, where the individual has to represent the Church without being adequately seconded by the Church herself (as a community and as an institution), we have one of the high points of theological drama. (...)
Such a situation was found in the early centuries and has been reproduced ever since. Yet it is surpassed by the bitter experience of individuals who find themselves deprived of this companionship, not as a result of external force, but because of a substantial, inner lack of genuine Church fellowship.
Here the individual has to bear witness to the authentic Church of Christ in the face of an environment that mistakenly imagines it is of the Church."
H. U. Von Balthasar, Theo-drama, III, p. 455
個人の証し
「個人が、(共同体として、制度としての)教会自体から十分に支えられることなく、教会を代表(表示)しなければならいという最も極端な状況において、我々は神学的ドラマの最高の地点の一つをもっている。(...)このような状況は初代教会にもあったし、現在にいたるまで絶えず繰り返される。ところが、それを超える状況はある。それは、外的強制力からではなく、教会内の本物の交わりの欠如のゆえに、仲間の支えを奪われる個々人の苦い体験である。
そこで、勘違いして教会らしいものであると思われる環境に対して、個人がキリストの本当の教会の証しを立てなければならないのである。(H. U. Von Balthasar, Theo-drama, III, p. 455)
iPadから送信
Such a situation was found in the early centuries and has been reproduced ever since. Yet it is surpassed by the bitter experience of individuals who find themselves deprived of this companionship, not as a result of external force, but because of a substantial, inner lack of genuine Church fellowship.
Here the individual has to bear witness to the authentic Church of Christ in the face of an environment that mistakenly imagines it is of the Church."
H. U. Von Balthasar, Theo-drama, III, p. 455
個人の証し
「個人が、(共同体として、制度としての)教会自体から十分に支えられることなく、教会を代表(表示)しなければならいという最も極端な状況において、我々は神学的ドラマの最高の地点の一つをもっている。(...)このような状況は初代教会にもあったし、現在にいたるまで絶えず繰り返される。ところが、それを超える状況はある。それは、外的強制力からではなく、教会内の本物の交わりの欠如のゆえに、仲間の支えを奪われる個々人の苦い体験である。
そこで、勘違いして教会らしいものであると思われる環境に対して、個人がキリストの本当の教会の証しを立てなければならないのである。(H. U. Von Balthasar, Theo-drama, III, p. 455)
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Sunday, December 18, 2011
Il senso del morire
Il senso del morire oggi
Forte come la morte è l'amore
di GIULIANO ZANCHI
Dietro vetrine di negozi. In crocchi improvvisati tra angoli di strade. Dentro le stanze delle case. Conversazioni si smorzano fino a morire attratte altrove da rintocchi di campana. Suoni grevi e afflitti, sparsi nell'aria da una cadenza blanda e affilata. Nell'eco languida dei loro riverberi, come neve, su tutti si posa la conferma che la morte visita l'uomo con lo stesso disarmato stordimento della vita e dell'amore. Si è sempre sorpresi: del trovarsi per incanto a vivere, del sentirsi a un tratto presi nel vincolo di un viso amato, del doversi congedare da questo mondo e da tutti i suoi splendidi legami. Ogni volta è come riaversi da un sonno. E la cupa dolcezza del metallo preme con delicatezza sull'umana dissimulazione di ogni giorno: senti... si muore, e qualcuno non è più tra noi.
Succede, così, che nei paesi le buone come le cattive chiacchiere ritraggono nell'ascolto proteso di quel segnale battente col fiato tirato agli ultimi tocchi e al loro codice sonoro: diranno se un uomo o una donna. Dal catalogo del sapere collettivo si estraggono elementi di supposizione, ipotesi, prime congetture: su chi è tra i sazi di anni o chi da tempo è toccato dal male. Talvolta vane: in quei colpi di teatro della morte che mescola sgomento a meraviglia, che prende qualcuno senza avergli fatto sentire l'approssimarsi dei suoi passi. Allora è vera desolazione: persino quelli le cui vane chiacchiere si perdono normalmente nell'indulgente spensieratezza del quotidiano, qui risaltano della loro fulgida stupidità.
La morte non ha potere su tutto: non fa tacere gli stolti. Ma è un colore della vita: sul suo sfondo ogni parola sciocca è ancora più ridicola, ancora più patetica. Diventa subito la cifra della nostra radicale fragilità, l'inconsapevole bandiera di resa della nostra inerme esposizione al mistero del vivere e del morire. Presto il clamore cupo e sommesso si stringe attorno a un volto e a un nome.
Tanto basta a rianimare conversazioni: per commiserare la sua sorte, ricostruire le penultime vicende, nominare il silenzio con un sospiro. Nella sua involontaria sapienza la lingua di tutti chiama "povero" il defunto. C'è sincerità nell'amarezza di figurarsi il suo volto. Ma anche un segreto sollievo che per stavolta la morte si sia fermata in quella casa, in quel letto, su quella strada, nella carne di quel corpo. E si ritorna per qualche tempo alle proprie cose con una euforia insolita, con un entusiasmo inconsueto, guardandole persino con una riconoscenza che solitamente non sembrano meritare.
La casa del defunto emana l'aura di uno spazio separato: di un luogo consacrato dal tocco imponderabile dell'arcano. E come succede nei luoghi del sacro molti opposti convergono in un tempo sospeso e fermo che se li lascia transitare in grembo. Il contrappunto armonico dei molti volti del vivere che nel morire di qualcuno vengono ospitati, si potrebbe dire, con amore. La gente attratta per un volere di pietà a sorpassare quella soglia lo fa tuttavia con una cautela sottilmente inquieta; con una cordiale sollecitudine in passi trattenuti e lenti, persino esitanti; questo quotidiano luogo di vita umana non permette ora nessuna disinvoltura, imprime nel corpo di chi lo visita il sussiego del debitore.
In una quiete quasi immobile, passi e gesti di ovatta in qualche tratto diventano un tramestio convulso, un'improvvisa agitata accelerazione: la resa estatica di fronte al misterioso volto della morte non evita i doveri della sua gestione pratica, del governo burocratico della morte. Sui visi dei parenti si alternano i lineamenti duri di un'immobile rassegnazione, i tremiti convulsi del pianto soffocato, e talvolta il momentaneo sollievo di una conversazione liberatoria. I bambini che girano per casa, afferrati dalla comune afflizione, resistono in questa inedita manifestazione dell'umana esistenza con una specie di giocoso protagonismo.
E il morto è lì. Al centro di una stanza scarnificata delle cose di tutti i giorni: alla morte non serve nulla se non un po' di spazio libero. Un Cristo inespressivo è intrappolato su un tendaggio lugubre che copre le pareti della stanza. Dentro il suo letto di legno un corpo d'uomo gode dell'istante di un ultimo protagonismo. Mai così famigliare e mai così estraneo. Assente e fortissimamente presente. Così a portata di una carezza, di un bacio, di ogni sguardo: e così ormai perdutamente lontano. Le cure tenaci della vestizione hanno soccorso la terrificante sensazione di avere tra le mani una cosa inerte, la carcassa vuota e inutile di un essere irrimediabilmente fuggito.
L'alito di vita che manca a questo corpo disteso è come sostituito dal fiato generoso di questi ultimi estremi accudimenti. Le cure dei primi giorni ci danno lo spirito: quelle degli ultimi tentano invano di restituircelo.
La casa di un morto è sacra anche per il prete che vi fa visita. Come se la consuetudine alla frequentazione dei luoghi consacrati qui non gli desse il vantaggio di nessuna disinvoltura. Vi entra anzi con una ostentata riguardosità.
Con una cautela quasi intimorita, con silente ritegno. E accosta i parenti più prossimi del defunto con una specie di compunzione e di trattenimento, come per dover avvicinare i membri di una casta abitata dal divino. Alcuni di loro sono come al centro di uno spontaneo rito di dolente accoglienza nel quale anche il prete prende il suo posto con autorevolezza ma quasi con pudore. Sono sovente delle donne: una madre, una figlia, una moglie. Come per doti ancestrali esse presiedono i misteri del generare come, tra le lacrime, quelli del morire: come di fronte a un altare raccolgono attorno al corpo del defunto lacrime e parole, amici e sconosciuti, teneri ricordi e bisbigliate preghiere.
In questo amaro privilegio c'è come la suggestione di un legame che si mantiene, di un attaccamento pervicacemente trattenuto, dell'esile filo di un contatto ancora vivo: perché da questo affetto reciso sia tolta l'ombra dell'inutilità. "Forte come la morte è l'amore".
L'apparire del prete alza sguardi, suscita sussurri, dispone corpi: a lui solo si cede per un momento la guida di questo culto domestico del dolore. Le parole dei salmi piovono su tutti come puri e tiepidi suoni: non sempre il loro significato filtra le cortine del comune abbandono ma sempre il loro senso adombra ognuno come una musica notturna, come una cantilena di consolazione, una nenia che introduce l'infanzia dell'uomo nella sicurezza del riposo. Gocce d'acqua su quel corpo legnoso e immobile a garanzia del bene che Dio dice sempre della vita umana: persino quando essa si perde nella sua fisica consumazione. Una perla di umido piove su una mano dalla pelle cartacea: flecte quod est rigidum...
C'è forse negli occhi del prete la nitida scena dell'estrema fedeltà. Aver visto morire un uomo vincola in una confidenza imprevista ed estrema, di un'intimità che non scambierà mai né suoni né parole. Rimane un debito custodito nel segreto: rimesso nel gesto di una carezza su una fronte tirata e rigida. C'è qualcosa di vigoroso e di atletico negli ultimi tirati respiri di un uomo che muore. Come il concentrarsi di tutte le imprese della vita in un punto solo, che solleva il petto e di nuovo lo contorce, nel pulsare straziato di un involucro allo stremo: ed è un solo eroico spasimo a trattenere l'ultimo refolo di spirito che rende uomini.
È faticoso vivere: ma come si fa fatica anche a morire... E come è bello adesso questo viso dopo la lotta. I suoi muscoli fissati nel momento della distensione e della resa: dell'attimo dolce e definitivo di quando tutto è ormai compiuto.
A braccia conserte su un marciapiede un uomo da lontano intravede una croce che viene oscillando. La sentinella passa parola tra i vicini di una discreta folla che assiepa l'ingresso della casa. Come per un fremito comune ognuno ritrova un contegno: le posizioni si dirigono verso il luogo dove la bara chiusa è l'oggetto di un ultimo estremo attimo di contemplazione. Come a cerchi concentrici si possono distinguere le gerarchie degli affetti, i gradi delle parentele, una geometria dei legami. C'è pur sempre chi parlotta, chi traguarda con gli occhi il prete che arriva, e ride col vicino di questioni lontane e distanti: alla morte di altri ognuno sta come può (alla propria ognuno starà come deve).
Echeggiano nel gracchiare dell'amplificazione i suoni del salmo e il mugghiare indistinto del responsorio: le parole della Scrittura si impastano coi fiati e le voci di tutti in un comune sordo respiro, come il cupo riverbero di una folata d'aria, come un grido profondo che sale attutito e grave dal centro della terra. "A te grido, o Signore...". Anche qui i significati contano meno di questo corporeo impasto di suoni: dell'energia quasi animale di questo organico respirare. Per tutti il prete è garante e custode della sua esatta misura: lui sa dire (forse) quello che ognuno sente.
E all'ennesimo segno dell'acqua ancora si parte. Un corteo ondeggiante e placido concede l'onore di un comune pellegrinaggio all'affetto di un parente, di un amico, di un semplice conoscente. Gli uomini in divisa delle onoranze funebri rendono più dignitoso che possono il bisogno pur pratico del trasporto di un corpo sacro perché umano, ma pur sempre ingombrante. E come sono curiosi questi professionisti dell'onoranza con le loro movenze studiate e schematiche, e con queste loro moderne livree. Così gentilmente assuefatti alla morte e al dolore e così disinvolti nel transitarvi con un garbo messo a punto con l'esperienza. Uomini altrove ruvidi o distratti, qui così composti. Così cerimoniosi. Angeli custodi dell'asfalto, umili e utili.
Come un organismo brulicante il corteo si fa condurre dalla croce tra i suoni un po' mantrici del rosario: qualcuno recita e qualcosa dalla strada rumoreggia come un mantice gonfio.
C'è sempre già qualcuno che aspetta dentro la chiesa. Persone anziane che faticano nel cammino. Qualcuno che vuole riservarsi un posto. Talvolta la chiesa è già gremita prima che il corteo possa entrare: anche questo è un criterio che segnala consistenza di affetti e riconoscimenti, l'omaggio evidente e collettivo a esseri umani che lo sono stati in maniera eminente e palpabile. O nella morte dei quali in molti ci si rispecchia e si piange il proprio dolore: perché giovani, perché veramente buoni, perché conosciuti.
Ci sono figure di vecchi, splendidi e solidi come querce, la cui morte più che dolore genera una comune tenerezza, una dolcissima spontanea riconoscenza, il rimpianto sincero ma sereno per antichi volti segnati in ogni ruga da una umile perduta sapienza. Patriarchi nei cui occhi chiusi riposa per sempre la memoria di un paese e il cui corpo attrae l'omaggio di un unanime saluto.
Ma quando muore un giovane, c'è come un filo di ansimante ribellione che annoda i silenzi di tutti; c'è una costernazione vuota e impotente, un dolore feroce e senza nome; c'è come una coltivazione rabbiosa delle lacrime nei molti volti assenti dei coetanei. E il rito cristiano, così remoto e inespressivo per molti di loro, ospita tuttavia una loro liturgia degli affetti: teste che si accostano, mani che si stringono, corpi che si abbracciano, e quelle preghiere scritte con parole senza speranza ma con un trasporto indistruttibile (come si è stolti e ingiusti a braccare la loro disperazione in rimproveri aspri che hanno il sapore di una vile rivincita sbattuta in faccia alla loro ribellione).
Comunque sia, al principio della vita si è introdotti da due soli esseri umani, al suo congedo da un piccolo popolo: già su questa terra ci è promesso che ogni legame prezioso nel nome di Dio si centuplica.
Vive di un inconsueto trasporto il canto dei funerali: di una dose supplementare di abbandono al grembo emotivo e materno dei suoni. Il fiato grosso dell'organo afferra le cento voci mettendone ognuna in salvo nel mondo ospitale di una sola armonia. Per molte parole non si avrebbe il coraggio se la spinta dolce di un suono non le accompagnasse paziente fuori dalla bocca. E la speranza di quelle parole comincia a consolarci nel languore di un canto, nell'ardente sollievo di una melodia che ci attraversa le viscere.
Solo così si ha la forza di abbandonare all'aria gravide parole e ai piedi dell'altare il corpo di un morto. Così in mezzo alla chiesa la bara pare una scaglia di legno nel palmo di una mano: di quelle che si raccolgono da terra pensando a cosa farne. Il lume di un cero presta un po' di vita a questo rigido involucro.
Nei banchi più in avanti i parenti nel pianto stanno come un corpo trattenuto e compatto. Quando un legame si spezza anche tutti gli altri, anche quelli per cui non si nutrivano più molte cure, fiutano l'odore del pericolo e tornano, anche solo per un momento, ad assaporare la rassicurante protezione dei vincoli di sangue anche meno diretti: si onorano parentele dimenticate, si riannodano conversazioni interrotte, si rivedono visi perduti nei giochi dell'infanzia. Tra i suoi banchi al funerale una famiglia celebra la scomparsa di uno, ma anche il ritrovamento di molti.
"Nel nome del Padre e del Figlio e dello Spirito Santo...". Quante cose si celebrano in questa casa nella custodia di questi nomi: per chi nasce, per chi si ama, e ora per chi muore. C'è un legame vitale col Signore Gesù che si modula ogni volta: e noi cerchiamo di riconoscere nella liturgia le molte forme con cui Egli ci è prossimo.
"Nel nome del Padre e del Figlio e dello Spirito Santo..." e un prete è subito solo nell'aspro dovere della parola. Una manciata di istanti di esitazione tradiscono come un desiderio di silenzio, il sollievo di poter tacere, di non doversi abbandonare inerme al compito di offrire un qualche significato.
Di fronte a un morto - di fronte a certe morti - si cammina sul filo del rasoio, sospesi a percorrere spazi sottili come un filo: una parola di più e si diventa ridicoli, retorici, consolatori da strapazzo; una parola sbagliata e si diventa offensivi, brutali. Ma basta che un prete guardi in viso la gente che attende il suono della sua voce perché si senta attratto a parlare al loro cuore.
C'è nei funerali una porosità degli animi che si legge sugli occhi pieni di resa, sui volti che si muovono cercando la sorgente di qualche parola, in una presenza corporea piena e disposta (nulla della futile eccitazione dei matrimoni). Spiriti disarmati e dalle difese allentate offrono le loro corde più sensibili alla persuasione evangelica.
Le parole hanno un senso solo quando il cuore è pronto ad accoglierle: qualche volta accade, che con una parola si senta tutti come un bruciore per aver toccato anche solo con un dito un lembo della verità. Che il Signore ci conceda la misura delle parole vere...
"Forte come la morte è l'amore". Entrambe vivono dunque di forza. Ma entrambe non vivono anche di dolcezza? Dei gesti che si curano del corpo amato a costo di sperperare profumo e sprecare acqua: e che forse vivono esattamente del loro sperpero e della loro sproporzione. Che ragione c'è di rasare un morto e metterlo nel vestito bello se non questa consegna dello spirito che verso chi amiamo noi rendiamo reale nel contatto col suo corpo?
Scende alla fine il prete ad aspergere d'acqua il corpo rinchiuso, a profumarlo dell'incenso: lavato e profumato, un uomo salda il proprio legame col Signore come figlio e come sposo. C'è qualcosa di struggente in questo tenero omaggio: come un'ultima carezza per ricordarci sempre che la vita palpita di seduzione anche in questi momenti.
(©L'Osservatore Romano 18 dicembre 2011)
Forte come la morte è l'amore
di GIULIANO ZANCHI
Dietro vetrine di negozi. In crocchi improvvisati tra angoli di strade. Dentro le stanze delle case. Conversazioni si smorzano fino a morire attratte altrove da rintocchi di campana. Suoni grevi e afflitti, sparsi nell'aria da una cadenza blanda e affilata. Nell'eco languida dei loro riverberi, come neve, su tutti si posa la conferma che la morte visita l'uomo con lo stesso disarmato stordimento della vita e dell'amore. Si è sempre sorpresi: del trovarsi per incanto a vivere, del sentirsi a un tratto presi nel vincolo di un viso amato, del doversi congedare da questo mondo e da tutti i suoi splendidi legami. Ogni volta è come riaversi da un sonno. E la cupa dolcezza del metallo preme con delicatezza sull'umana dissimulazione di ogni giorno: senti... si muore, e qualcuno non è più tra noi.
Succede, così, che nei paesi le buone come le cattive chiacchiere ritraggono nell'ascolto proteso di quel segnale battente col fiato tirato agli ultimi tocchi e al loro codice sonoro: diranno se un uomo o una donna. Dal catalogo del sapere collettivo si estraggono elementi di supposizione, ipotesi, prime congetture: su chi è tra i sazi di anni o chi da tempo è toccato dal male. Talvolta vane: in quei colpi di teatro della morte che mescola sgomento a meraviglia, che prende qualcuno senza avergli fatto sentire l'approssimarsi dei suoi passi. Allora è vera desolazione: persino quelli le cui vane chiacchiere si perdono normalmente nell'indulgente spensieratezza del quotidiano, qui risaltano della loro fulgida stupidità.
La morte non ha potere su tutto: non fa tacere gli stolti. Ma è un colore della vita: sul suo sfondo ogni parola sciocca è ancora più ridicola, ancora più patetica. Diventa subito la cifra della nostra radicale fragilità, l'inconsapevole bandiera di resa della nostra inerme esposizione al mistero del vivere e del morire. Presto il clamore cupo e sommesso si stringe attorno a un volto e a un nome.
Tanto basta a rianimare conversazioni: per commiserare la sua sorte, ricostruire le penultime vicende, nominare il silenzio con un sospiro. Nella sua involontaria sapienza la lingua di tutti chiama "povero" il defunto. C'è sincerità nell'amarezza di figurarsi il suo volto. Ma anche un segreto sollievo che per stavolta la morte si sia fermata in quella casa, in quel letto, su quella strada, nella carne di quel corpo. E si ritorna per qualche tempo alle proprie cose con una euforia insolita, con un entusiasmo inconsueto, guardandole persino con una riconoscenza che solitamente non sembrano meritare.
La casa del defunto emana l'aura di uno spazio separato: di un luogo consacrato dal tocco imponderabile dell'arcano. E come succede nei luoghi del sacro molti opposti convergono in un tempo sospeso e fermo che se li lascia transitare in grembo. Il contrappunto armonico dei molti volti del vivere che nel morire di qualcuno vengono ospitati, si potrebbe dire, con amore. La gente attratta per un volere di pietà a sorpassare quella soglia lo fa tuttavia con una cautela sottilmente inquieta; con una cordiale sollecitudine in passi trattenuti e lenti, persino esitanti; questo quotidiano luogo di vita umana non permette ora nessuna disinvoltura, imprime nel corpo di chi lo visita il sussiego del debitore.
In una quiete quasi immobile, passi e gesti di ovatta in qualche tratto diventano un tramestio convulso, un'improvvisa agitata accelerazione: la resa estatica di fronte al misterioso volto della morte non evita i doveri della sua gestione pratica, del governo burocratico della morte. Sui visi dei parenti si alternano i lineamenti duri di un'immobile rassegnazione, i tremiti convulsi del pianto soffocato, e talvolta il momentaneo sollievo di una conversazione liberatoria. I bambini che girano per casa, afferrati dalla comune afflizione, resistono in questa inedita manifestazione dell'umana esistenza con una specie di giocoso protagonismo.
E il morto è lì. Al centro di una stanza scarnificata delle cose di tutti i giorni: alla morte non serve nulla se non un po' di spazio libero. Un Cristo inespressivo è intrappolato su un tendaggio lugubre che copre le pareti della stanza. Dentro il suo letto di legno un corpo d'uomo gode dell'istante di un ultimo protagonismo. Mai così famigliare e mai così estraneo. Assente e fortissimamente presente. Così a portata di una carezza, di un bacio, di ogni sguardo: e così ormai perdutamente lontano. Le cure tenaci della vestizione hanno soccorso la terrificante sensazione di avere tra le mani una cosa inerte, la carcassa vuota e inutile di un essere irrimediabilmente fuggito.
L'alito di vita che manca a questo corpo disteso è come sostituito dal fiato generoso di questi ultimi estremi accudimenti. Le cure dei primi giorni ci danno lo spirito: quelle degli ultimi tentano invano di restituircelo.
La casa di un morto è sacra anche per il prete che vi fa visita. Come se la consuetudine alla frequentazione dei luoghi consacrati qui non gli desse il vantaggio di nessuna disinvoltura. Vi entra anzi con una ostentata riguardosità.
Con una cautela quasi intimorita, con silente ritegno. E accosta i parenti più prossimi del defunto con una specie di compunzione e di trattenimento, come per dover avvicinare i membri di una casta abitata dal divino. Alcuni di loro sono come al centro di uno spontaneo rito di dolente accoglienza nel quale anche il prete prende il suo posto con autorevolezza ma quasi con pudore. Sono sovente delle donne: una madre, una figlia, una moglie. Come per doti ancestrali esse presiedono i misteri del generare come, tra le lacrime, quelli del morire: come di fronte a un altare raccolgono attorno al corpo del defunto lacrime e parole, amici e sconosciuti, teneri ricordi e bisbigliate preghiere.
In questo amaro privilegio c'è come la suggestione di un legame che si mantiene, di un attaccamento pervicacemente trattenuto, dell'esile filo di un contatto ancora vivo: perché da questo affetto reciso sia tolta l'ombra dell'inutilità. "Forte come la morte è l'amore".
L'apparire del prete alza sguardi, suscita sussurri, dispone corpi: a lui solo si cede per un momento la guida di questo culto domestico del dolore. Le parole dei salmi piovono su tutti come puri e tiepidi suoni: non sempre il loro significato filtra le cortine del comune abbandono ma sempre il loro senso adombra ognuno come una musica notturna, come una cantilena di consolazione, una nenia che introduce l'infanzia dell'uomo nella sicurezza del riposo. Gocce d'acqua su quel corpo legnoso e immobile a garanzia del bene che Dio dice sempre della vita umana: persino quando essa si perde nella sua fisica consumazione. Una perla di umido piove su una mano dalla pelle cartacea: flecte quod est rigidum...
C'è forse negli occhi del prete la nitida scena dell'estrema fedeltà. Aver visto morire un uomo vincola in una confidenza imprevista ed estrema, di un'intimità che non scambierà mai né suoni né parole. Rimane un debito custodito nel segreto: rimesso nel gesto di una carezza su una fronte tirata e rigida. C'è qualcosa di vigoroso e di atletico negli ultimi tirati respiri di un uomo che muore. Come il concentrarsi di tutte le imprese della vita in un punto solo, che solleva il petto e di nuovo lo contorce, nel pulsare straziato di un involucro allo stremo: ed è un solo eroico spasimo a trattenere l'ultimo refolo di spirito che rende uomini.
È faticoso vivere: ma come si fa fatica anche a morire... E come è bello adesso questo viso dopo la lotta. I suoi muscoli fissati nel momento della distensione e della resa: dell'attimo dolce e definitivo di quando tutto è ormai compiuto.
A braccia conserte su un marciapiede un uomo da lontano intravede una croce che viene oscillando. La sentinella passa parola tra i vicini di una discreta folla che assiepa l'ingresso della casa. Come per un fremito comune ognuno ritrova un contegno: le posizioni si dirigono verso il luogo dove la bara chiusa è l'oggetto di un ultimo estremo attimo di contemplazione. Come a cerchi concentrici si possono distinguere le gerarchie degli affetti, i gradi delle parentele, una geometria dei legami. C'è pur sempre chi parlotta, chi traguarda con gli occhi il prete che arriva, e ride col vicino di questioni lontane e distanti: alla morte di altri ognuno sta come può (alla propria ognuno starà come deve).
Echeggiano nel gracchiare dell'amplificazione i suoni del salmo e il mugghiare indistinto del responsorio: le parole della Scrittura si impastano coi fiati e le voci di tutti in un comune sordo respiro, come il cupo riverbero di una folata d'aria, come un grido profondo che sale attutito e grave dal centro della terra. "A te grido, o Signore...". Anche qui i significati contano meno di questo corporeo impasto di suoni: dell'energia quasi animale di questo organico respirare. Per tutti il prete è garante e custode della sua esatta misura: lui sa dire (forse) quello che ognuno sente.
E all'ennesimo segno dell'acqua ancora si parte. Un corteo ondeggiante e placido concede l'onore di un comune pellegrinaggio all'affetto di un parente, di un amico, di un semplice conoscente. Gli uomini in divisa delle onoranze funebri rendono più dignitoso che possono il bisogno pur pratico del trasporto di un corpo sacro perché umano, ma pur sempre ingombrante. E come sono curiosi questi professionisti dell'onoranza con le loro movenze studiate e schematiche, e con queste loro moderne livree. Così gentilmente assuefatti alla morte e al dolore e così disinvolti nel transitarvi con un garbo messo a punto con l'esperienza. Uomini altrove ruvidi o distratti, qui così composti. Così cerimoniosi. Angeli custodi dell'asfalto, umili e utili.
Come un organismo brulicante il corteo si fa condurre dalla croce tra i suoni un po' mantrici del rosario: qualcuno recita e qualcosa dalla strada rumoreggia come un mantice gonfio.
C'è sempre già qualcuno che aspetta dentro la chiesa. Persone anziane che faticano nel cammino. Qualcuno che vuole riservarsi un posto. Talvolta la chiesa è già gremita prima che il corteo possa entrare: anche questo è un criterio che segnala consistenza di affetti e riconoscimenti, l'omaggio evidente e collettivo a esseri umani che lo sono stati in maniera eminente e palpabile. O nella morte dei quali in molti ci si rispecchia e si piange il proprio dolore: perché giovani, perché veramente buoni, perché conosciuti.
Ci sono figure di vecchi, splendidi e solidi come querce, la cui morte più che dolore genera una comune tenerezza, una dolcissima spontanea riconoscenza, il rimpianto sincero ma sereno per antichi volti segnati in ogni ruga da una umile perduta sapienza. Patriarchi nei cui occhi chiusi riposa per sempre la memoria di un paese e il cui corpo attrae l'omaggio di un unanime saluto.
Ma quando muore un giovane, c'è come un filo di ansimante ribellione che annoda i silenzi di tutti; c'è una costernazione vuota e impotente, un dolore feroce e senza nome; c'è come una coltivazione rabbiosa delle lacrime nei molti volti assenti dei coetanei. E il rito cristiano, così remoto e inespressivo per molti di loro, ospita tuttavia una loro liturgia degli affetti: teste che si accostano, mani che si stringono, corpi che si abbracciano, e quelle preghiere scritte con parole senza speranza ma con un trasporto indistruttibile (come si è stolti e ingiusti a braccare la loro disperazione in rimproveri aspri che hanno il sapore di una vile rivincita sbattuta in faccia alla loro ribellione).
Comunque sia, al principio della vita si è introdotti da due soli esseri umani, al suo congedo da un piccolo popolo: già su questa terra ci è promesso che ogni legame prezioso nel nome di Dio si centuplica.
Vive di un inconsueto trasporto il canto dei funerali: di una dose supplementare di abbandono al grembo emotivo e materno dei suoni. Il fiato grosso dell'organo afferra le cento voci mettendone ognuna in salvo nel mondo ospitale di una sola armonia. Per molte parole non si avrebbe il coraggio se la spinta dolce di un suono non le accompagnasse paziente fuori dalla bocca. E la speranza di quelle parole comincia a consolarci nel languore di un canto, nell'ardente sollievo di una melodia che ci attraversa le viscere.
Solo così si ha la forza di abbandonare all'aria gravide parole e ai piedi dell'altare il corpo di un morto. Così in mezzo alla chiesa la bara pare una scaglia di legno nel palmo di una mano: di quelle che si raccolgono da terra pensando a cosa farne. Il lume di un cero presta un po' di vita a questo rigido involucro.
Nei banchi più in avanti i parenti nel pianto stanno come un corpo trattenuto e compatto. Quando un legame si spezza anche tutti gli altri, anche quelli per cui non si nutrivano più molte cure, fiutano l'odore del pericolo e tornano, anche solo per un momento, ad assaporare la rassicurante protezione dei vincoli di sangue anche meno diretti: si onorano parentele dimenticate, si riannodano conversazioni interrotte, si rivedono visi perduti nei giochi dell'infanzia. Tra i suoi banchi al funerale una famiglia celebra la scomparsa di uno, ma anche il ritrovamento di molti.
"Nel nome del Padre e del Figlio e dello Spirito Santo...". Quante cose si celebrano in questa casa nella custodia di questi nomi: per chi nasce, per chi si ama, e ora per chi muore. C'è un legame vitale col Signore Gesù che si modula ogni volta: e noi cerchiamo di riconoscere nella liturgia le molte forme con cui Egli ci è prossimo.
"Nel nome del Padre e del Figlio e dello Spirito Santo..." e un prete è subito solo nell'aspro dovere della parola. Una manciata di istanti di esitazione tradiscono come un desiderio di silenzio, il sollievo di poter tacere, di non doversi abbandonare inerme al compito di offrire un qualche significato.
Di fronte a un morto - di fronte a certe morti - si cammina sul filo del rasoio, sospesi a percorrere spazi sottili come un filo: una parola di più e si diventa ridicoli, retorici, consolatori da strapazzo; una parola sbagliata e si diventa offensivi, brutali. Ma basta che un prete guardi in viso la gente che attende il suono della sua voce perché si senta attratto a parlare al loro cuore.
C'è nei funerali una porosità degli animi che si legge sugli occhi pieni di resa, sui volti che si muovono cercando la sorgente di qualche parola, in una presenza corporea piena e disposta (nulla della futile eccitazione dei matrimoni). Spiriti disarmati e dalle difese allentate offrono le loro corde più sensibili alla persuasione evangelica.
Le parole hanno un senso solo quando il cuore è pronto ad accoglierle: qualche volta accade, che con una parola si senta tutti come un bruciore per aver toccato anche solo con un dito un lembo della verità. Che il Signore ci conceda la misura delle parole vere...
"Forte come la morte è l'amore". Entrambe vivono dunque di forza. Ma entrambe non vivono anche di dolcezza? Dei gesti che si curano del corpo amato a costo di sperperare profumo e sprecare acqua: e che forse vivono esattamente del loro sperpero e della loro sproporzione. Che ragione c'è di rasare un morto e metterlo nel vestito bello se non questa consegna dello spirito che verso chi amiamo noi rendiamo reale nel contatto col suo corpo?
Scende alla fine il prete ad aspergere d'acqua il corpo rinchiuso, a profumarlo dell'incenso: lavato e profumato, un uomo salda il proprio legame col Signore come figlio e come sposo. C'è qualcosa di struggente in questo tenero omaggio: come un'ultima carezza per ricordarci sempre che la vita palpita di seduzione anche in questi momenti.
(©L'Osservatore Romano 18 dicembre 2011)
Thursday, December 15, 2011
Thursday, December 08, 2011
Nella musica liturgica si deve riflettere il mistero dell'Incarnazione
Il canto
che riposa nel fondo delle cose
di RAMÓN SAIZ-PARDO HURTADO
Pontificia Università della Santa Croce
In una certa occasione qualcuno mi domandò se in cielo ci sarà la musica. Non era il momento di lunghi discorsi. Ci pensai un po', poi risposi: "Senza dubbio; non si potrebbe immaginare lo splendore dell'assunzione della Vergine senza splendide musiche". Non è azzardato: schiere di angeli vanno incontro alla loro regina che giunge in corpo e anima. La musica è solenne; trabocca affetto, bellezza, allegria. Tutto è sublime. Alla fine, arriva. E il Figlio, che iniziò l'esser uomo in seno alla Trinità, accoglie sua madre. Tale situazione deve avere dei punti di contatto con ciò che accade durante la celebrazione di una messa. Benedetto XVI spiega che la liturgia terrena è liturgia solo in quanto si unisce alla liturgia celeste. Così, per esempio, tutti i prefazi della messa si concludono sempre con l'invito a tutti a cantare il Sanctus insieme agli angeli. Il Papa spiega che in qualche modo, gli uomini chiedono di essere ammessi al coro celeste. E aggiunge, con un pizzico di humor, che il nostro canto deve esser tale che gli angeli lo possano ascoltare. Una volta entrati nel contesto, è facile rendersi conto che uno canta verso un "Tu", per adorare Dio.
Nell'udienza generale dello scorso 31 agosto, Benedetto XVI tornò a riferirsi alla bellezza. Sottolineava tra le capacità possedute dall'arte, quella di parlare: è una porta aperta sull'infinito, verso una bellezza e una verità che vanno molto al di là del quotidiano. Segnalava inoltre alcune espressioni artistiche quali autentici percorsi verso Dio, la Suprema Bellezza. Anzi - dichiarava - sono un aiuto per crescere, nell'orazione, nella relazione con Lui. "Si tratta delle opere che nascono dalla fede e che esprimono la fede. Un esempio lo possiamo avere quando visitiamo una cattedrale gotica: siamo rapiti dalle linee verticali che si stagliano verso il cielo ed attirano in alto il nostro sguardo e il nostro spirito, mentre, in pari tempo, ci sentiamo piccoli, eppure desiderosi di pienezza (...) Oppure, quando ascoltiamo un brano di musica sacra che fa vibrare le corde del nostro cuore, il nostro animo viene come dilatato ed è aiutato a rivolgersi a Dio". In altri contesti, facendo un passo avanti, il Papa ha spiegato le parole del Vaticano II riferite alla musica liturgica quale parte necessaria e integrante della liturgia solenne (cfr. Costituzione sulla Sacra Liturgia Sacrosanctum concilium, 112). La musica, ha affermato Benedetto XVI è essa stessa liturgia. Perché sostengo che le considerazioni sul piano liturgico rappresentano un passo in più? Non è vero che si può pregare in qualsiasi situazione? Senza dubbio. Però nella liturgia, l'Eucaristia significa che Dio ha risposto. L'Eucaristia, spiega il Papa, è Dio in quanto risposta, quale presenza che risponde. Nella liturgia, l'iniziativa della relazione dell'uomo con Dio non è dell'uomo, bensì dello stesso Dio. E inoltre l'uomo non è solo, ma con l'intera Chiesa, corpo di Cristo. L'orazione liturgica si realizza nel contesto della morte e risurrezione di Cristo, dell'amore che ha vinto la morte. La forza di questi termini fa presagire che la stessa musica liturgica possiede una propria specificità.
Attualmente la musica liturgica si propone in termini problematici. Il Papa spiega che la soluzione non si trova affrontando direttamente gli aspetti pratici. Ad esempio, è chiaro che molte volte gli incaricati della pastorale non si intendono con i musicisti e viceversa. Si tratta di un problema che è sempre esistito, e che sempre esisterà. Ma questo non è il lato fondamentale. Per trovare le soluzioni è necessario conoscere e comprendere l'essenza della liturgia. Avviamoci ad affrontarla in due punti.
Nella liturgia si attua la redenzione dell'uomo. L'uomo, dopo il peccato, si rende conto che non è in grado di tornare a Dio con le proprie forze. Dio stesso gli promette un redentore. Cristo, il Buon Pastore, viene a prenderci sulle sue spalle e portarci di ritorno a casa. Si incarna e accetta di venir crocifisso, per poi risorgere e salire al cielo. Nella messa, attualizzazione del sacrificio del Calvario, Cristo ci fa pregustare il suo ritorno glorioso, e ci assimila a sé. Cristo, con le sue braccia aperte, ci attrae verso di sé dalla croce.
Lì si congiungono la misericordia divina e la miseria umana. Con tale amore radicale, la morte stessa viene trasformata in resurrezione per amore e l'uomo è trasformato e salvato, innestato in Cristo. Data questa forte premessa, qual è il luogo e il ruolo della musica liturgica? La liturgia parla di tutto questo amore di Dio per l'uomo. Anzi, mette in atto tutto questo amore, perché Dio è il suo protagonista.
La bellezza della liturgia è lo splendore delle meraviglie che si stanno operando. Ma è Cristo stesso, risorto, il soggetto di tale bellezza, ed è Lui che ci permette di intravvedere ciò che sta accadendo. Nella esortazione apostolica Sacramentum caritatis, Benedetto XVI scrive: "La vera bellezza è l'amore di Dio che si è definitivamente a noi rivelato nel Mistero pasquale. La bellezza della liturgia è, in un certo senso, un affacciarsi del Cielo sulla terra".
E qui entra in gioco, infine, la musica. Perché in ciò che Dio rivela all'uomo, nel suo tradursi in parole umane, una parte rimane indicibile che soltanto con il canto si può pronunciare e comprendere. In occasione di un concerto, non molto tempo fa, il Papa affermò: questi suoni "mi hanno fatto dimenticare il quotidiano e mi hanno trasportato nel mondo della musica che per Beethoven significava "una rivelazione più alta di ogni sapienza e filosofia". La musica, di fatto, ha la capacità di rimandare, al di là di se stessa, al Creatore di ogni armonia, suscitando in noi risonanze che sono come un sintonizzarsi con la bellezza e la verità di Dio - con quella realtà che nessuna sapienza umana e nessuna filosofia possono mai esprimere". Si tratta di comprendere come si intrecciano gli elementi di cui sopra.
Il criterio fondamentale della musica liturgica non è il gusto personale. Nemmeno lo è il quanto possa una data musica contribuire a facilitare la preghiera. Il paragone, sebbene non diretto, è chiaro: le letture della messa non debbono esser sostituite da nessun libro di spiritualità, per quanto esso inviti alla preghiera. La preghiera con il libro di spiritualità avrà il suo contesto, come ciascuna musica ha il proprio. Il criterio si trova nella dinamica dell'incarnazione del Verbo.
Si tratta di un movimento in due fasi: Il Figlio di Dio si è incarnato. Il Verbo, la Parola, si è materializzato. Così si è avvicinato fino alla nostra realtà, fino ai nostri sensi. Così ha inaugurato l'essere uomo in Dio. Lungo questa linea scorre la realtà dei sacramenti.
La morte, la resurrezione e l'ascensione al cielo di Cristo possono esser considerate come una successiva spiritualizzazione. Andare incontro al Cristo risorto nella liturgia è una spiritualizzazione. Questo però deve essere ben compreso, perché Cristo non ha abbandonato il corpo. Perciò si tratta di una spiritualizzazione della carne. Nella nostra realtà corporale, il Verbo ci purifica, ci assume e ci fa figli di Dio: ci rende conformi al Lògos.
Questo doppio movimento si ha nella musica liturgica. Da una parte, i sacramenti verrebbero a trovarsi senza un luogo loro proprio se non si compiono in una liturgia che segue l'espansione del Verbo in una dimensione corporea e nell'ambito dei nostri sensi. Da ciò deriva la necessità di giungere alle sfere più profonde del comprendere e del rispondere, che si aprono nella musica. Il Verbo, la Parola si fa musica della fede quale incarnazione. Il legno e metallo si fanno suonare: materiali che, senza coscienza né libertà, vengono usati per produrre un suono ordinato, ricco di significato. È qui che - afferma il Papa - si deve scoprire il canto che riposa nel fondo delle cose, e tradurlo in musica della fede.
Inoltre, tale farsi musica della fede è già, in se stesso, la seconda parte del movimento, la spiritualizzazione della carne. Il Papa lo spiega in termini di integrazione. La musica adeguata deve integrare i sensi nell'intimità dello spirito. Per di più, tale integrazione non avviene nell'uomo stesso, se non nel movimento che lo innalza ulteriormente verso l'intimità del Verbo. Si giunge, in fine, a scoprire quale sia il luogo e il ruolo della musica liturgica.
"Rende libera la via ingombra verso il cuore, verso l'intimo del nostro essere, là dove questo viene a contatto diretto con l'essere del Creatore e del Redentore. Ovunque ciò si verifica, la musica diventa la strada che conduce a Gesù; la via per la quale Dio mostra la sua salvezza".
Nel contesto sacramentale, la musica è un codice che supera le parole e la pura razionalità. La musica liturgica apre a una maggiore intimità con Dio, amplia il vocabolario nell'unione con il sacrificio di Cristo. Con essa, il cuore dell'uomo si rende maggiormente capace di nutrirsi dei sentimenti del Cuore di Cristo, e portando con sé la creazione, si lascia introdurre nel dialogo della Trinità. Cosa c'è di meglio che il bello per parlare della bellezza dell'amore di Cristo in Croce? Chi meglio dello Spirito Santo, è in grado di conformare il bello, in modo che parli veramente di Cristo?
La liturgia non è un happening di buona fattura. La liturgia è una festa, perché la redenzione compiuta da Cristo ha dato una reale risposta alla morte. Capito questo, e che non si tratta di risolverla sulla base di un'abile psicologia o di volenterosi dilettanti, ciò che importa è il Mistero, soprattutto l'azione di Dio e la conseguente risposta l'uomo; solo allora si può parlare di conclusioni pratiche.
La musica liturgica deve servire a un messaggio che si realizza nel dialogo intimo - proprio della liturgia - che, in presenza della grazia, si realizza tra Dio e l'uomo. Se la liturgia terrena si realizza in unione con quella celeste, la musica stessa deve adeguarsi alle circostanze. La liturgia non si fa, ma si accoglie; lo stesso per la musica. In quanto festa, la liturgia si veste di splendore e richiede il potere trasfigurante dell'arte. Inoltre, il vero luogo di nascita dell'arte è la liturgia. Quando l'arte viene sottoposta alle leggi del mercato - come avviene con la musica pop - viene annullata in quanto arte.
È chiaro, quindi, che non tutta la musica è adatta. Una musica che si propone come liturgica deve esser purificata, come il cuore dell'uomo. La musica adatta deve essere docile e riportare l'uomo al contatto con Cristo, alla sua integrazione verso l'alto. Il salmo afferma psallite sapienter. Talvolta si traduce in cantare bene. Però allora: che cosa significa questo riferimento alla saggezza (sapienter) nel canto? Il Papa lo spiega con l'affinità che esiste tra saggezza e musica. In ambedue l'uomo si coinvolge interamente, con tutte le dimensioni del suo essere. Dio ci interpella nella totalità del nostro essere, e l'espressione musicale fa parte della autentica risposta umana. Così, spiega il Papa, il cantar bene è entrato nella coscienza della Chiesa, quale esigenza a livello artistico, per adorare Dio. Le modalità espressive offerte dalla musica sono necessarie per la nostra risposta.
Da ciò il compito: com'è possibile giungere a una musica liturgica adeguata? Un esempio elementare: se una cultura non consente di presentarsi in società con un abbigliamento inadatto, tanto meno permetterà che il sacerdote salga a celebrare la messa con una patacca sul camice. Su questo non c'è dubbio. E, tanto più, la musica, che è liturgia, perché dovrebbe essere ammessa se è difettosa? Un atteggiamento simile non equivale a ridurre a priori le possibilità che Dio offre per unirsi a Lui, proprio nella convergenza tra la corrispondenza la grazia?
La traduzione in termini più immediati è multipla e merita un discorso a parte. Si può però portare qualche esempio. Supponiamo conosciuto il Magistero sulla musica liturgica e teniamo conto dei precedenti argomenti teologici. Che dire del compositore e dell'ascoltatore? Il compositore di musica liturgica deve essere in grado di assumere la responsabilità dell'ineffabile che la musica può contenere. Le grandi composizioni liturgiche sono una esegesi del Mistero rivelato.
Il punto di riferimento proposto da Ratzinger è la costruzione del Tempio in Israele: Dio comunicò a Mosè la forma che esso doveva avere e gli artisti lavorarono per riprodurre la volontà divina. La creatività è partecipazione alla creatività di Dio. L'implicazione è duplice. Da una parte, il compositore deve porsi in condizioni di sentire le indicazioni di Dio. Perciò conta su un aiuto insostituibile: la musica sacra nasce come un dono dello Spirito Santo. In secondo luogo, il compositore deve essere esperto. Senza professionalità non è possibile ascoltare fedelmente messaggio, e tanto meno trasmetterlo.
Per quanto si riferisce all'ascoltatore, è facile comprendere la grandezza del tesoro che la musica liturgica offre e, pertanto, come deve essere accolta e anche come deve intendersi la partecipazione attiva alla liturgia dal punto di vista della musica.
Musica liturgica non significa musica tediosa o semplicemente brutta. Musica liturgica non può significare musica banale o canzoni da falò. Tanto meno può significare musica propria di circoli esclusivi di eruditi. Oggi mancano modelli. Il Papa ha proposto delle vie per provare a incontrarli. Attualmente si sta lavorando. Sono necessari un po' di pazienza, un po' di fiducia, e molta preghiera.
(©L'Osservatore Romano 8 dicembre 2011)
che riposa nel fondo delle cose
di RAMÓN SAIZ-PARDO HURTADO
Pontificia Università della Santa Croce
In una certa occasione qualcuno mi domandò se in cielo ci sarà la musica. Non era il momento di lunghi discorsi. Ci pensai un po', poi risposi: "Senza dubbio; non si potrebbe immaginare lo splendore dell'assunzione della Vergine senza splendide musiche". Non è azzardato: schiere di angeli vanno incontro alla loro regina che giunge in corpo e anima. La musica è solenne; trabocca affetto, bellezza, allegria. Tutto è sublime. Alla fine, arriva. E il Figlio, che iniziò l'esser uomo in seno alla Trinità, accoglie sua madre. Tale situazione deve avere dei punti di contatto con ciò che accade durante la celebrazione di una messa. Benedetto XVI spiega che la liturgia terrena è liturgia solo in quanto si unisce alla liturgia celeste. Così, per esempio, tutti i prefazi della messa si concludono sempre con l'invito a tutti a cantare il Sanctus insieme agli angeli. Il Papa spiega che in qualche modo, gli uomini chiedono di essere ammessi al coro celeste. E aggiunge, con un pizzico di humor, che il nostro canto deve esser tale che gli angeli lo possano ascoltare. Una volta entrati nel contesto, è facile rendersi conto che uno canta verso un "Tu", per adorare Dio.
Nell'udienza generale dello scorso 31 agosto, Benedetto XVI tornò a riferirsi alla bellezza. Sottolineava tra le capacità possedute dall'arte, quella di parlare: è una porta aperta sull'infinito, verso una bellezza e una verità che vanno molto al di là del quotidiano. Segnalava inoltre alcune espressioni artistiche quali autentici percorsi verso Dio, la Suprema Bellezza. Anzi - dichiarava - sono un aiuto per crescere, nell'orazione, nella relazione con Lui. "Si tratta delle opere che nascono dalla fede e che esprimono la fede. Un esempio lo possiamo avere quando visitiamo una cattedrale gotica: siamo rapiti dalle linee verticali che si stagliano verso il cielo ed attirano in alto il nostro sguardo e il nostro spirito, mentre, in pari tempo, ci sentiamo piccoli, eppure desiderosi di pienezza (...) Oppure, quando ascoltiamo un brano di musica sacra che fa vibrare le corde del nostro cuore, il nostro animo viene come dilatato ed è aiutato a rivolgersi a Dio". In altri contesti, facendo un passo avanti, il Papa ha spiegato le parole del Vaticano II riferite alla musica liturgica quale parte necessaria e integrante della liturgia solenne (cfr. Costituzione sulla Sacra Liturgia Sacrosanctum concilium, 112). La musica, ha affermato Benedetto XVI è essa stessa liturgia. Perché sostengo che le considerazioni sul piano liturgico rappresentano un passo in più? Non è vero che si può pregare in qualsiasi situazione? Senza dubbio. Però nella liturgia, l'Eucaristia significa che Dio ha risposto. L'Eucaristia, spiega il Papa, è Dio in quanto risposta, quale presenza che risponde. Nella liturgia, l'iniziativa della relazione dell'uomo con Dio non è dell'uomo, bensì dello stesso Dio. E inoltre l'uomo non è solo, ma con l'intera Chiesa, corpo di Cristo. L'orazione liturgica si realizza nel contesto della morte e risurrezione di Cristo, dell'amore che ha vinto la morte. La forza di questi termini fa presagire che la stessa musica liturgica possiede una propria specificità.
Attualmente la musica liturgica si propone in termini problematici. Il Papa spiega che la soluzione non si trova affrontando direttamente gli aspetti pratici. Ad esempio, è chiaro che molte volte gli incaricati della pastorale non si intendono con i musicisti e viceversa. Si tratta di un problema che è sempre esistito, e che sempre esisterà. Ma questo non è il lato fondamentale. Per trovare le soluzioni è necessario conoscere e comprendere l'essenza della liturgia. Avviamoci ad affrontarla in due punti.
Nella liturgia si attua la redenzione dell'uomo. L'uomo, dopo il peccato, si rende conto che non è in grado di tornare a Dio con le proprie forze. Dio stesso gli promette un redentore. Cristo, il Buon Pastore, viene a prenderci sulle sue spalle e portarci di ritorno a casa. Si incarna e accetta di venir crocifisso, per poi risorgere e salire al cielo. Nella messa, attualizzazione del sacrificio del Calvario, Cristo ci fa pregustare il suo ritorno glorioso, e ci assimila a sé. Cristo, con le sue braccia aperte, ci attrae verso di sé dalla croce.
Lì si congiungono la misericordia divina e la miseria umana. Con tale amore radicale, la morte stessa viene trasformata in resurrezione per amore e l'uomo è trasformato e salvato, innestato in Cristo. Data questa forte premessa, qual è il luogo e il ruolo della musica liturgica? La liturgia parla di tutto questo amore di Dio per l'uomo. Anzi, mette in atto tutto questo amore, perché Dio è il suo protagonista.
La bellezza della liturgia è lo splendore delle meraviglie che si stanno operando. Ma è Cristo stesso, risorto, il soggetto di tale bellezza, ed è Lui che ci permette di intravvedere ciò che sta accadendo. Nella esortazione apostolica Sacramentum caritatis, Benedetto XVI scrive: "La vera bellezza è l'amore di Dio che si è definitivamente a noi rivelato nel Mistero pasquale. La bellezza della liturgia è, in un certo senso, un affacciarsi del Cielo sulla terra".
E qui entra in gioco, infine, la musica. Perché in ciò che Dio rivela all'uomo, nel suo tradursi in parole umane, una parte rimane indicibile che soltanto con il canto si può pronunciare e comprendere. In occasione di un concerto, non molto tempo fa, il Papa affermò: questi suoni "mi hanno fatto dimenticare il quotidiano e mi hanno trasportato nel mondo della musica che per Beethoven significava "una rivelazione più alta di ogni sapienza e filosofia". La musica, di fatto, ha la capacità di rimandare, al di là di se stessa, al Creatore di ogni armonia, suscitando in noi risonanze che sono come un sintonizzarsi con la bellezza e la verità di Dio - con quella realtà che nessuna sapienza umana e nessuna filosofia possono mai esprimere". Si tratta di comprendere come si intrecciano gli elementi di cui sopra.
Il criterio fondamentale della musica liturgica non è il gusto personale. Nemmeno lo è il quanto possa una data musica contribuire a facilitare la preghiera. Il paragone, sebbene non diretto, è chiaro: le letture della messa non debbono esser sostituite da nessun libro di spiritualità, per quanto esso inviti alla preghiera. La preghiera con il libro di spiritualità avrà il suo contesto, come ciascuna musica ha il proprio. Il criterio si trova nella dinamica dell'incarnazione del Verbo.
Si tratta di un movimento in due fasi: Il Figlio di Dio si è incarnato. Il Verbo, la Parola, si è materializzato. Così si è avvicinato fino alla nostra realtà, fino ai nostri sensi. Così ha inaugurato l'essere uomo in Dio. Lungo questa linea scorre la realtà dei sacramenti.
La morte, la resurrezione e l'ascensione al cielo di Cristo possono esser considerate come una successiva spiritualizzazione. Andare incontro al Cristo risorto nella liturgia è una spiritualizzazione. Questo però deve essere ben compreso, perché Cristo non ha abbandonato il corpo. Perciò si tratta di una spiritualizzazione della carne. Nella nostra realtà corporale, il Verbo ci purifica, ci assume e ci fa figli di Dio: ci rende conformi al Lògos.
Questo doppio movimento si ha nella musica liturgica. Da una parte, i sacramenti verrebbero a trovarsi senza un luogo loro proprio se non si compiono in una liturgia che segue l'espansione del Verbo in una dimensione corporea e nell'ambito dei nostri sensi. Da ciò deriva la necessità di giungere alle sfere più profonde del comprendere e del rispondere, che si aprono nella musica. Il Verbo, la Parola si fa musica della fede quale incarnazione. Il legno e metallo si fanno suonare: materiali che, senza coscienza né libertà, vengono usati per produrre un suono ordinato, ricco di significato. È qui che - afferma il Papa - si deve scoprire il canto che riposa nel fondo delle cose, e tradurlo in musica della fede.
Inoltre, tale farsi musica della fede è già, in se stesso, la seconda parte del movimento, la spiritualizzazione della carne. Il Papa lo spiega in termini di integrazione. La musica adeguata deve integrare i sensi nell'intimità dello spirito. Per di più, tale integrazione non avviene nell'uomo stesso, se non nel movimento che lo innalza ulteriormente verso l'intimità del Verbo. Si giunge, in fine, a scoprire quale sia il luogo e il ruolo della musica liturgica.
"Rende libera la via ingombra verso il cuore, verso l'intimo del nostro essere, là dove questo viene a contatto diretto con l'essere del Creatore e del Redentore. Ovunque ciò si verifica, la musica diventa la strada che conduce a Gesù; la via per la quale Dio mostra la sua salvezza".
Nel contesto sacramentale, la musica è un codice che supera le parole e la pura razionalità. La musica liturgica apre a una maggiore intimità con Dio, amplia il vocabolario nell'unione con il sacrificio di Cristo. Con essa, il cuore dell'uomo si rende maggiormente capace di nutrirsi dei sentimenti del Cuore di Cristo, e portando con sé la creazione, si lascia introdurre nel dialogo della Trinità. Cosa c'è di meglio che il bello per parlare della bellezza dell'amore di Cristo in Croce? Chi meglio dello Spirito Santo, è in grado di conformare il bello, in modo che parli veramente di Cristo?
La liturgia non è un happening di buona fattura. La liturgia è una festa, perché la redenzione compiuta da Cristo ha dato una reale risposta alla morte. Capito questo, e che non si tratta di risolverla sulla base di un'abile psicologia o di volenterosi dilettanti, ciò che importa è il Mistero, soprattutto l'azione di Dio e la conseguente risposta l'uomo; solo allora si può parlare di conclusioni pratiche.
La musica liturgica deve servire a un messaggio che si realizza nel dialogo intimo - proprio della liturgia - che, in presenza della grazia, si realizza tra Dio e l'uomo. Se la liturgia terrena si realizza in unione con quella celeste, la musica stessa deve adeguarsi alle circostanze. La liturgia non si fa, ma si accoglie; lo stesso per la musica. In quanto festa, la liturgia si veste di splendore e richiede il potere trasfigurante dell'arte. Inoltre, il vero luogo di nascita dell'arte è la liturgia. Quando l'arte viene sottoposta alle leggi del mercato - come avviene con la musica pop - viene annullata in quanto arte.
È chiaro, quindi, che non tutta la musica è adatta. Una musica che si propone come liturgica deve esser purificata, come il cuore dell'uomo. La musica adatta deve essere docile e riportare l'uomo al contatto con Cristo, alla sua integrazione verso l'alto. Il salmo afferma psallite sapienter. Talvolta si traduce in cantare bene. Però allora: che cosa significa questo riferimento alla saggezza (sapienter) nel canto? Il Papa lo spiega con l'affinità che esiste tra saggezza e musica. In ambedue l'uomo si coinvolge interamente, con tutte le dimensioni del suo essere. Dio ci interpella nella totalità del nostro essere, e l'espressione musicale fa parte della autentica risposta umana. Così, spiega il Papa, il cantar bene è entrato nella coscienza della Chiesa, quale esigenza a livello artistico, per adorare Dio. Le modalità espressive offerte dalla musica sono necessarie per la nostra risposta.
Da ciò il compito: com'è possibile giungere a una musica liturgica adeguata? Un esempio elementare: se una cultura non consente di presentarsi in società con un abbigliamento inadatto, tanto meno permetterà che il sacerdote salga a celebrare la messa con una patacca sul camice. Su questo non c'è dubbio. E, tanto più, la musica, che è liturgia, perché dovrebbe essere ammessa se è difettosa? Un atteggiamento simile non equivale a ridurre a priori le possibilità che Dio offre per unirsi a Lui, proprio nella convergenza tra la corrispondenza la grazia?
La traduzione in termini più immediati è multipla e merita un discorso a parte. Si può però portare qualche esempio. Supponiamo conosciuto il Magistero sulla musica liturgica e teniamo conto dei precedenti argomenti teologici. Che dire del compositore e dell'ascoltatore? Il compositore di musica liturgica deve essere in grado di assumere la responsabilità dell'ineffabile che la musica può contenere. Le grandi composizioni liturgiche sono una esegesi del Mistero rivelato.
Il punto di riferimento proposto da Ratzinger è la costruzione del Tempio in Israele: Dio comunicò a Mosè la forma che esso doveva avere e gli artisti lavorarono per riprodurre la volontà divina. La creatività è partecipazione alla creatività di Dio. L'implicazione è duplice. Da una parte, il compositore deve porsi in condizioni di sentire le indicazioni di Dio. Perciò conta su un aiuto insostituibile: la musica sacra nasce come un dono dello Spirito Santo. In secondo luogo, il compositore deve essere esperto. Senza professionalità non è possibile ascoltare fedelmente messaggio, e tanto meno trasmetterlo.
Per quanto si riferisce all'ascoltatore, è facile comprendere la grandezza del tesoro che la musica liturgica offre e, pertanto, come deve essere accolta e anche come deve intendersi la partecipazione attiva alla liturgia dal punto di vista della musica.
Musica liturgica non significa musica tediosa o semplicemente brutta. Musica liturgica non può significare musica banale o canzoni da falò. Tanto meno può significare musica propria di circoli esclusivi di eruditi. Oggi mancano modelli. Il Papa ha proposto delle vie per provare a incontrarli. Attualmente si sta lavorando. Sono necessari un po' di pazienza, un po' di fiducia, e molta preghiera.
(©L'Osservatore Romano 8 dicembre 2011)
Eugène Burnand Les disciples Pierre et Jean courant au sépulcre le matin de la Résurrection
Eugène Burnand Les disciples Pierre et Jean courant au sépulcre le matin de la Résurrection
Eugène Burnand (Moudon, 1850 – Parigi, 1921) è stato un pittore svizzero.
, 1898, olio su tela, 82×134 cm, Museo d'Orsay, Parigi
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