Tuesday, May 09, 2017

SCGBook3

第5章
悪が意図されないものではないことを証明すると思われる議論

[1]

さて、上記の見解に反するように見える論点がある。

[2]

動者の意図とは別に起こることは、運、偶然と呼ばれ、めったに起こらないものとされている。ところが、悪の発生は、運のために、偶然に、まれに起こることと言われない、むしろ常にまたはほとんどの場合に起こると言われる。消滅は常に自然のものの生成に伴われる。 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』[II、9:1109a 24]言うように、意志決定した者の場合でさえ、ほとんどの場合、罪が起こる。なぜなら、「円の中心を見つけるほど有徳に応じて行動するのは難しい」 。だから、悪は意図とは別に起こっていないように見える。

[3]

また、『ニコマコス倫理学』の第3巻で[5:1113b 16]アリストテレスは、「邪悪は意志的である」と明言している。彼は、人が意志的に不当な行為をしているという事実によってこれを証明している。「意志的に不公平な行為を行う人は不義を欲しないことは不合理であり、意志的に痴漢を行う人は不節制になることを望まないことは不合理である」[1114a 11]と。立法家が邪悪な人を意志的な悪の行為者として処罰するという事実によっても証明されている[1113b 22]。それで、意志や意図とは別に悪が起きているようには見えない。

[4] 

さらに、すべての自然の変化は本質的に自然によって意図された目的を有する。さて、消滅は、生成と同じように、自然的変化である。したがって、その目的は、邪悪な合理的な性格を持つ窮乏であり、自然によって意図されている。生成の目的である形相と善と同様である。