Sunday, March 25, 2012

「宗派を超えて」に違和感と疑問

「宗派を超えて」に違和感と疑問

神奈川県・大船教会 江澤増雄 (77)

新聞や書物に折に触れて登場する、「宗教、民族、国籍を超えて」とか、「宗派を超えて」とかいう類の思想ないし理念に、私は違和感と疑問を抑えることができません。ごく最近の例では、あるタウン誌の第一面に、「明日、3月11日、建長寺では、神道・仏教・キリスト教が宗派を超えて 追悼・復興祈願祭」と題する記事がありました。
事ほどさように、日本国では「宗派を超えて」という思想ないし理念が、「宗派」の上位概念として平然と登場します。
この思想ないし理念は個々の「宗派」を数ある「宗派」の一つに相対化してしまうので、結局は「万教一致」思想にたどり着きます。「宗派を超えて」という思想ないし理念のもとでは「宗派」は相対的価値しかなく、「宗派」は人類が超えるべき障害の一つでしかありません。
しかし、「宗派を超えて」という思想ないし理念を是とする人からは、「宗派を超える」積極的な価値が示されることなく、示されるのはせいぜい人間中心の「人道主義」であり、それ以上のものではありません。
「宗派を超えて」という思想ないし理念には、果たして日本国以外の地にも妥当する普遍性があるのでしょうか。

カトリック新聞 2012年3月25日


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Thursday, March 08, 2012

Ricci added a sixth relationship to Confucianism

"Ricci is adding another dimension to the five relationships of Confucianism among human beings (king and officials, father and son, husband and wife, brother and brother, friend and friend): the relationship between human being and their Creator."

(CHUNG-YAN JOYCE CHAN, Commands from Heaven: Mattoe Ricci's Christianity in the Eyes of Ming Confucian Officials, Missiology vol. XXXI, 3, July 2003, p. 284)