Friday, February 28, 2014

Insight, 571

Insight, 571

エレウシス(ギリシア語: Ελευσίνα エレフシナ、古典ギリシア語: Ἐλευσίς エレウシス)とは、古代ギリシアのアテナイに近い小都市。ギリシア神話に登場する女神デーメーテールの祭儀の中心地として知られる。また、古代の悲劇詩人アイスキュロスの生誕地でもある。
エレウシスの秘儀[編集]



テレステリオン(秘儀堂)跡
デメテルの祭儀はエレウシスの祭儀、またはエレウシスの秘儀と呼ばれ、古典古代時代最もよく知られた秘儀のひとつであり、しばしば単に「秘儀」として言及されることもある。エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。マーティン・P・ニールソンはこの秘儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」事を意図されていたと述べている。
その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。
キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの祭儀も絶えた。ドイツの哲学者フリードリヒ・シェリングは、その著書の中で、前哲学的思惟の形態としてのエレウシスの秘儀をしばしば論じている。


サモトラキは古代ギリシャでどの政治的権威を持つ国家にも属していなかった。それは、島に天然の港がなく、島の大半が山がちで生産性に乏しかったことが原因である。フェンガリ山は1,624メートルの高さである。しかし、サモトラキ神殿群の場所は、重要なヘレニズム・前ヘレニズム時代の宗教儀式のおこなわれる場所だった。神殿を訪問した人々の間から島は、スパルタの将軍リュサンドロス、マケドニア王ピリッポス2世、ユリウス・カエサルの義父コルネリウス・ピソらが崇拝する地となったのである。

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。
三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(草薙剣)を指す。皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、多くの面が謎に包まれている。









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Wednesday, February 26, 2014

歴史的反省

十六世紀、スペイン・ポルトガルから、キリスト教宣教師が来て、新しい西欧の宗教とルネッサンス期の文明を日本に紹介したとき、日本人の人格と高潔な生活態度、それに知的レベルの高さを評価する手紙を本国に書き送っている。これは日本人の中に、依然として人格の統一性があった証拠になる。

 ただし現代日本人の人格形成の上で、想像以上の影響を与えたのは、徳川時代の長期にわたる封建制、鎖国、切支丹の禁制である。概して宗教弾圧には非論理的要素が多いが、切支丹大名の追放処分、庶民にたいする残酷な処刑法は、日本人の性格を歪めないわけにはいかない。五人組制度など、同一の村落隣組内の切支丹密告組織として、同胞隣人にたいする不信感を植え付けたことは疑えない。

 日本の歴史を顧みて、国全土にわたって、国家的規模で、同国民女子供を含め、住民を容赦なく引き出し、逆さ吊りにしたり、穴蔵に放り込んだり、燃える硫黄を浴びせたり、十字架につけたりして拷問・惨殺を行ったのは、この時代を除いてはない。宗教とか信仰に命がかかるのは、その信仰が人間生活に重大な意味を持ってくるからであるが、信長や秀吉の初期の好意的な態度が一転して、迫害と追放、それから鎖国へと極端な形を取ったことは、日本国民全体にとって不幸な時代であった。このような宗教弾圧によって、気骨のある切支丹が容赦なく追放されたり、殺されたりしたあげく、結局はコロビの背教者と、幕府の迫害に荷担した臆病な日本人が生き残って、今日の日本人が存続しているといえば、言い過ぎであろうか。

 そのあいだ世界は、近代に向かって急速に前進していた。切支丹弾圧と鎖国の期間、つまり十六、十七、十八世紀なくしては、現代世界と自由主義、啓蒙思想は語れないなら、当時の日本の損失は想像を越える。そのあいだ江戸時代の町人文化は栄えたが、その反面、日本人の論理性が後退し、それに代わって内向的な情緒性が花開いたと言える。十九世紀後半、日本は明治の開国と同時に、切支丹禁制の高札を撤去し、近代国家の仲間入りをすると同時に、三百年の遅れを一挙にとり戻そうと、西洋の文化を大車輪で取り入れた。さらに軍備を強化し、日清日露両戦役で勝利をおさめた結果、自信を深め、さらに太平洋戦争に突入した。長年の閉鎖的国策が、反対方向に向かって爆発した。

 このようにして戦後日本の経済が急速に伸びていく一九六、七〇年代、日本人自身のアイデンティティーを求める著書が、書店の店頭を賑わすようになる。日本人とは一体どんな民族か、日本人を理解するためのキーワードは何かが問われる。それは恥の文化、恩、義理、それに甘え、和、タテ社会の論理、単一民族社会、農耕社会、神道的空間、日本教理論、日本会社論など、いろいろの角度と立場から、批判と内省と分析の声が上がった。「日本論Japanology」が口にされ始めたのは、そのころからである。

http://www.arcanapress.com/NagashimaNihonjinron.htm

Monday, February 24, 2014

モリナ主義と異なる解決

モリナ主義と異なる解決

Now all
being - every conceivable thing and every conceivable act - falls into one
ofthe following four categories: (I) positive being, (2) non-being and lack
(carentia) , (3) privation in the restricted sense, and (4) privation in the
strict sense. That is, some entities are (for example, New York City,
Lincoln's delivery ofthe Gettysburg Address); some entities simply are not
(for instance, my multi-million-dollar fortune, my winning of the Boston
marathon); some entities could and ought to be but are not, where 'ought'
has a restricted sense (for example, animal species rendered extinct by
climatic change, the absence of electrical current in a neighbourhood as
a result of a storm), and some entities could and ought to be but are not,
where 'ought' is intended in the strict sense; formal sin is the sole occu­
pant of this category. There are four possible ways in which an extrinsic
denominator can be, and hence four possible modes of agere.

あらゆる存在するものごと、考えられ得るあらゆる物事、行為は、以下の四つの範疇・カテゴリーに分けられる。

1) 端的に存在する物事

例えば、大阪市、豊臣秀吉の天下

2) 非存在、欠如

例えば、私の銀行口座に入ってる100億円、私が神戸マラソンで一位になったこと。

3)限られた意味での欠如

例えば、絶滅になった動物種、台風の後の停電
つまり、存在し得るし、存在するはずのだが、たまたま存在しない。「するはず」「すべき」は限られた意味をもっている。

4) 厳密な意味での欠如

このカテゴリーの唯一のメンバーは罪である。
行われるべき神の意志、行われていない欠如、神の望んだ結果は存在しない。この場合、「はず」と「べき」は厳密な意味をもっている。

I) 神は、1)の存在を直接に意志する
II) また、2)の非存在を意志する (このうちに3)のような欠如が間接的に意志されることも含まれる)
III) これは特別なカテゴリーで、不条理な存在として、理解不可能性を特徴としている。外的原因に還元できない。不条理なもの原因は語れない。










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Insight, 567

Insight, 567

パウル・ティリッヒ(Paul Johannes Tillich、1886年8月20日 - 1965年10月22日)は、20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はティリヒとも。名を英語読みでポールと表記される。
組織神学、宗教社会主義の思想で知られる。カール・バルトと並ぶ神学者であり、その影響は広く哲学や思想、美術史に及ぶ。

『ティリッヒ著作集』全13巻(白水社)

にじゅうしんりせつ【二重真理説】

後期スコラ哲学にみられる,信仰と知識との関係についての考え方の一。啓示によって与えられる信による世界把握と,理性の推論によって得られる知による世界把握とは,それぞれ別のことであるから両者ともに容認される,と考えるもの。

二重真理説は、ラテン・アヴェロイズムの信奉者によってキリスト教世界にもたらされ、度重なる異端宣告を受けるに到った。



ランガー【Susanne Knauth Langer】 1895‐1985

ドイツ人を両親とするニューヨーク生れの女性哲学者。アメリカ国内の多くの大学で教壇に立った。A.N.ホワイトヘッドおよびカッシーラーを師と仰ぎ,シンボル(象徴,記号)に関する両者の洞察を継承,これを多方面に応用して文化に新たな照明を加えた。ことにシンボルの見地から芸術現象の本質的機能に迫ろうとする芸術意味論を精力的に展開,所説に幾多のあいまいさをとどめながらも,学界を鼓舞した功績は大きい。主著は《シンボルの哲学》(1942),《感情と形式》(1953)など。

S.K.ランガー(著) 『感情と形式2 -続「シンボルの哲学」-』 太陽社 1999年











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国民を一元的に統一している文化は、共通語としての日本語しかない」

 この山崎正和氏は、一週間ほど前の読売新聞(1月21日2007年)『地球を読む』シリーズのエッセイで、「愛すべき現在の日本」と題して、次のように述べています。

 「新しい教育基本法が制定されて学校は従来にない課題を背負うことになった。・・・『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する』心の涵養が求められているからである。もっともこの理想はきわめて穏当であって、政治思想の点で右傾化したとかの心配を誘うものではない。・・・そのせいか国会の論戦はイデオロギー的にはきわめて低調であった。」

 だが、「教育現場にとって真に困難でもあり、混乱を招きそうな課題は・・・愛郷心や愛国心といい、いずれも人間の内面の問題」だということで、こうした個人の価値観や規範意識にかかわることがらを、近代の制度的・組織的な学校のなかでどうして教えられるか、ということである。

 「論点は大きく二つに分けられる。・・・現代では・・価値の多元化がさらに進み、その多様性を認めることこそ倫理的だと広く考えられている」こと。もう一つは多くの内面的な価値は教える人の人格に結びついていて、教壇から組織的に伝授することは不可能に近いということである」

 前段でこのように述べた上で、中段では、新基本法が敬愛する「日本の伝統」そのものも、時代によってまた地域や階層によって違いがあり、時には価値観の上で衝突を招くことさえあった、と述べ、さらに、価値観の多元化の深刻な現代において、倫理問題について、平均的な教師が学校で教えられる事は限られている、と注意を促しています。

 そして後段では、「このさい私が提案したいのは、内面的な価値としての倫理を学校で教えることはあきらめ、もっぱら客観的な順法精神の寛容に徹すべきだ」として、次のように結論づけています。

 「こうして学校で教育できることが倫理ではなく法的正義だとわかれば、そこで教えられる愛国心」とは「法と法で定められた制度からなりたつ国への愛情であり、いいかえれば、合理的な近代国家への愛情であるほかはない」

 「端的にいえば、愛されるのはたとえば『和の心』や『日本的協調』ではなく、比較的犯罪が少なく納税意識が高く、衛生や交通の秩序が守られている現在の日本であるべきなのである。」

 ところで「この日本という政治単位が初めて誕生し、全ての住民がそれに帰属意識を覚え始めたのは、近代以降のことで・・・今日では、その版図は世界的な範囲に起源をもつ芸術や社会風俗をうちに含んでいる」

>>  そうした「現在の多元的な日本文化のあいだで、例外的に近代国家の成立とともにつくられ、結果として国民を一元的に統一している文化は、共通語としての日本語しかない」ように思われる。


 つまり、それは「異質な価値観を媒介して、日本社会を分裂から守る最強の防波堤に他ならない。しかもこれは十分に制度的な学校教育になじみやすい対象だから、愛国心はまず思いきった国語教育の充実に徹するべきだろう。」

 氏が、このエッセイで最もいいたかったことは、この最後の部分、「愛国心はまず思いきった国語教育の充実に徹するべきだろう」ということだろうと思います。こうした山崎氏の主張を見れば、今回、氏が中教審の会長に選出されたことは、私は、政治とのバランスをとる上で大変いいことだと思います。

 私は、本来、文部大臣というポストは、氏のような見識を備えた文化人が引き受けるべきで、戦後のイデオロギー対立の激しい時代はやむを得ないとしても、もうそろそろ、政治主義に対して文化主義を対置しうる人物を据えるべきではないか、と考えます。

 いずれにしても、今回の「教育基本法改正」は、政治の力で道徳教育をやれるという思い込みを具現化したものですから、私の予想では、これは次第に保守に対する信頼を失わせるひとつの契機になるのではないかと思います。

 もちろん、私は、このような議論をするからといって、日本人の愛国心やそのよって立つ歴史・伝統・文化を否定的に見ているわけではありません。それは、自分たちの言葉を大切にするという意味で当然のことだと思っています。

 それ故にこそ、それは決して法律でもって国民に強制するものではないということをいっているのです。福沢諭吉の言葉を借りれば、それは独立自尊の精神と分かちがたく結びつく「哲学の私情」ということになります。

 ところで、最近の朝日新聞(H19.1.25)の世論調査によると、日本に生まれて良かったと答えた人が、男女とも全ての年代で9割を超し、愛国心があると答えた人は78%に上ったといいます。

 おそらく、これは、北朝鮮や中国など、日本を取り巻く国際的な政治環境が厳しさを増していることによるものと思われますが、一方で、「愛国心」をしっかり持つ人の方が過去の戦争に対する反省も強いという結果も出ています。

 また、近年、蔭山英男氏や斉藤孝氏によっる、日本の伝統的な教育法である「読み・書き・計算」を生かした教育や、古典の暗唱教育などが注目を集めています。また、「早寝・早起き・朝ごはん」などの国民運動も始まろうとしています。

 こうした動きを見ると、一国における伝統・文化の創造的発展は、決して、権力による画一的強制によって生まれるものではないということが分かります。おそらく、今後は、国語教育から歴史教育の充実へと人々の関心が移っていくものと思われます。

 山崎正和氏は「愛されるのは・・・比較的犯罪が少なく納税意識が高く、衛生や交通の秩序が守られている現在の日本であるべき」といっています。しかし、それは偶然の産物ではなく、あくまで歴史的に形成されてきたものです。

 それだけに、安穏だからといって現状を無批判に肯定したり、またそれがいつまでも続くかのような錯覚に陥らないようにしなければなりません。歴史的思考法及び比較文化的思考法を学ぶ必要があります。私が「山本七平学」をすすめる所以です。


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Sunday, February 16, 2014

Neocatecumenali An Outstanding Example of Bad Journalism


新求道の共同体は、1479教区、129カ国、5大陸で、20432グループ、6272小教区に活動している。
300の家族は、93カ国に派遣されておる。
神学生は2300人
1989年から現在まで1880名は叙階されている。

今日のヴァティカン新聞から

Il Cammino neocatecumenale attualmente è presente in 1.479 diocesi
di 124 Paesi nei cinque continenti con oltre 20.432 comunità in 6.272
parrocchie; 901 famiglie, inviate dal Santo Padre, sono in missione per
la nuova evangelizzazione in 93 Paesi. In questo ambito oltre 300 fami-
glie sono state inviate per formare 98 missiones ad gentes. E 2.300 semi-
naristi si stanno preparando a divenire presbiteri. Dal 1989 sono stati
ordinati oltre 1.880 presbiteri formati nei seminari Redemptoris Mater.

In Giappone ci sono 16 diocesi con circa 1000 parrocchie. Circa 900 presbiteri
di cui la meta straineri e l età media sopra i 60. Se confrontiamo le cifre si può capire
la stupidità del giornalista che ha scritto questo articolo.
Tra 50 anni la chiesa giapponese sarà una dependance della chiesa coreana
Che manderà  missionari neocatecumenali a colonizzare il Giappone.

In Giappone ci sono dei vescovi che pensano che si possa evangelizzare raccontando qualche balla alla bellemeglio, come un qualsiasi politico da strapazzo. Questo articolo e' un riflesso di quella pensata. Se vivremo ne vedremo delle belle.


「一致と地元文化の尊重を」:教皇

「一致と地元文化の尊重を」:教皇

「一致と地元文化の尊重を」:教皇

February 13, 2014
「一致と地元文化の尊重を」:教皇 thumbnail
2月1日、「道」の共同創立者キコ・アグェヨ氏の話を聞く教皇(CNS)
【バチカン2月3日CNS】教皇フランシスコは、信徒運動体「新求道共同体の道」(以下「道」)のメンバーたちに対して、宣教活動の努力に感謝の意を示しつつも、教会内の一致への協力や地元文化への理解を求め、運動体を去ろうと決めたメンバーの意志を尊重するよう促した。
教皇は2月1日、バチカンのパウロ6世ホールで、小教区に拠点を置き養成プログラムを行う「道」のメンバー数千人との特別謁見を開いた。
この謁見は毎年開かれており、現地司教の要請に応えて宣教者として派遣される「宣教家族」を教皇が祝福してきた。教皇フランシスコはメンバーたちにあいさつし、「宣教家族」たちの働きに感謝の意を表した。
教皇は、新しい福音宣教を必要としている地域に出掛けて行く「道」のために、三つの「簡単な勧告」を明示した。
(1) 「道」のメンバーは自分たちが働く小教区と教区内の「交わりを築き、維持するために最大限の配慮」をしなければならない。
(2) 宣教者たちは、神が聖霊を通して、人々がみことばを受け入れるように計らわれていることを念頭に置かなければならない。
(3) 「道」のメンバーは、互いに愛と思いやりを示し合わなければならない。
教皇フランシスコの交わりを求める呼び掛けは、前任者の名誉教皇ベネディクト16世による同様の懸念を反映するものだった。前教皇も「道」のメンバーたちに、その大切な働きが絶えず「使徒座と、彼らが働く地方教会の牧者との交わり」を保つよう促していた。
特に日本など世界数カ所で、「道」は地元文化の尊重に欠け、小教区内で分裂をつくり出す潜在的要素があることに懸念を表明してきた司教たちもいる。

Saturday, February 15, 2014

Revel からの写真

Insight, 560

Insight, 560

Mythic Consciousness

Deconstruction 脱構築

1) positions <> cointerpositions. 水道
2) description <> explanation. 電気
3) question <> answer. 電話・テレビ・インターネット



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Friday, February 14, 2014

臨死体験

臨死体験


http://ja.wikipedia.org/wiki/臨死体験



2001年の12月オランダ人科学者Pim Van Lommel氏らが、臨死体験に関する最大規模の調査を行った。その結果はイギリスの医学雑誌Lancetに掲載されており、その内容はSam氏らが行った上記の発表内容に類似していた。

Van Lommel氏らは、その発表に際して、臨死体験時の光景は、中枢神経の機能が停止した瞬間に出現するとの見解を示している。これは、意識が脳の活動とは別に存在していることを意味している。つまり意識を司っているのは脳ではない、ということになるのだ。

この見解の根拠として、Van Lommel氏は臨死体験のある事例を挙げている。

「ある1人の男性患者が昏睡状態のまま蘇生室に運ばれ、あらゆる蘇生処置が施されたが一向に意識を取り戻す気配がなかった。脳の機能は停止し、脳波計には左右にまっすぐに延びた線がピクリともせずに表示されていた。

処置に当たっていた医師たちは、なんとか彼を蘇生させようと気管内挿管(気管にチューブを入れ呼吸を補助する)を行った。その際に患者がしていた入れ歯が邪魔になったため、入れ歯を抜き取り、チューブを挿入し、蘇生処置を続けた。

その1時間後、患者の心臓は動き始め、血圧も正常に戻った。つまり蘇生したのだ。

その1週間後、その患者が看護婦にこう言った。「もうそろそろ入れ歯を返してくれないか?(蘇生処置の際に)カートの引き出しに入れただろ?」と。

彼の言うとおり、確かに入れ歯はカートの引き出しにしまったのだ。しかし蘇生処置の際には彼の脳は停止していたはずである。疑問に思った看護婦が彼に問いただすと、彼は自分が死んでいく瞬間を上から見ていたのだと答えた。

それだけではない。蘇生室での様子や医者たちの処置についても彼は事細かに説明することができたのだ。

彼は上からその様子を眺めながら、医師たちが自分の蘇生を諦めてしまうのではないかと怯え、自分がまだ生きているということを何とか知らせようとしたのだと語った。」

Van Lommel氏はこの他にも、男性よりも女性のほうが強固な意識(魂)を持っていることや、向こうの世界に深入りしすぎた患者はたとえこちら側に戻ってきても、蘇生から一ヶ月後には死亡してしてしまうこと、更には、盲目の患者でも、我々と同様の臨死体験(視覚的なもの)を体験できるということなどを発見している。

世界中の科学者たちが、この魂の存在を解明するべく躍起になって研究を行っている。私たちが出来る唯一のことは、死という現象があの世とこの世を結ぶ結節点でしかないと言うことを信じることだけなのかもしれない。

http://kkeita5129.blog8.fc2.com/blog-entry-266.html

『ランセット』(英語:The Lancet)は、週刊で刊行される査読制の医学雑誌である。
同誌は世界で最もよく知られ、最も評価の高い世界五大医学雑誌の一つであり[1]、編集室をロンドンとニューヨークに持つ。






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Wednesday, February 12, 2014

L’attimo in cui furono divise le acque

L’attimo in cui furono divise le acque

mercoledì 12 febbraio 2014 L’OSSERVATORE ROMANO

Pubblichiamo l’editoriale apparso su «Avvenire» dell’11 febbraio.
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di PIERANGELO SEQUERI

Quell’attimo da brivido, che sembrò asciugare il tempo, durò davvero un attimo. Il popolo di Dio — dobbiamo dirlo — fu il primo a riaversi. Intanto che i dottori discutevano, nel tempio e fuori del tempio, il senso della fede incominciò a far circolare un’aura di rispetto, di ammirazione, di comprensione e di riconoscenza, così spontanea e avvolgente, che anche i dottori smisero di agitarsi e incominciarono a riflettere. Per un attimo, la sobria compostezza dell’annuncio non ci era apparsa come il chiaro segno della sua meditata ispirazione: prima patita, poi accolta e infine risolta nella pacificazione dello Spirito. Per un attimo, l’umiltà del gesto ci ha sgomentati — e persino mortificati — come fosse un’umiliazione del ministero petrino, invece che l’esaltazione della sua integra restituzione alla Chiesa che il Signore guida. Per un attimo, la serena determinazione di quell’atto estremo — atto di magistero e di ministero del Papa pur esso, non dimentichiamolo — ci è apparso come un gesto di umana e comprensibile liberazione dai pesi. Invece, era l’i m p revedibile audacia della libertà cristiana; la quale riprende interamente su di sé, per non gravarla sul ministero ecclesiale, la fragilità del vaso di creta in cui tutti portiamo il mistero.
Nella realtà, uno scenario di altissima tensione, polarizzato intorno alla casa di Pietro, veniva improvvisamente contrastato e persino stravolto — da un ultimo appello di Pietro alla Chiesa intera.
La sua potenza drammatica era tutta nello scarto fra i toni e il gesto. Le parole erano miti e minime, sull’orlo del silenzio che ne sarebbe seguito. Il gesto sollevava la montagna e le intimava di gettarsi nel mare.
L’audacia impensata del gesto profetico di Papa Benedetto XVI consegnava apertamente alla Chiesa la testimonianza della durezza e dell’urgenza di un’ora che non poteva più essere rimandata.
La Chiesa non può più limitarsi a custodire se stessa, al riparo dal vento e dal fuoco di Dio. Intanto, l’affettuoso minimalismo del congedo, che si disponeva a onorare la continuità della sua intercessione nella forma di una presenza trasfigurata e discreta, incominciava a rischiarare le ombre con la serenità dei suoi modi. E inaugurava, proprio così, l’inedita continuazione “monastica” del ministero di un Papa “emerito”: pura presenza testimoniale e invisibile intercessione orante. Ministero della conferma della fede che si prolunga spiritualmente, e senza interferenza alcuna, con altri mezzi. Mediazione nascosta, certo, ma anche — e da subito — fedeltà di una presenza che toglie ogni pretesto per gli ingenerosi moralismi dei grilli parlanti. Il servitore dei servi della Chiesa
non fugge. Si ritrae, quando il Signore chiama, per spianare la strada — in perfetta obbedienza — a colui che il Signore ha destinato alla successione di Pietro.
Nella luce dell’integrità che il gesto ha conservato, e dell’esuberanza di eventi che n’è seguita, la sua ispirazione ci persuade, ogni giorno che passa, della portata storica e teologica del suo carisma e della sua promessa.
Abbiamo imparato qualcosa, sul ministero petrino nella Chiesa, che forse avevamo dimenticato.
In quanto eredità personalmente consegnata dal Signore, per l’edificazione della Chiesa, il ministero di Pietro non è proprietà identitaria, ma bene comune.
Non lo si occupa come padroni, ma come servitori. In quel gesto, che ha riaperto la storia alla Chiesa, abbiamo imparato qualcosa anche sul Papa Benedetto XVI, che ancora non avevamo capito.
(E chi ha orecchie per intendere, ha occhi per vedere, adesso).
Da quell’attimo, in cui furono divise le acque, è già passato un intero anno. La potenza di quel gesto, che ha sfidato, per amore della Chiesa, l’i n c o m p re n s i o n e mondana dei sapienti e degli intelligenti, ha miracolosamente rischiarato la strada per il popolo di Dio che stava fra le ombre.
Ma non ha mancato di colpire — almeno per un attimo — lo sguardo smaliziato e incredulo dei potenti della terra, che si sono sentiti tanto meno agili nello slancio e nel rinnovamento.
Un mite e colto sacerdote bavarese, dopo aver istruito e confermato anche da Papa la fede della Chiesa fra le acque, ha suonato infine, con il suo congedo dal ministero supremo, la campana del risveglio per la Chiesa del terzo millennio. Il suo rintocco è risuonato come un colpo di maglio per ogni requisizione proprietaria del ministero ecclesiale, madre di tutte le sue corruzioni:
dell’autorità nel privilegio, del mistero nell’intrigo, del carisma nella carriera. In un lampo di silenzio attonito, durato circa mezz’ora, il fondamentalismo religioso e la condiscendenza mondana, che insidiano gli aspiranti leader della comunità, nella Chiesa, si sono scoperti nudi e vuoti di legittimazione. Ora tocca davvero al popolo di Dio, e ai suoi capi, muoversi all’altezza di
quel gesto.

Grace and Freedom Lonergan on Molinism

Now all
being - every conceivable thing and every conceivable act - falls into one
ofthe following four categories: (I) positive being, (2) non-being and lack
(carentia) , (3) privation in the restricted sense, and (4) privation in the
strict sense. That is, some entities are (for example, New York City,
Lincoln's delivery ofthe Gettysburg Address); some entities simply are not
(for instance, my multi-million-dollar fortune, my winning of the Boston
marathon); some entities could and ought to be but are not, where 'ought'
has a restricted sense (for example, animal species rendered extinct by
climatic change, the absence of electrical current in a neighbourhood as
a result of a storm), and some entities could and ought to be but are not,
where 'ought' is intended in the strict sense; formal sin is the sole occu­
pant of this category. There are four possible ways in which an extrinsic
denominator can be, and hence four possible modes of agere.

The Divine Initiative
Grace, World-Order, and Human
Freedom in the Early Writings of
Bernard Lonergan
J. MICHAEL STEBBINS
p. 276

There is a corresponding
trichotomy in God's willing of each of these objects: God directly wills
being to be; God wills non-being not to be, which includes the indirect
willing of privation in the restricted sense; and God permits the privation
of sin. Thus, formal sin represents a distinct category of being, a surd, a
mere matter of fact that has no intelligibility of its own and cannot be
reduced to any extrinsic cause.
p. 279

Deus igitur neque vult mala fieri neque vult mala non fieri sed vult
permittere mala fieri, et hoc est bonum.
ia, q. 19, a. 9, ad 3m; on why it is good to permit evil, see ia, q. 13, a. 5, ad 3m.

. unde malum culpae, quod privat ordinem ad bonum divinum, Deus
nullo modo vult; sed malum naturalis defectus vel malum poenae vult
volendo aliquod bonum cui coniungitur tale malum.
ia, q. 19, a. 9, c ; cf. ia, q. 49, a. %\ ia 2.ae, q. 79, a. 1

in rebus dependentibus a Deo falsitas inveniri non potest per
comparationem ad intellectual divinum, cum quidquid in rebus accidit ex
ordinatione divini intellectus procedat, nisi forte in voluntariis agentibus
tantum, in quorum potestate est subducere se ab ordinatione divini
intellectus; in quo malum culpae consistit; secundum quod ipsa peccata
falsitates et mendacia dicuntur in Scripturis, secundum illud Ps. 4: 'Ut
quid diligitis vanitatem et quaeritis mendacium?' sicut per oppositum
operatio virtuosa Veritas vitae nominatur, sicut dicitur loan. 3: 'Qui
facit veritatem, venit ad lucem.'
87
In this passage an assertion of absolute objective falsity appears as
an afterthought ; i t begins hesi tant ly wi th a nisi forte; but i t gains
momentum as i t proceeds, and i t ends on the level of the Joannine
antithesis of Light and Darkness.
In this doubtful passage wha t appears decisive is the argument
offered: malum culpae must be an absolute objective falsity if i t
consists in subducere se ab ordinatione divini intellectus—that is a
definition. But does the sinner really wi thdraw from the ordi­
nance of divine intellect? It is not too difficult to find passages in
which St. Thomas states or implies as much. Thus, after main­
taining in ia, q. 103, a. 7 that nothing can occur praeter ordinem
divinae gubernationis', St. Thomas at once proceeds to ask whether
anything can revol t contra ordinem divinae gubernationis. The answer
to this is a distinction between general and specific ends, between
universal governance and its execution by part icular causes. In the
response St. Thomas is content to deny revol t in the former sense.
His idea is from Boethius: *
c
non est aliquid quod summo huic bono
vel velit vel possit obsistere." His argument is that the sinner
ia, q. 17, a. 1, c.







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La lezione di Charles de Foucauld


La lezione di Charles de Foucauld
In un testo scritto nel 1953 da Giovanni Battista Montini

L’OSSERVATORE ROMANO mercoledì 12 febbraio 2014

Per comprendere queste pagine bisognerà avere qualche conoscenza della singolare figura di asceta e di mistico da cui traggono ispirazione, di Carlo de Foucauld, o, come ormai è chiamato dai suoi seguaci, Carlo di Gesù. Eremita missionario era divenuto dopo essere stato ufficiale dell’e s e rc ito coloniale francese, e dopo essersi convertito a fervore di vita cristiana, ammaestrato e affascinato dal misterioso incanto del deserto africano; poi pellegrino in Terra Santa, si fa trappista, vagante dall’Armenia a Roma, lascia l’ordine per ritornare in Palestina, e di là ripassare in Fran-cia, donde, ordinato Sacerdote, ritorna in Africa, ormai sua patria spirituale, e vi consuma anni di poverissima vita, assistendo, nomade lui stesso, le tribù musulmane; si stabilisce poi nell’oasi di Tamanrasset, nello Hoggar, per terminare l’anelante sua carriera terrena assassinato, su la porta del suo eremitaggio, da quegli stessi ai quali aveva portato, pieno e benefico, l’umile dono della sua amicizia: questo fu il primo dicembre del 1916.
Una vita così varia e tormentata, così vagabonda e insieme così tranquilla, solitaria ed avida d’incontri spirituali, agitata da molteplici esperienze e strane avventure e resa da esse ognor più semplice e raccolta, così gradatamente spoglia di tutto e insieme progressivamente ricca di bontà e di amore, sconcertante e avvincente, spunta come un tenue lume fra le mille luci fatue del nostro
secolo, e a mano a mano ch’essa si allontana nel tempo diviene un faro, e segna un cammino.
Questo cammino è ora percorso dal Padre Renato Voillaume, Priore Generale dei Piccoli Fratelli di Gesù, che esorta con questi scritti spirituali le sue umili comunità, le “fraternità”, che dallo spirito di Carlo di Gesù derivano recente origine. Nasce così un volume di spiritualità che viene ad arricchire la letteratura religiosa d’un notevolissimo contributo.
Più che un trattato, più che un libro questa collezione di scritti occasionali è un documento di vita religiosa scaturita dall’esempio coraggioso e meraviglioso dell’asceta del Sahara, e sta a provare la perenne capacità della Chiesa cattolica a generare autentici seguaci di Cristo, creando stupore e gaudio per la singolarità del fenomeno religioso ch’esso descrive, suscitando inquietudine e fascino
per la profondità e la semplicità spirituale ch’esso richiama, e offrendo un codice di ascesi evangelica, spinta da un lato ad espressioni primitive e genuine della tradizione monastica, innestata dall’altro nelle più elementari condizioni d’esistenza e d’attività di umili classi sociali.
L’opera tratta una quantità di questioni riguardanti la perfezione religiosa, le virtù che le sono proprie, la povertà e la carità specialmente, la santificazione alimentata dalla celebrazione delle feste liturgiche, i grandi temi dell’ascetica e della mistica, l’analisi dell’anima umana assetata d’unione con Dio, e guidata dalle lezioni evangeliche al servizio e all’amore del prossimo, all’abnegazione di sé, alla visione del mondo e della vita nel grande e lucido quadro della sapienza del Maestro divino: il lavoro e la preghiera, il silenzio e la parola, la solitudine e la socialità, il nascondimento e l’amicizia, il valore del tempo e quello dell’eternità, la libertà di spirito e l’obb edienza facile e spontanea, la conoscenza delle miserie umane e la stima dell’uomo, la tranquillità e il coraggio, l’arte di soffrire e insieme di godere, l’indipendenza dal mondo e l’ansia di salvarlo, il distacco
dalle creature e la capacità di gustarne il linguaggio e la bellezza, e tanti altri temi, diversi e ricondotti ad armonia interiore, ricorrono in queste pagine e dimostrano quella larga informazione dottrinale e quella personale esperienza che danno ad un libro credito e interesse non comune.

Su tante cose potranno i dotti discutere e gli esperti commentare; non vogliamo qui dare un giudizio. Bastino intanto a raccomandare il volume all’attenzione dei lettori italiani alcune circostanze che possono aprirgli la via ad una favorevole accoglienza.
La povertà innanzitutto della maggior parte del Clero italiano: essa ha bisogno di provvidenze, di cui ora non è qui dato discorrere; ma essa è di per sé tale veste, che altra migliore non potrebbe essergli riconosciuta per qualificare ammirabile il suo quotidiano disinteresse e per disporlo all’esercizio del suo ministero nella forma più propizia a renderlo convincente e a dargli dignità e merito d’autenticità evangelica. Essa può quindi, così considerata, fare della più umile e spoglia vita ecclesiastica un esercizio di santità, che facilmente troverà nelle pagine del libro confortanti analogie, interpretazioni appropriate, esempi calzanti.
E il beneficio d’una simile esortazione alla santità attinta dalla povertà sarà anche maggiore, se un’intenzione, altrettanto moderna che urgente, di evangelizzazione del popolo s’aggiunga a quella del distacco dai beni materiali; l’intenzione cioè che apre gli occhi su lo stato d’abbandono spirituale di larghissimi strati di popolazioni sia urbane che rurali, e che spinge nei suburbi religiosamente
più desolati, nei centri di lavoro e di traffico più profani, nelle campagne più remote dal campanile l’apostolo della società presente, non più imperniata sul tempio e su Dio, ma su l’utilizzazione del mondo e su l’uomo. Anche per questa avventurosa penetrazione pastorale, che fa del prete e del laico desiderosi della sal-vezza del prossimo degli autentici missionari, la scuola delle Fraternità di Carlo de Foucauld offre magnifiche lezioni di coraggio, di saggezza, di carità E mostra in esempi, che hanno il paradossale aspetto dell’eroismo abituale come all’evangelizzazione della dottrina e della grazia debba essere previa, o concomitante l’evangelizzazione della vita di chi predica e personifica Cristo. Davanti al lettore esterefatto passano visioni lontane, troppo spesso confinate nel campo della reminiscenza e della fantasia: sono gli apostoli, mandati da Gesù, al loro primo esperimento annunciatore del regno di Dio, «sine pera, sine calceamentis » (Luca, 22, 35); sono le strane figure dei primi eremiti, esuli volontari nel deserto, precursori del futuro cenobio e del futuro villaggio cristiano; sono i fraticelli medioevali che vanno ornati di povertà e di letizia a ristorare nel mondo la speranza dell’era cristiana; sono i pellegrini ardimentosi che traversano continenti ed oceani per recare la buona novella ai lidi più lontani; e oggi sono finalmente i piccoli fratelli di Gesù, che vanno vagando ai margini delle opere già organizzate, delle città già costruite, della civiltà già stabilita, per farsi silenziosi e modesti pionieri dell’amore cristiano.
Questo istinto della più umile evangelizzazione oggi è diventata [così nell’originale] ideale, e dona ai seguaci di Carlo di Gesù il loro talento religioso: escono dalle abitudini comuni per conservare la tradizione evangelica; dimettono la veste dignitosa per assumere quella della fatica misera e dura; lasciano le comunità bene organizzate in collegi impersonali per creare piccoli nuclei di amici che lavorano, pregano, vivono insieme; ripudiano ogni distinzione esteriore per assimilarsi agli umili ceti sociali, ove hanno scelto di vivere; fanno della rinuncia, dell’abbassamento, della pazienza uno strumento di predicazione silenziosa, una possibilità di amicizia e di apostolato; ma conservano soprattutto nell’intimo del cuore e nel rifugio delle poverissime abitazioni un’assidua, un’ardente pietà di contemplativi e di adoratori, e ne traggono la difesa dalla volgarità circostante, la capacità di diffondervi l’ineffabile profumo di Cristo.
Quanti sacerdoti, quanti Religiosi e Religiose, quanti buoni fedeli, in un paese così povero di ricchezze economiche come l’Italia, e così ricco di patrimonio spirituale trascorrono la loro vita, e per generosa elezione e per forza di cose, in condizioni presso che analoghe a quelle che l’ardita vocazione dei piccoli Fratelli preferisce per lo sviluppo della propria spiritualità; quante anime perciò che anelano alla sequela del Maestro troveranno nelle pagine di Padre Voillaume la propria lezione di santità.
E perché ciò sia, mentre della miseria, della sofferenza, dell’abbiezione sociale si arma la negazione di Dio, il materialismo rivoluzionario, l’anticlericalismo politico, queste pagine sono offerte al pubblico cattolico italiano, come scuola come esempio di ben diversa trasfigurazione cristiana dell’umana fatica, in segno di coraggio e di speranza.


Quando René Voillaume chiamò il pro-segretario di Stato

Montini, dal 1937 sostituto della Segreteria di Stato, almeno dagli anni
della guerra aveva conosciuto la figura di Charles de Foucauld, il religioso
francese nato a Strasburgo il 15 settembre 1858 e assassinato a
Tamanrasset, nel Sahara algerino, il 1° dicembre 1916 dal quale avevano
poi tratto origine i Piccoli fratelli e le Piccole sorelle di Gesù, i cui
fondatori René Voillaume e Magdeleine Hutin incontrarono il sostituto
appunto verso la fine della guerra. L’alto prelato — che dal 29 novembre
1952 come pro-segretario di Stato per gli affari ordinari era alla
guida della Segreteria di Stato vaticana insieme a Domenico Tardini,
contemporaneamente nominato pro-segretario di Stato per gli affari
straordinari — nei primi mesi del 1953 venne richiesto dal fondatore e
priore generale dei Piccoli fratelli Voillaume di scrivere la prefazione
alla seconda edizione della traduzione italiana del suo Au coeur des
masses. La vie religieuse des Petits Frères du père de Foucauld
. Il volume
era stato pubblicato in Francia nel 1950 e in seconda edizione due anni
dopo, e da poco era uscito in Italia con il titolo Come loro. La vita religiosa
dei Piccoli fratelli di Padre de Foucauld,
Roma, 1952. Scritto nel
giugno successivo, il testo di Montini non fu mai pubblicato nell’originale
italiano. Lo presentiamo in questa pagina tratto da: Giovanni Maria
Vian, I santi di un papa moderno: le canonizzazioni di Paolo VI in
Santi del Novecento. Storia, agiografia, canonizzazioni, a cura di Francesco
Scorza Barcellona, postfazione di Franco Bolgiani, Torino, Rosenberg
& Sellier, 1998.

Monday, February 10, 2014

Shūsaku Endō

Shūsaku Endō

It seems to me that Catholicism is not a solo, but a symphony. It fits, of course, man's sinless side, but unless a religion can find a place for man's sinful side in the ensemble, it is a false religion. If I have trust in Catholicism, it is because I find in it much more possibility than in any other religion for presenting the full symphony of humanity. The other religions have almost no fullness; they have but solo parts. Only Catholicism can present the full symphony. And unless there is in that symphony a part that corresponds to Japan's mud swamp, it cannot be a true religion. What exactly this part is – that is what I want to find out.


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Saturday, February 08, 2014

Lonergan economista

La parte meno nota della riflessione del gesuita canadese
Lonergan economista


di MICHELE TOMASI
Il volume 21 dell'opera completa del gesuita Bernard Lonergan (1904-1984), Studi di economia. Primi saggi, pubblicato dall'editrice Città Nuova, è la prima traduzione italiana dei manoscritti di carattere economico che il teologo canadese ha composto negli anniQuaranta del ventesimo secolo.
Gli studiosi di Lonergan — che ha insegnato teologia dogmatica alla Gregoriana
per più di vent'anni — vanno riscoprendo ilruolo che la riflessione sull'economia ha
avuto durante tutta la sua attività accademica. Chi conosca Lonergan per i suoi contributi filosofici e teologici può rimanere stupito da queste pagine sull'economia, che presentano l'elaborazione di un modello di macroeconomia, una teoria economica di produzione, scambio e circolazione monetaria. Temi di solito lontani, dunque, dagli interessi e dai metodi della filosofia e della teologia ma, in questo caso, per nulla marginali nel percorso intellettuale lonerganiano e nemmeno frutto di un interesse passeggero e secondario. Di fronte ai problemi economici degli anni Trenta quando la depressione del 1929, prima grande crisi del capitalismo industriale, metteva a dura prova le conoscenze economiche che sembravano acquisite, ma che improvvisamente dimostravano di non riuscire più a fare presa su una realtà drammatica, Lonergan si applica a uno studio approfondito per tentare di comprendere la natura dell'economia e trovare una possibile via d'uscita dalla crisi. Ciò di cui egli sentiva il bisogno era una nuova e più fondata analisi della dinamica del sistema economico per poter proporre anche politiche economiche più efficaci.
A questo periodo, tra il 1940 e il 1944, risalgono i saggi che vengono offerti ora in traduzione italiana. For A New Political Economy (prima parte del presente volume) è il primo tentativo di Lonergan di affrontare la tematica economica in forma completa e sistematica. In esso troviamo il nucleo, il fondamento della sua analisi economica: l'analisi generale dei ritmi a cui pulsa la vita di ogni economia, la centralità della produzione rispetto a tutti gli altri ambiti, la distinzione tra i beni utilizzati per il consumo e quelli impiegati come fattori di produzione,
il collegamento tra cicli di produzione e circolazione monetaria in un'economia, la finalizzazione dell'economia al miglioramento del tenore di vita di tutti i membri di una popolazione.
Il testo non aveva del tutto soddisfatto l'autore, tanto che il suo lavoro continuò si-
no al 1944, anno in cui concluse la stesura di Circulation Analysis, riportato nella seconda parte del presente volume. Qui l'analisi si fa più precisa, con un maggior utilizzo dello strumento matematico e della formalizzazione logica, con minori rimandi alla situazione economica concreta e a esempi tratti dalla storia, ma con un maggiore sforzo di formalizzazione di un modello completo. Il destino di questo manoscritto ci spiega in parte perché il Lonergan "economista" rimase sconosciuto ai più. Lonergan cercò lettori qualificati per il suo lavoro in numerosi centri di ricerca, ma non incontrò nessun interesse o comprensione per la sua prospettiva di analisi. Decise quindi di mettere da parte i manoscritti e di abbandonare
gli studi economici.
Ciò non significa però che Lonergan abbia con questo abbandonato del tutto l'am-
bito dell'economia, come stanno a dimostrare i numerosi esempi tratti dalla vita economica e dalla sua interpretazione presenti nei suoi studi successivi, come anche il saggio tire dal saggio di Analisi della circolazione, nella speranza di una sua possibile ricezione. C'è da rimanere sinceramente stupiti dal suo livello di aggiornamento continuo in economia, come anche del fatto che un teologo e filosofo che soltanto pochi anni prima aveva portato a compimento il filone di
ricerca principale di quaranta anni di studi con il volume Method in Theology (traduzio-ne italiana Il Metodo in Teologia, Roma, Città Nuova, 2001), continui invece a seguire la letteratura macroeconomica dedicandosi alla lettura anche di saggi specialistici e scritti in maniera tecnica, oltre che a ponderosi volu-
mi di analisi culturale più qualitativa. A partire dal 1978, e fino alla morte (1984),
Lonergan tenne annualmente al Boston College il seminario Macroeconomics and Dialectic of History, per il quale il saggio del 1944, più volte rimaneggiato, costituiva uno dei testi di base.
I testi presentati testimoniano da un lato i multiformi interessi di Lonergan e la sua
capacità di penetrare in profondità la storia e la cultura del nostro tempo, e aggiungono dall'altro un tassello importante alla comprensione della sua opera complessiva.
Essi offrono anche uno sguardo sull'economia che vale la pena di conoscere e di studiare per se stesso, soprattutto nello stato di acuta crisi in cui versano le nostre economie. Anche se non facile da appropriare, scritta in linguaggio e con categorie d'analisi affatto originali, l'analisi economica di Bernard Lonergan suggerisce di percorrere vie inedite di ricerca. E indica la necessità e la fecondità di una nuova collaborazione tra economisti, filosofi e teologi, per comprendere la realtà e illuminare la natura dell'uomo e delle sue istituzioni per mezzo di una buona scienza economica, di un'adeguata filosofia e anche dei contenuti e degli ausili che provengono dalla Rivelazione e che, in ogni data cultura, sono mediati dalla teologia.

Osservatore Romano









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Monday, February 03, 2014

大地、そしてすべてのありふれた景色が、

大地、そしてすべてのありふれた景色が、
わたしには見えた、
天上の光につつまれているかのように。
夢の輝きとあざやかさに装われているかのように。

http://blog.goo.ne.jp/gtgsh/e/eb279c4b2cf701ed4bb95109a5752fba

Wordsworth, "Ode" ("Intimations of Immortality") 1807 ver. (日本語訳)




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Insight, 554

Insight, 554

Zur Metaphysik symbolischen Formen  
『象徴形式の形而上学 エルンスト・カッシーラ遺稿集 第一巻』 
 森淑仁監訳、笠原賢介訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、2010年-刊行巻数未定

Philosophie der symbolischen Formen(1923-1929)
『シンボル形式の哲学』 生松敬三・木田元訳、岩波文庫全4巻 1989

エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874年7月28日 - 1945年4月13日)は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。



パウル・ティリッヒ(Paul Johannes Tillich、1886年8月20日 - 1965年10月22日)は、20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はティリヒとも。名を英語読みでポールと表記される。

『ティリッヒ著作集』全13巻(白水社)

ルドルフ・カール・ブルトマン(Rudolf Karl Bultmann, 1884年8月20日 - 1976年7月30日)は、20世紀を代表するドイツの新約聖書学者。新約聖書の史的・批判的研究に一時代を築くとともに、聖書の非神話化(非神話論化)と実存論的解釈の方法論を提唱し、キリスト教内外に様々な議論を引き起こした。


ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel、1889年12月7日 - 1973年10月8日)はフランスの劇作家、哲学者。キリスト教的実存主義の代表格。

ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869年9月25日-1937年3月6日)は、ドイツの哲学者、宗教哲学者。マールブルク大学の教授で退官。

『聖なるもの』
山谷省吾訳 岩波文庫 (1968.12)
久松英二訳 岩波文庫新版 (2010.2)

『聖なるもの-神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について』
華園聰麿訳 創元社(2005.3) ISBN 4-422-13005-6

ハリー・スタック・サリヴァン(英: Harry Stack Sullivan、1892年2月21日 - 1949年1月14日)はニューヨーク州生まれのアメリカ合衆国の医学者、精神科医。専門は精神分析学[1]。

『精神医学は対人関係論である(英題:The interpersonal theory of psychiatry)』 / H.S.サリヴァン著, 中井久夫[ほか]共訳,みすず書房、1990

ミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade,1907年3月13日 ブカレスト - 1986年4月22日 イリノイ州シカゴ)は、ルーマニア出身の宗教学者・宗教史家、作家(主に幻想文学および自伝的小説で有名)である。

Images et symboles. Essais sur le symbolisme magico-religieux, Paris: Gallimard, 1952
(邦訳:前田耕作訳、『イメージとシンボル』、せりか書房、1971年、ISBN 4-7967-0077-3)

ミルチャ・エリアーデ 『エリアーデ著作集第一巻、宗教学概論Ⅰ、太陽と天空神』 久米博訳、せりか書房、1977年。 (Eliade, Mircea. Traité d'histoire des religions. Paris, Payot, 1949.)

ミルチャ・エリアーデ 堀一郎監修 
全13巻 セット価格35000円
各巻=四六判上製・箱入
神話、儀礼、象徴、そして神秘主義の独自の分析を通して人類の心奥に横たわるアーケタイプを発掘し、新たな価値を模索する20世紀最後の知的巨人エリアーデの全貌を明らかにする

第1巻 太陽と天空神 宗教学概論1
久米博訳
ISBN4-7967-0078-1
1974年4月
286頁
2800円
〈内容目次〉概説 聖の構造の形態 天空―天空神、 天空の儀礼と象徴 太陽と太陽崇拝

第2巻 豊饒と再生 宗教学概論2
久米博訳
ISBN4-7967-0080-3
1974年7月
306頁
2800円
〈内容目次〉月と日の神秘学 水と水のシンボリズム 聖なる石―エピファニー、しるし、形態 大地、豊穣、女性、植物―再生の象徴と儀礼

第3巻 聖なる空間と時間 宗教学概論3
久米博訳
ISBN4-7967-0082-X
1974年10月
244頁
2500円
〈内容目次〉農耕と豊穣の儀礼、聖なる時間と永遠再始の神話 神話の形態と機能 象徴の構造 結論

Images et symboles. Essais sur le symbolisme magico-religieux, Paris: Gallimard, 1952
(邦訳:前田耕作訳、『イメージとシンボル』、せりか書房、1971年、ISBN 4-7967-0077-3)

Histoire des croyances et des idees religieuses, Paris: Payot, 1976-1983
(邦訳:荒木美智雄ほか訳、『世界宗教史』(全4巻中3巻まで)、筑摩書房、1991年、ちくま学芸文庫(全8巻中6巻まで)、2000年)

大地・農耕・女性 [単行本]
M.エリアーデ (著), 堀 一郎 (翻訳)<
出版社: 未来社 (1968/01)
M. Eliade ""Patterns in Comparative Religion""































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