Tuesday, January 29, 2013

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17 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。5つ星のうち 1.0 クリスチャンが「こいつは何もわかってない」と感じる「キリスト教入門」 2012/10/18By masaki tomita
形式:新書|Amazon.co.jpで購入済み
この本は、キリスト教には良い入門書が無いという指摘から始まります。その理由は、キリスト教入門書はほとんどキリスト教の信者が書いているからだということです。神やイエスが唯一絶対に敬うべき方であるという観点から描いてしまうために、信者ではない読者の共感が得られにくいのだということなのです。 なぜ聖書に出てくる神やイエスが高飛車で威圧的な言葉遣いをするのか、といった翻訳の問題。選民思想的な日本人キリスト者の意識など、考えてみれば誰でも思い当たりそうな事ですが、案外クリスチャンが気づいていないネガティブな面がたくさん指摘されていますので、第1章に関しては、キリスト者も一読した方がよい本と思われます。

 第2章から始まる聖書に関する概説は、知識欲を満たすにはやや物足りず、また基本的な間違いも目立ちます。 処女懐胎が書かれているのはマタイ福音書だけ、という初歩的な間違い(38ページ)。 マタイ福音書とルカ福音書は、マタイ福音書に独自の伝承を加えたものという、おそらくワープロソフトの予測変換ミス(90ページ)。 また、「新訳聖書」という誤字もあり、このあたりは扶桑社の担当編集者の仕事にも問題があるのではないかと思われます(79ページ)。 第3章、第4章は、いわばキリスト教の揚げ足取りです。キリスト教は本当に一神教と言えるのか、などといった問いかけは一般向けの入門書には必要がないでしょう。むしろキリスト者自身に自分たちの宗教を顧みる材料として読めば、意味はあるのかも知れませんが。

 第5章から第6章の、キリスト教とマネジメントの関連についての考察は面白いと思います。 経営学の父と呼ばれるピータードラッカーが言うには、中世以前でマネジメントが行われていたのは、軍隊とカトリック教会だという話。 マネジメントで大切なのはマーケティングとイノベーションですが、キリスト教会がヨーロッパにおいて支配的な組織になったのは、マーケティングとイノベーションがあったからだということです。カトリック教会における修道会や公会議におけるイノベーションが、カトリック教会を世界規模にまで大きくしたという考察は面白い。 これは確かに、現在の日本のクリスチャンたちがほとんど考えていない事でしょうが、大事な視点だと思います。日本のキリスト教会はおそらくマネジメントに失敗しているのではなく、マネジメントそのものをしようという発想が無いかのように見えますから。 逆にマネジメント的な視点から伝道や宣教というものを考え直せば、もう少し日本でのキリスト教の勢いも変わってくるのではないかと思わせられました。

 クリスチャンは第8章の「キリスト教はどうして日本で受け入れられなかったのか」だけを読んでもいいかも知れません。 ここでなされている論述は、日本がいかに信徒数の拡大に失敗してきたかを、客観的に(ある意味傍観者的に)ながめた率直な意見です。キリスト者はここを読んで、自分たちの教会活動の問題点を見直せばよいでしょう。 読むうちに、ヨーロッパのキリスト教会は、ゲルマン諸部族を取り込むために、ゲルマンの民間信仰の要素を大幅に取り入れてキリスト教を大胆に改革していったのに、なぜ日本では欧米のキリスト教をそのままそのまま移植しようとしたのか? という疑問が自然にわいてくるように書いてあります。 そしてその一方で、日本人独自のキリスト教運動としての「無教会運動」に対する記述は前向きで、著者が無教会運動に肩入れしているようにさえ思えるほど紙数を割き、他の主流教派よりも詳述しています。 著者にとっては、「日本人であること」への思い入れが強いことが感じられます。 

 キリスト者が読んで最も衝撃を受けるのは、本書の最後の一言ではないでしょうか。 まとめると、要するに「欧米社会を知るためにはキリスト教を理解する事が重要だが、日本人は自分の信仰の拠り所をキリスト教に求めはしない。あくまでキリスト教の外側から客観的に理解するだけだ」ということです。 「この本が、日本人にとってキリスト教をよりよく理解するために役立つなら、これほど幸いなことはありません」と著者は書いていますが、この本を読んで分かったことを「理解した」としても、それはキリスト教を理解したことにはなりません。 この著者の作品に共通して言える事ですが、結局「客観的、客観的」と言いながら、外側から眺めた様子しか描けないのです。 しかし、宗教への信仰というものは、人の内面にまで入らないと、わからない事の方が多いのです。その宗教を信じている人の内面に触れ、共感するものがなければ、本当の意味で宗教を理解したとは言えないでしょう。

 事もあろうに、この著者は「日本人はキリスト教に自分の信仰の拠り所を求めるというわけではありません」と宣言してしまっています。たとえ少数派とはいえ、現実に日本人クリスチャンが日本社会の中で存在し、生きているわけですから、このような「日本人は」という言葉で少数者を無視するような発言は暴力行為と言ってもいいでしょう。 人が何に信仰の拠り所を求めるのか、そんな事は人それぞれが決める事であって、著者がそこまで踏み込むのは余計なお世話です。 そんな余計なお節介をする暇があったら、自分が研究している宗教の信仰の中身まで入り込み、共感し、その宗教の代弁者としてその宗教の外にいる人びとにも本当の意味で理解できるように弁証してみせるのが、宗教学者というものではないでしょうか。 確かに、キリスト者の書いたキリスト教入門書にろくなものがないのは事実です。しかし、当事者の気持ちを代弁することもできない「学者」に「入門書」が書けるでしょうか? 当事者でなくては書けないとまでは言いませんが、当事者の感覚や感情を共有しつつも、それを客観的な言葉に翻訳して、世に紹介するのが知的労働者の仕事というものではないでしょうか。 「ミイラ獲りがミイラになる」ことさえも恐れずに入り込み、ミイラになった自分を、ミイラになっていない人にわからせる文章を綴る。それくらいでないと、文筆業とは言えないのではないでしょうか。

 『キリスト教入門』というタイトルを掲げるのであれば、本当に日本人キリスト者の内面がわかるように解説するものであってほしいのですが、現実にはこの本の内容は、キリスト教に関心があってこの本を買い求めた人に対して、「あなたはキリスト教に入る必要はありませんよ」と門前払いを食わせるようなものです。 私ははっきりと言わせてもらいますが、このキリスト教『入門』は、キリスト者である自分自身が読んでみて、「こいつは全く何もわかってない」という感情を抱くような本でした。 『キリスト教評論』ならまだしも、この本の内容で『入門』というのは、どうでしょうか。キリスト教の信仰に共感を呼び、キリスト教に関する関心を高め、もっと知りたい、知る事で喜びを感じたいと思わせることが、入門書たるものではないかと私は思いますが、そういう事がこの本でできるかは、かなり疑問です。 もちろん、キリスト者自身がもっとわかりやすく親しみの持てる入門書を出せていないという現状への反省は必要ですが、門外漢にわかったような顔をされるのはいい迷惑です。コメント |
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Taibatsu 2

Taibatsu

Sunday, January 20, 2013

Brother Sun Sister Moon Messiaen Wagner Debussy


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ルネッサンスの先駆者ともいうべき画家、ジョットが描いた美しい画面とか、音楽ではフランスの現代音楽家オリビエ・メシアンが書き残したオペラ「アッシジの聖フランチェスコ]

フランコ・ゼフィレッリ監督は1972年のイタリア・イギリスの合作映画。この映画のために、歌手のドノヴァンが主題歌と挿入曲を書き下ろしている。


ブラザー・サン シスター・ムーン ( エンディングの歌 )

1.Brother Sun and Sister Moon

Brother Sun and Sister Moon,
I seldom see you, seldom hear your tune
Preoccupied with selfish misery.

Brother Wind and Sister Air,
Open my eyes to visions pure and fair.
That I may see the glory around me.

I am God's creature, of him I am a part
I feel his love awaking in my heart

Brother Sun and Sister Moon
I now do see you, I can hear your tune
So much in love with all that I survey


ブラザーサン シスタームーン
その声はめったに私には届かない
自分の悩みだけに心を奪われて

兄である風よ
姉である空の精よ

私の目を開いておくれ
清く正しい心の目を
私を包む栄光が
目にうつるように

神に与えられた命
私にも神は宿る
その愛がいま
この胸によみがえる

ブラザーサン シスタームーン
今こそ
その姿に触れ
その声を耳に
そして胸を打つ
あふれるこの愛


2.The Little Church

If you want your dream to be
Build it slow and surely.
Small beginnings, greater ends.
Heartfelt work grows purely.

If you want to live life free,
Take your time, go slowly.
Do few things, but do them well.
Simple joys are holy.

Day by day, stone by stone,
Build your secret slowly.
Day by day, you'll grow, too,
You'll know heaven's glory.

夢をまことにと思うならば
あせらずに築きなさい
その静かな歩みが遠い道を行く
心をこめればすべては清い

この世に自由を求めるならば
あせらずに進みなさい
小さいことにも
すべてを尽くし
飾りない喜びに
気高さが住む

日ごとに
石を積み続け
あせらずに築きなさい
日ごとにそれであなたも育つ
やがて天国の光があなたを包む

Lyrics and music by Donovan

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メシアン/歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」

『アッシジの聖フランチェスコ』(アッシジのせいフランチェスコ、フランス語: Saint François d'Assise)は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン( Messiaen)による3幕(8場)のオペラで、1975年から1983年にかけて作曲された。台本も本人による。アッシジのフランチェスコ(タイトルロール)をテーマとし、作曲家のカトリックへの深い信仰を示す。世界初演は、1983年11月28日に小澤征爾の指揮でパリのオペラ座で行われた。

約4時間から4時間半かかる(各幕80分、2時間、1時間)。

演奏時間が長、く管弦楽が大編成で、台本が自作ということと、題材が宗教的だということで、ワーグナーの神聖舞台祭典劇「パルシファル」に先駆を見出すことができる。


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パルジファル

舞台神聖祝典劇 『パルジファル』(Bühnenweihfestspiel "Parsifal")はリヒャルト・ワーグナーが1865年、国王ルートヴィッヒ二世のために書いたオペラ。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城及びクリングゾルの魔の城を舞台とする。

第1幕への前奏曲

変イ長調。ワーグナー自身は、前奏曲は「劇的」でなく「根源的」に演奏されねばならないと語っていたとされる。また、ワーグナーがルートヴィヒ2世のために書いた注釈には、「愛-信仰-:希望?」と記されている。前奏曲では、主として「愛餐の動機」(イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴット、弱音器付きのヴァイオリン、チェロ)、「聖杯の動機」(金管の順次上行。ドイツの賛美歌『ドレスデン・アーメン』を借用)、「信仰の動機」(ホルン、トランペット)が扱われる。とくに「愛餐の動機」は、多種の楽器を重ねることで楽器独自の響きがぼかされており、これはバイロイト祝祭歌劇場での上演を意識した音色と見られる。『ローエングリン』前奏曲がイ長調であるのに対し、『パルジファル』前奏曲がそれより半音低い変イ長調で書かれていることも、より柔らかい、くぐもったような雰囲気を表出することに役立っていると考えられる。曲は次第に重苦しくなっていくが、やがて「聖杯の動機」が希望を示すかのように繰り返され、第1幕へとつながっている。

Overture

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クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年 - 1918年)


『ベルガマスク組曲』(ベルガマスクくみきょく、仏語:Suite bergamasque )
親しみやすい曲想で知られる。とりわけ第3曲「月の光」(Clair de Lune)はドビュッシーの作品のなかでももっとも有名であり、単独での演奏機会も多い。

3. 月の光 (Clair de Lune)

変ニ長調。ほとんどピアニッシモで演奏される夜想曲で、優しく切ない曲想で有名。中間部の優雅な旋律は教会旋法の一種ミクソリディア旋法が採用されている。




Monday, January 14, 2013

Spirituals Gospel Rhapsody in blue


聖者の行進(せいじゃのこうしん、When The Saints Go Marchin' In)は、黒人霊歌の一つ。
ディキシーランド・ジャズのナンバーである。「聖者が街にやってくる」という邦題でも知られる。
発祥 [編集]

元々は、アメリカ合衆国の黒人の葬儀の際に演奏された曲。
ニューオーリンズでは、埋葬に行くときには静かな調子で、埋葬の時は悲しげに。埋葬が終わると、この曲でパレードをして帰っていく

兵庫県を本拠地とする家電量販店、ミドリ電化のコマーシャルソングとしておなじみである。

歌詞(一部)・日本語訳(意訳)

Oh, when the saints go marching in
Oh, when the saints go marching in
Lord, how I want to be in that number
When the saints go marching in

おお 聖者達が行進して行く
おお 聖者達が行進して行く
主よ 私もあの列に加わりたい
聖者達が行進して行く

We are traveling in the footsteps       私たちは逝ってしまった人たちの
Of those who've gone before,            足跡を踏みながら旅をしている
And we'll all be reunited,              そしてやがてひとつになるのだ
On a new and sunlit shore,              新しく光り輝く岸辺で

Oh, when the saints go marchin' in      聖者が行進していく時
Oh, when the saints go marchin' in      聖者が行進していく時
Lord how I want to be in that number    神よ、私もそこに居たいのです
When the saints go marchin' in          聖者が行進していく時

And when the sun begins to shine        太陽が輝き始める時
And when the sun begins to shine        太陽が輝き始める時
Lord, how I want to be in that number   神よ、私もそこに居たいのです
When the sun begins to shine            太陽が輝き始める時

Oh, when the trumpet sounds its call    裁きのラッパが鳴る時
Oh, when the trumpet sounds its call    裁きのラッパが鳴る時
Lord, how I want to be in that number   神よ、私もそこに居たいのです
When the trumpet sounds its call        裁きのラッパが鳴る時

Some say this world of trouble,         この乱れし世も
Is the only one we need,                我々に必要なものだといいます
But I'm waiting for that morning,       しかし新しい世界が始まる朝を
When the new world is revealed.         私は待ち望みたい



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アメイジング・グレイス(英語:Amazing Grace, 和訳例:すばらしき恩寵)は、ジョン・ニュートン (John Newton)の作詞による賛美歌である。特にアメリカ合衆国で愛唱され、またバグパイプでも演奏される。"grace"とは「神の恵み」「恩寵」の意。
原詞詞名(初行): Amazing grace! how sweet the sound

作詞者はジョン・ニュートン (John Newton)。作曲者は不詳。アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いジョンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ジョンが7歳の時に亡くなった。成長したジョンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に手を染め巨万の富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ジョンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機はやってきた。船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れたのである。彼はこの日をみずからの第二の誕生日と決めた。その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けた。しかし彼の船に乗った奴隷への待遇は、動物以下の扱いではあったものの、当時の奴隷商としては飛躍的に改善されたという。
1755年、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の寄付を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が生まれたのである[1]。この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている。
この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。

「Amazing Grace」歌詞

Amazing Grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now am found
Was blind but now I see

'Twas Grace that taught my heart to fear
And Grace, My fears relieved
How precious did that Grace appear
The hour I first believed

Through many dangers, toils and snares
We have already come
'Twas Grace that brought us safe thus far
And Grace will lead us home

When we've been here ten thousand years
Bright shining as the sun
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun

Than when we've first begun

「アメイジング・グレース」和訳歌詞

アメイジング・グレース なんと素晴らしい言葉だろう
私のような愚かな人間も救ってくれた
自分を見失っていた時期もあったが今は大丈夫
見えなくなっていたものも今は見える

心が恐怖に支配されている時、神の恵みを知った
神の恵みが私を恐怖から救い出してくれた
神の恵みを知った瞬間のなんと素晴らしかったことか
初めて信じたあの瞬間

たくさんの危機や誘惑の罠を
私達はいつも乗り越えてきた
神の恵みはこれまで私たちを守ってくれた
これからも神の恵みが私たちを導くでしょう

私たちは何万年経っても
太陽のように明るく輝き
神を褒め称える歌を歌うだろう
初めて歌ったその時よりも

初めて歌ったその時よりも


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"Go Down Moses" is an American Negro spiritual. It describes events in the Old Testament of the Bible, specifically Exodus 7:26: "And the Lord spoke unto Moses, go unto Pharaoh, and say unto him, thus saith the Lord, Let my people go, that they may serve me", in which God commands Moses to demand the release of the Israelites from bondage in Egypt. The opening verse as published by the Jubilee Singers in 1872:

When Israel was in Egypt's land: Let my people go,
Oppress'd so hard they could not stand, Let my People go.
Go down, Moses,
Way down in Egypt's land,
Tell old Pharaoh,
Let my people go.

In the song "Israel" represents the African-American slaves while "Egypt" and "Pharaoh" represent the slavemaster.
Going "down" to Egypt is derived from the Biblical origin, where Egypt is consistently perceived as being "below" other lands, with going to Egypt being "down" [1] while going away from Egypt is "up".[2] In the context of American slavery, this ancient sense of "down" converged with the concept of "down the river" (the Mississippi), where slaves' conditions were notoriously worse, a situation which left the idiom "sell [someone] down the river" in present-day English.[3]

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ジェリコの戦い(英語:Joshua Fit The Battle Of Jericho)は、旧約聖書に登場する、古代イスラエルのモーセの後継者ヨシュア(英名ジョシュア)によるカナン人の都市ジェリコの攻略を歌った歌である。もとはこの戦いの歌だが、黒人霊歌、ジャズのスタンダード・ナンバーとしても有名である。
主な内容 [編集]

ヨシュアはジェリコとの戦いを始め、兵士達は手に槍を持って突撃した。ヨシュアはこの戦いは我が手中にあると言い、兵士達に叫べ、角笛(羊の角を使ったトランペット)を吹けと命令した。すると笛と声によってジェリコの城壁は崩れ落ちた、という「ヨシュア記」6章の内容が歌詞となっている。また歌詞の中で、この戦いにおけるヨシュアより偉大な人物はいないと言っている。

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ブルース(Blues)は、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつ、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている。

アフリカ系アメリカ人によるフォークミュージック 労働歌 スピリチュアル・ミュージック

日本におけるブルース・ブーム [編集]
日本では、1970年代にブルース・ブームが起こった。
1971年、B.B.キングが初来日を果たす。1973年にスリーピー・ジョン・エスティスの「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説(The Legend of Sleepy John Estes)」がオリコン・チャートに食い込む大ヒットとなる。
1974年、「第1回ブルース・フェスティバル」開催。同フェスティバルは第3回まで開催され、エスティスを始めロバート・ロックウッド・ジュニア&エイセズ、オーティス・ラッシュらの来日が実現した。
京都、大阪を中心にウエスト・ロード・ブルース・バンド、憂歌団、BREAK DOWN(1970年代前半当時、三大ブルースバンドと呼ばれた)など、ブルース・バンドが登場。日本の独自のブルース・シーンが形成されて行く。


スピリチュアル(英: spirituals)とは、霊歌、すなわち、黒人霊歌、白人霊歌と呼ばれてきたものの総称である。黒人霊歌のことをニグロ・スピリチュアルという言い方がある。奴隷としてアフリカから連れてこられたアフリカ系アメリカ人にキリスト教が広まり、賛美歌とアフリカ独特の音楽的感性が融合したものである。スピリチュアルを賛美歌に含めて考える考えと、賛美歌としては取り扱わない考えとがある。

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ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)は、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン Gershwin が作曲、ファーディ・グローフェが編曲したピアノ独奏と管弦楽のための音楽作品である。
1924

ラプソディ・イン・ブルーというタイトルは「ジャズの語法によるラプソディ」といった程度の意味がある。ところでラプソディ(狂詩曲)とは「民族音楽風な叙事詩的な特に形式がなく、自由奔放なファンタジー風の楽曲」という意味があるので、このタイトルから、ガーシュウィンはジャズをアメリカにおけるある種の「民族音楽」と捉えていたことが伺える。
実際この曲はアメリカ的な芸術音楽の代表格とみなされている。

finale: andante misterioso

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『炎のランナー』(ほのおのランナー、原題: Chariots of Fire)は、1981年公開のイギリス映画。監督はヒュー・ハドソン。第54回アカデミー賞作品賞受賞作品。当時の時代背景の中で権威主義的排他的なイギリスを描きながらもイギリス的尊厳を彫り込んだ作品になっている。

走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人のハロルド・エーブラムスと、神のために走るスコットランド人宣教師エリック・リデル、実在の二人のランナーを描いている。舞台は1919年、エーブラムスが入学するケンブリッジ大学と、リデルが伝道活動をする北スコットランド・エディンバラから、1924年のパリオリンピックへと移ってゆく。
おおむね実話に基づいているが、リデルと妹の確執、エーブラムスと友人モンタギューの関係、エーブラムスとシビルの出会いなど、いくつかは映画用に潤色されている。ヴァンゲリスが作曲したサウンドトラックの中の『タイトルズ』は、日本でも耳にする機会の多い有名な曲となった。




Lascia ch'io pianga Ombra mai fu


私を泣かせてください

『私を泣かせてください』(伊語:Lascia ch'io pianga)は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが作曲したオペラ『リナルド』のなかのアリア。「涙の流れるままに」、「涙の流るるままに」等と表記されることもある。


劇中でエルサレムのイスラーム側の魔法使いの囚われの身になったアルミレーナが、敵軍の王アルガンテに求愛されるが愛するリナルドへの貞節を守るため「苛酷な運命に涙を流しましょう」と歌うアリアである。

日本では、全音楽譜出版社の「イタリア歌曲集1」や音楽之友社の「イタリア歌曲集Ⅰ」、「声楽名曲選集 イタリア編Ⅰ」等の歌曲集に掲載されている[1]。またテレビドラマ『牡丹と薔薇』のテーマソングとして岡本知高 (おかもと ともたか) が歌唱したことで有名である[2]。その他にもNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』の挿入歌として知られている。

(ぼたんとばら)は、東海テレビ・フジテレビ系列で、2004年1月5日から3月26日まで放送された昼のテレビドラマである。全60回。


Lascia ch'io pianga mia cruda sorte
過酷な運命に涙し、
e che sospiri la liberta.
自由に憧れることをお許しください。
Il duolo infranga queste ritorte
私の苦しみに対する憐れみだけによって、
de'miei martiri sol per pieta.
苦悩がこの鎖を打ち毀してくれますように。


(幸田浩子さんの歌)がこちらに。Kooda Hiroko
http://www.youtube.com/watch?v=Sioo2n-pgMc


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『オンブラ・マイ・フ』(Ombra mai fù)または『ラルゴ』(Largo)は、ヘンデルの作曲したオペラ『セルセ』(Serse, Xerxes)第1幕第1場の中のアリア。ペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって歌われる。調性はヘ長調。詩は木陰への愛を歌ったもの。

The opera was a commercial failure, lasting only five performances in London after its premiere. In the 19th century, however, the aria was rediscovered and became one of Handel's best-known pieces. Handel adapted the aria from the setting by Bononcini who, in turn, adapted it from the setting by Francesco Cavalli. All three composers had produced settings of the same opera libretto by Nicolò Minato.


下降および上昇旋律を組み合わせた、伸びやかな明るい旋律線を持つ。旋律素材はボノンチーニによるもので、ヘンデルの独創ではないとされる。
従来より、この曲の速度記号から『ラルゴ』とも呼ばれる。『オンブラ・マイ・フ』は歌詞の初行から。今日オペラはほとんど上演されないが、この曲は美しい小品として愛され、しばしば演奏される。元来カストラートのための曲だが、今日は主にソプラノにより歌われる。
この曲は「世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」でもある。1906年12月24日、レジナルド・フェッセンデンによって行われた初めてのラジオ実験放送でレコード演奏された。

原詩
Ombra mai fù
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più

日本語訳
こんな木陰は 今まで決してなかった
緑の木陰
親しく、そして愛らしい、
よりやさしい木陰


ヨナ預言者 4:6
どうごまの木はヨナの苦痛を救うために





Sunday, January 13, 2013

Une majorite qui fonde la lois


La décision d’une majorité peut-elle fonder l’autorité de la loi ?

30 décembre 2012 | Jean-Michel Muglioni | dans PolitiqueRevue Mezetulle | 1 commentaire

Les lois votées à la majorité obligent ceux-là même des citoyens qui ne les ont pas voulues. A quelles conditions la volonté d’une majorité n’est-elle donc pas seulement la victoire du plus grand nombre sur le plus petit – car si tel était le cas, de quel droit obligerait-elle la minorité ? Une conception arithmétique de la majorité sape l’autorité des lois. Jean-Michel Muglioni a été amené par ses remarques sur la discipline à revenir ainsi sur la notion d’autorité, ce qui lui permet de relier ses réflexions sur l’école et sur la souveraineté populaire.
Si « majorité » veut dire loi du nombre, il n’y a plus de droit
Lorsqu’un peuple ou une assemblée votent une loi, tout le peuple et tous les membres de l’assemblée sont tenus de considérer cette loi comme la leur, et en tant que citoyens ils doivent lui obéir, même s’ils appartiennent à la minorité qui s’y est opposée. S’il faut se contenter ainsi d’une décision prise à la majorité parce qu’il serait vain d’attendre l’unanimité, cette nécessité ne suffit pourtant pas à justifier le fait qu’une partie du peuple ou de l’assemblée se voie imposer la volonté de l’autre partie. Car si c’était seulement une affaire de nombre, il faudrait dire que le vote sert seulement à mesurer un rapport de forces. La loi serait la loi de la majorité, et le mot majorité ayant ici seulement un sens arithmétique, il faudrait dire que le plus grand nombre, parce qu’il est le plus fort, impose sa volonté au plus petit nombre, qui est plus faible. Alors, n’exprimant qu’un rapport de force, un vote n’obligerait pas les vaincus : le droit du plus fort n’est pas un droit et céder à la force n’est pas être obligé. Lorsqu’une partie de l’assemblée ou de l’Etat, parce qu’elle est majoritaire, au sens de plus nombreuse, dicte sa loi, on peut bien appeler ce régime démocratique, mais cette démocratie est despotique. Le même principe justifie le lynchage. Comment est-il donc possible qu’un vote engage tous les membres d’un parlement ou tous les citoyens d’un Etat, et donc aussi bien ceux dont on dit qu’ils sont minoritaires, sans que les moins nombreux, même s’ils ne sont que quelques-uns, et quand même il n’en resterait qu’un, ne soient pas opprimés ou écrasés par le poids du nombre ?
A quelle condition la majorité n’est-elle pas despotique ?
Pour que le vote ait un sens républicain et non pas despotique, c’est-à-dire pour qu’il porte sur la chose publique et ne fasse pas qu’exprimer l’intérêt d’une partie, quel que soit son nombre, il faut que tous, députés de l’assemblée ou citoyens de l’Etat, soient d’avance assurés qu’il n’est pas le déguisement d’un rapport de force. Ainsi, la réunion de tous ne constitue une assemblée ou un peuple que s’il est admis unanimement, et avant tout vote, que chacun s’engage à chercher ce qui convient au tout qu’est le peuple, et non pas à une partie du peuple, même la plus nombreuse. Sans cela quel député, ou quel citoyen, si du moins il y réfléchit, prendrait le risque de se trouver un jour minoritaire ? Car enfin, même si les choses ne se passent nulle part comme elles devraient, les représentants qu’on dit en minorité dans nos parlements ne sont pas tels dans le même sens où l’on parle de « minorité opprimée », c’est-à-dire d’un groupe que sa faiblesse numérique met à la merci d’un autre.
Pour comprendre la nature d’un vote à la majorité, il suffit donc de distinguer deux formulations en apparence semblables : d’une part « le corps politique ou ses représentants votent une loi à la majorité », et c’est ce qu’il conviendrait de dire, et d’autre part « la majorité a voté une loi », comme on a pris l’habitude de le dire. Lorsqu’on passe du premier sens du mot majorité en français (« la majorité des voix dans une assemblée délibérante » dit Littré), au sens aujourd’hui le plus courant, « le plus grand nombre (sans idée de suffrages ni de votants) », on change totalement de notion. Ce dernier sens a toutefois ses lettres de noblesse. Littré donne une citation de Chateaubriand : « Commençons par les pauvres et les infortunés, puisqu’ils font la majorité sur la terre. » [Le Génie du christianisme, ou Les beautés de la religion chrétienne]. Mais Littré ajoute immédiatement : « Majorité dans le sens de pluralité est un anglicisme. Avant l’introduction de ce mot, qui date du XVIIIe siècle, on disait la pluralité, qui valait infiniment mieux ». Il y a en effet une distance infinie entre le droit et la force, et, lorsqu’il est question du destin d’un peuple, entre la souveraineté populaire et la pression du nombre. Le mot « majoritaire » ne signifiant plus que « en plus grand nombre », il a perdu sa signification politique et républicaine. De la même façon, je l’ai déjà noté, la minorité lors d’un vote n’est pas « minorité » au sens de « minorité opprimée ». Il y a minorité et minorité comme il y a majorité et majorité. De tels glissements de vocabulaire qui préparent le despotisme ne manquent pas, comme la confusion fréquente des termes obligation et contrainte, normal et habituel, etc.
Conséquences
Plusieurs conséquences nécessaires peuvent être tirées de cette distinction entre majorité arithmétique et majorité politique. Ainsi le déroulement des débats à la chambre ou celui de la campagne électorale détermine non pas d’abord le résultat, mais la nature du vote. La consultation du peuple peut cacher une manipulation qui change la nature du résultat quand même il n’en changerait pas le contenu. Cibler les catégories socioprofessionnelles pour proposer à chacune quelque bienfait dénature le corps électoral en métamorphosant le peuple en mosaïque d’intérêts particuliers. S’il se trouve par exemple qu’un lobby l’influence, le vote est faussé. Dès lors qu’il s’agit non pas de consulter le peuple pour entendre sa voix mais de se donner une majorité numérique, tout est permis : faire voter sous la pression des armes, ou, si cet exemple choque, développer une rhétorique de la peur, flatter par de fausses promesses, etc. ; la rhétorique politique, même sans violence physique ni corruption financière, suffit à pervertir tous les débats, d’autant qu’on est prêt à tout pour conquérir le pouvoir. Le vainqueur, pour disqualifier toute opposition, répétera qu’il a été bien élu, faisant ainsi valoir pour légitimer son pouvoir une idée du droit qu’il a bafouée pour l’emporter.
Autre exemple, les politiques savent parfois dissoudre une assemblée au bon moment pour obtenir une majorité : et ainsi la majorité obtenue n’exprime pas la volonté du peuple qu’ils n’ont pas cherché à consulter mais ont su tromper. Que récemment en Europe il leur ait fallu refaire des élections parce que des référendums les avaient reniés prouve seulement leur manque d’expérience. Ou encore, s’il se trouve que le parlement n’est que l’expression de la volonté de partis, la démocratie cesse d’être républicaine. Il est donc vrai que le régime des partis interdit l’expression de la voix du peuple et porte atteinte à sa souveraineté. D’où il résulte inévitablement que l’autorité de la loi ne peut plus être reconnue ; c’est ainsi que la IV° République s’est effondrée.
Autre conséquence du même principe. Si maintenant une majorité est constituée une fois pour toutes avant le débat et le vote d’une loi nouvelle, on ne peut plus dire que l’assemblée ou le peuple a décidé : la loi exprime seulement la volonté d’une partie, certes la plus nombreuse, du moins un soir d’élections, mais qui est seulement une partie du peuple et non le peuple, et pour cette raison elle perd son autorité de loi (quand bien même, je le répète, par son contenu elle serait bonne). Ainsi le jeu de l’alternance entre deux camps qui prennent le pouvoir à tour de rôle est un leurre. Il n’y a plus alors de véritable autorité, quand la loi est instituée de telle manière qu’elle procède de la pression du nombre, puisqu’alors elle contraint mais n’oblige pas.
Le galimatias de la majorité présidentielle
Cette conception et cette pratique de la majorité comme pouvoir du nombre trouve sa plus belle expression dans la notion de majorité présidentielle, institutionnellement consacrée en France par la décision de placer les élections législatives au lendemain de l’élection présidentielle. On admet ainsi que les électeurs doivent donner au chef du pouvoir exécutif à peine élu une majorité parlementaire, « sa » majorité, qu’on appelle sans équivoque « majorité présidentielle ». Il est manifeste qu’ici le premier sens du terme majorité a été oublié. Insistons ! Dans l’expression de « majorité présidentielle », « majorité » n’a pas le même sens que dans l’expression « vote à la majorité ». La majorité présidentielle ne se distingue pas du parti du président ou des partis qui la composent et dont aucun n’est le peuple. L’alternance de majorités de cette nature est donc paradoxalement le régime des partis – alors qu’il est convenu de dire que les institutions de la V° République ont été inventées pour mettre fin à ce régime. Et par là le pouvoir législatif est soumis au pouvoir exécutif. Ce dernier, au lieu de remplir sa fonction qui est d’exécuter les volontés du peuple, parvient à faire élire une majorité à son service, laquelle lui est d’autant plus soumise que chaque député dépend de lui pour sa réélection.
Obéir sans illusion aux lois de son pays
Qu’on ne s’en effraye pas ! J’obéis tout de même aux lois de mon pays. Seulement je ne les respecte pas en tant qu’elles seraient l’expression de la souveraineté populaire, mais parce qu’il vaut mieux qu’il y ait des lois qui ne sont qu’un succédané de lois plutôt que la guerre civile. Je ne leur accorde pas plus de respect que Pascal aux lois de l’Ancien Régime, et je ne considère pas que nous sommes en république. Lorsqu’on me dit que le gouvernement en place est légitime parce qu’il a recueilli plus de la moitié des suffrages, et que pour cette raison je n’ai pas à contester ses décisions, je ne donne pas plus de valeur à ce rapport de force, quel que soit le parti majoritaire du moment, qu’au prétendu droit divin qui justifiait le pouvoir des rois comme aujourd’hui le nombre. J’y vois même une injure : je l’avoue, ce genre de propos me donne des démangeaisons de désobéissance.
Le sens de la citoyenneté
Les hommes se sont donné des lois pour cesser de s’opprimer les uns les autres. On appelle république le régime fondé sur l’autorité de la loi. La souveraineté du peuple y signifie que le citoyen est le législateur, qu’il s’agisse d’une démocratie directe ou que le citoyen élise ses représentants. Or les institutions françaises placent à la tête du pouvoir exécutif un homme élu au suffrage universel et lui donnent ainsi de fait une prééminence sur le pouvoir législatif (aux Etats-Unis d’Amérique l’équilibre des pouvoirs est mieux préservé, mais le jeu des lobbys est institutionnalisé). Il est inévitable que dans l’esprit de cet homme son élection soit une sorte de blanc-seing qui lui est donné pour cinq ans ; il est inévitable que dans l’esprit de ses électeurs, voter signifie donner le pouvoir à un homme et non légiférer. Alors l’habitude se prend de renoncer à la citoyenneté, et le peuple perd la souveraineté qui faisait de lui un peuple. On ne s’étonnera donc pas qu’indépendamment de ce qu’on appelle la « crise économique », les puissances, celles de l’argent ou de quelque groupe de pression que ce soit, l’emportent sur l’autorité de la loi et en fin de compte sur les décisions politiques. Et quand en vertu de la loi du nombre il n’y a plus de peuple mais une population statistique, les sondages d’opinion peuvent tenir lieu de suffrages.
Instruction civique et leçon de vocabulaire
L’idée d’autorité ayant ainsi été perdue, il est conforme à la nature des choses qu’elle ait disparu aussi en dehors du champ de la politique proprement dite, et que l’autorité des maîtres d’école ne soit plus reconnue : une démocratie qui n’est plus républicaine peut-elle avoir une école, c’est-à-dire une institution qui, apprenant à être attentif aux significations des mots, et par exemple des mots peuple, souverain, majorité, apprendrait la vigilance en matière de politique ? Une leçon de vocabulaire suffit, et vous avez toute l’instruction civique.
P.S. Inutile de m’écrire pour dire qu’il y a des pays moins républicains que la France et qu’au lieu de me plaindre je devrais me réjouir. Car ne pas rappeler sans cesse l’exigence comprise dans l’idée républicaine, c’est abandonner la République à sa destruction.
Jean-Michel Muglioni
Né en 1946, vice-président de la Société Française de Philosophie, Jean-Michel Muglioni a enseigné la philosophie pendant plus de trente ans en classes préparatoires, et jusqu'en 2007 en khâgne au lycée Louis-le-Grand. Agrégé de philosophie, il a également soutenu en 1991 une thèse de doctorat d'Etat sur la philosophie de l'histoire de Kant. Il contribue règulièrement à la revue de Mezetulle. Il a signé comme auteur La philosophie de l'histoire de Kant (Hermann, 2e édition revue 2011, 1ère éd. PUF, 1993) et Repères philosophiques (Ellipses, 2010).


Saturday, January 12, 2013

Capitolo

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Autore:Rino Cozza
Titolo:Limiti di una figura storica. C'era una volta il capitolo
Tema:VC - PROBLEMI GENERALI
Per trovarlo:Numero 6 del 2002 pag. 7
Note:Tra gli strumenti della vita religiosa il capitolo sembra oggi in difficoltà, troppo verticistico e lontano dalla vita di ogni singolo religioso/a, adatto a un tempo di omogeneità culturale che oggi non esite più. Uno strumento che necessita di nuove forme.

LIMITI DI UNA FIGURA STORICA


C'ERA UNA VOLTA
IL CAPITOLO


Tra gli strumenti della vita religiosa il capitolo sembra oggi in difficoltà, troppo verticistico e lontano dalla vita di ogni singolo religioso/a, adatto a un tempo di omogeneità culturale che oggi non esite più. Uno strumento che necessita di nuove forme.

La Commissione teologica dell'Unione Superiori Generali in un suo recente documento afferma: «La vita consacrata non ha forse attualmente un'eccessiva zavorra giuridica, che in certa misura schiaccia le sue possibilità carismatiche?» E in riferimento al capitolo generale: «abbiamo in qualche occasione spezzato la logica della rappresentatività giuridica?».[1] Le riflessioni qui riportate sollevano degli interrogativi sulla validità dello strumento "capitolo generale" ai fini della ri-evoluzione della vita religiosa (VR).

IL CAPITOLO
IERI E OGGI

Il termine capitolo trae origine dalla tradizione monastica benedettina a partire dal secolo VIII e stava a indicare l'assemblea comunitaria nella quale i religiosi ascoltavano la lettura e la spiegazione di un capitolo della regola, da qui l'uso di denominare con lo stesso termine dapprima il luogo e poi la riunione stessa.[2] Poi divenne un incontro a carattere formativo, legislativo, elettivo che prevedeva la partecipazione di tutti i religiosi.
Successivamente divenendo numerose le comunità e le distanze si arrivò alla delega ad alcuni,[3] frutto di votazioni, conseguenti esclusioni e relative tensioni (prima e durante) a vari livelli. Non stupisce se come punto di arrivo il capitolo si presta a «sommovimenti emotivi, resistenze intellettive, ansie prestazionali». Nato come esigenza di fraternità soffre ora di un processo di esclusioni che non agevolano la fraternità. La "verticizzazione" nella Chiesa ha sempre trovato buoni teorizzatori e la VR ha copiato da essa i modelli organizzativi anche se in contraddizione con le istanze di fraternità da cui è nata. Un tempo tutto ciò non pesava: in "quel" tempo, in cui le istituzioni avevano un grande alone ideale e fascino, l'appartenenza ad un tale impianto gerarchico, soddisfaceva il bisogno identitario dei "sudditi". Ma «il tempo delle piramidi è finito, è ieri. Tutte le organizzazioni devono passare da forme gerarchiche piramidali a strutture a rete».
Alla riattualizzazione del carisma devono poter partecipare tutti, non è più sufficiente la rappresentatività giuridica; si tratta di inventare le forme possibili e opportune. Non possono esistere i soli esecutori altrimenti c'è la possibilità che scattino modi di adesione all'istituzione in forme di appartenenza con riserva: in situazione in cui altri pensano, deliberano, non rimane che prendere i propri spazi.
Un indicatore del fenomeno, sempre più consistente, di appartenenza limitata si ha nel fatto che i delegati ai capitolisono sempre più sentiti come loro e non come noi. La forza di un insieme di persone invece è data dal sentimento del noi, se si indebolisce questo si indebolisce l'identificazione con l'insieme, con le sue finalità e con le sue proposte. Da questo nasce la passività frutto di disaffezione.
Un provinciale dopo sette mesi dal capitolo volle rendersi conto di quanto i documenti avessero incuriosito. Risultò che di una provincia di 153 religiosi, se si tolgono i 37 capitolari, soltanto 18 avevano letto integralmente i testi. Quando i documenti non arrivano alla base è perché si è allentata la forza emotiva e come conseguenza non hanno più la capacità di orientare le scelte.
Quali le cause? Di 6 capitoli generali di cui ho preso in esame gli Atti, a fronte della disaffezione, 5 portano l'attenzione sull'individualismo delle persone. In nessuno degli Atti capitolari c'è un approfondimento del fenomeno. I provinciali camilliani al termine del mandato si raccontano e si interrogano. Alla domanda: «l'individualismo dei religiosi è una colpa o una necessità?», rispondono: «se non c'è coinvolgimento a livello decisionale, se non c'è partecipazione alle "cose di casa", come sbocco, non c'è che l'individualismo».[4]
Una possibile via di uscita è quella di trovare forme diverse dal capitolo attraverso cui sia data ad ognuno la possibilità di rifare i patti. In un tempo in cui cambiano non poche prospettive teologiche della VR, la prassi della vita comunitaria, le metodologie apostoliche, non può essere escluso colui che, in ultima analisi, è il solo a dover decidere, da qualcosa che ha a che fare con la libertà di una scelta personale. In caso contrario al singolo non rimane che l'adattarsi passivo a causa del non investimento. La rinascita possibile è quella che parte dal basso.

RIPOSIZIONARE
LA VITA RELIGIOSA

Negli anni tra il 1965 e il 1980, anni pervasi da vivaci fermenti evangelici e dinamismi conciliari che spingevano alla estroversione, alla missionarietà, la VR era tutta presa da un impegno introspettivo: era fervido il lavoro di capitoli (ordinari e straordinari, e oltre ai sessennali anche i triennali a livello provinciale), per rivedere i progetti costituzionali, la ristrutturazione della vita "interna" e delle opere centenarie. Mentre la VR era tutta presa da questi compiti di adeguamento, dalla base del popolo di Dio sorgevano e prendevano forza «aggregazioni di persone che decidevano di vivere in modo radicale la sequela di Cristo professando i consigli evangelici sotto nuove forme e nuovi vincoli rispetto alla vita religiosa tradizionale». È stato il periodo in cui le congregazioni e gli ordini perdevano dal 15 al 25 % dei membri mentre iniziavano a crescere le associazioni di consacrati, approvate con decreto dell'Ordinario. Oggi le forme sono le più varie. Nell'ambito degli stessi movimenti ecclesiali cresce il numero di membri che danno luogo a forme di vita consacrata sia come punto massimo dell'esperienza religiosa propria del movimento, sia come nucleo coagulante del movimento stesso con una vera consacrazione mediante i tre voti. Spesso però non desiderano essere considerati consacrati secondo il modello dei religiosi/e e si rivolgono per l'approvazione al Pontificio consiglio per i laici, per timore di essere incasellati nella VR.
A ispirare queste nuove forme non è stata la VR anche se alcune connotazioni sono identiche (caratterizzazione carismatica, radicalità evangelica, appartenenza a un gruppo), anzi le nuove forme comunitarie - scrive p. Ciardi - «si pongono in voluta antitesi nei confronti degli istituti religiosi…» e puntano sulla comunione di vita «come annuncio di un nuovo tipo di società egualitaria e fraterna», come esperienza rivelatrice di bisogni nuovi, quali ad esempio il non isolarsi dal mondo, la spontaneità, la dinamicità, creatività, duttilità, attenzione alle sfide del tempo, natura laicale, adesione in modo partecipativo e vitale.
Questo accenno alla storia recente è per dire che lo strumento capitolo su cui principalmente si contava ai fini del cambiamento è stato e rimane inadeguato ai fini della vita. Quando si parla di capitolo l'idea che emerge è quella di un fatto giuridico, di un qualcosa che ha a che fare con il "diritto canonico" cioè con qualcosa che codifica e omologa: infatti sia il codice che il capitolo corrono il rischio d'essere delle linee di traguardo per tempi di acquisizioni sedimentate, piuttosto che snodi di accelerazione. Se questo può essere accettato per un testo giuridico non lo può essere per il capitolo, organo orientativo della VR il cui compito è quello di dare risposte nuove alle nuove sfide del tempo.
Il capitolo come attualmente concepito è uno strumento valido per un tempo di stabilità e omogeneità culturale e per momenti della storia in cui la realtà procede linearmente, cioè per un tempo in cui ciò che definisco oggi è buono per domani, ciò che stabilisco per uno vale per tutti, in Europa, in Africa, in America, in Asia, per i giovani e per gli anziani. Ora invece le diverse culture esigono maggiore autoreferenzialità, altrimenti, come sta avvenendo, prendono spessore le contrapposizioni. È figlio di un tempo in cui l'uniformità era una delle mete ed era la norma sancita a orientare la vita , per cui mal si adatta a un tempo in cui è più forte il criterio della differenziazione ed è la vita ad anticipare la norma.

PUNTI DI FRAGILITÀ
DI UN CAPITOLO

Anziché accelerare la vita di una congregazione la mette in stand-by per quasi due anni: circa un anno di preparazione a partire dai capitoli locali e un altro anno dopo il capitolo perché la macchina riprenda. Ma non è detto che successivamente tutto fili: stante l'accumulo di incombenze inevase, una provincia è successivamente presa dalle cose che maggiormente urgono, piuttosto che dalle cose che risulterebbero le più importanti proprio a partire dal capitolo. In altri tempi quelli caratterizzati da lentissima evoluzione culturale, i ritardi burocratici al massimo ritardavano la risposta, oggi invece la snaturano.
Non ha la possibilità di essere laboratorio di ricerca ma solo codificatore di vissuti, magari innovativi ma già vissuti. Il fatto è riconducibile a vari motivi. Innanzitutto, il capitolo, tendenzialmente, procede per stereotipi, o quantomeno identifica il rinnovamento in pochi modelli di riferimento anche quando è il futuro a interpellare; e non si può pretendere diversamente perché è il modo d'essere delle organizzazioni istituzionali, e questo anche quando l'istituzione è la VR, il cui modo d'essere dovrebbe esprimersi nella capacità di dare risposte nuove a nuove sfide.
Nel caso poi deliberasse nuovi progetti con la delibera non si fa molta strada, non è ancora promozione. I "nuovi" (nuovi modi di vivere la comunitarietà, l'integrazione, il lavoro) richiedono capacità di pilotare la complessità standone dentro, coinvolti. Perché "nuovi" richiedono creatività, continui aggiustamenti, mani in pasta e occhi all'orizzonte, tempestività nel cogliere l'opportunità: cose difficili quando tutto è normato o comunque deve soggiacere o fare riferimento a molteplici livelli di autorizzazione.
Inoltre nei capitoli l'investimento di pensiero è troppo piccolo stante il pochissimo tempo a ciò deputato. Non è possibile investire di attenzione nuovi profili perché scatta la preoccupazione per la "norma" o per il "modo": insomma prevale il formalismo rispetto alla sostanza. Il risultato poi, proprio perché frutto di molte mediazioni non è la migliore delle ipotesi. È un grande sforzo di manutenzione senza troppa fantasia. Dopo un mese di tale lavoro capitolare ci si scontra con la fatica e forse «l'alienazione di un qualcosa ingessato nella funzione di una inefficace ortopedia sociale».

OGGI
DOVE SIAMO?

Ci si sta rendendo conto che per poter prendere il largo, la "navigazione" di un istituto ha bisogno di intervento nel "continuo" del momento evolutivo. Gli accadimenti sessennali specie se in mano a pochi, non pilotano i fenomeni: come se un comandante di vascello guardasse la bussola e mettesse mano al timone una volta al mese.
Ma soprattutto un fatto sporadico, qual è il capitolo, non ha la possibilità di risolvere le problematiche oggi in fase di evoluzione, e di incidere su nuove tendenze di fenomeni, quali:
l'ibridazione: fino a ieri per "formazione insieme" si intendeva corsi teologici intercongregazionali; oggi all'"insieme" intercongregazionale si delega la stessa formazione alla vita religiosa. Inoltre in Italia sono già una trentina le opere gestite insieme e stanno nascendo forme di vita comunitaria intercongregazionale. Si potrebbe anche intravedere qualche positività in ciò (discernimento più ampio, comunione operativa), se il tutto non fosse dettato dall'unica possibilità di sopravvivenza;
l'identità apostolica debole. In molti decenni la VR aveva affinato in proprio tecniche apostoliche e scelte di campo conseguenti al carisma e all'idea di essere quasi gli unici destinatari del mandato apostolico e della sequela di Cristo, e oggi si trova all'interno di una dottrina che indica quale soggetto della missione della Chiesa l'insieme organico del popolo di Dio e che invita al discepolato quale vocazione di ognuno;
la convergenza dei carismi in un "indifferenziato". Era tendenza lasciare le parrocchie per opere maggiormente espressive del carisma fondazionale, ora quasi nessun istituto lascia le parrocchie, rimanendo queste l'unico spazio apostolico per molti presbiteri diversamente non inseribili;
la rottura dello scambio tra generazioni. Nelle comunità un tempo c'erano degli anziani oggi, nella migliore delle situazioni ci sono dei giovani. «Manca - scrive p. Rovira - la generazione di mezzo per cui si trovano in comunità nonni e nipoti, senza genitori; anzi a differenza della famiglia naturale, in cui ci sono pochi nonni e tanti nipotini, qui, invece troviamo tanti nonni e pochissimi nipoti. Manca la generazione ponte. Di conseguenza ci sono religiosi di 30 o 40 anni o anche più) che continuano a essere i "giovani", falsando la realtà, visto che giovani non sono affatto, almeno dal punto di vista cronologico»;
le forme di appartenenza con riserva. Un tempo era punto di arrivo di religiosi disillusi, oggi è punto di partenza di molti giovani;
l'immagine di una VR rassicurante. Sta crescendo (non solo per l'età media del corpo sociale) l'idea di VR come di un qualcosa di tranquillo, con il conseguente rischio di interessare coloro che sono in cerca di questo più che di intraprendenza missionaria. Viene spontaneo il rimando alla pastorale vocazionale;
la mancanza di desiderio: nei giovani capaci di "sognare", perché vedono poca possibilità di realizzarsi sulla linea del sognato; negli anziani perché il sogno è nel passato. La conseguenza è un calo di appartenenza empatica;
il carisma di istituto e carisma personale non coincidenti: il fenomeno può essere detto con la frase di un provinciale: «ho dieci confratelli in più, ma me ne mancano due»;
l'indebolimento della parresia: all'appello di inserirci nel nuovo millennio concepito come «oceano vasto (sfide culturali inedite) in cui avventurarci» (NMI, 58), la VR mostra la preoccupazione del difendersi dalle nuove culture;
i ruoli direttivi non ambiti: perché è cresciuta la virtù o perché l'istituzione ha perso di interesse?;
la sussidiarietà ambiguamente intesa. Il principio è ridotto a «io intervengo ad aiutare semmai nascesse qualcosa», come conseguenza della difficoltà a livello superiore a dare impulso al nuovo;
l'identità culturale d'area geografica che in alcuni momenti può sopravvanzare l'identità carismatica dell'istituto;
lo sbilanciamento sul "racconto" di una gloriosa storia da ricordare piuttosto che sul resoconto di «una grande storia da costruire» (VC110).
È il tempo allora di passare dal ritoal mito. È difficile trovare qui la parola esatta che porti fuori dall' attuale situazione. Il termine adeguato dovrebbe essere profezia ma ormai logoro per l'abuso di cui si è fatto. Mito inteso non secondo l'accezione usuale ma come "forza culturale" (Malinowski B.), elemento ideale costitutivo della vita di gruppo che ha bisogno di essere rigenerato in ogni cambiamento storico. Espressione simbolica oltre le storicizzazioni in cui un gruppo si riconosce. In ogni caso non può essere un rito, una celebrazione: così si dice di questo sessennale avvenimento. Infatti è solenne, lento e "ripetitivo" come un rito; ha le sue "formule" omettendo le quali è "invalido". Ha la pretesa del "memoriale" (riportare all'oggi l'istanza di salvezza) ma il più è solo "memoria" riaggiornata.
Paradossalmente più rifondante è un capitolo meno i pronunciamenti coincidono con le attese dei confratelli stante il fatto che data l'età media, la maggioranza appartiene per formazione ad un mondo, sotto il profilo culturale, che va a finire.

Rino Cozza
[1] Commissione teologica USG, Nella Globalizzazione: verso una comunione pluricentrica e interculturale. Implicazioni ecclesiologiche per il governo dei nostri istituti, Ed Il Calamo, Roma 2001.
[2] Lesage G., Capitolo, in "Dizionario degli Istituti di Perfezione", II, col.166.
[3] Sanna A., Capitoli, in "Dizionario francescano", col, 129.
[4] Cf. Servizio positivo ma un po' frustrante, in "Testimoni", 8/2001, pp. 7-9

C'era una volta il capitolo

http://www.dehoniane.it/riviste/riv_articolo.php?CODICE=3430&CODE=TES&PAGE_ID=29#_ednref1


Dettaglio articolo. Testimoni Numero 6 del 2002  pag. 7


LIMITI DI UNA FIGURA STORICA

C'ERA UNA VOLTA
IL CAPITOLO

Tra gli strumenti della vita religiosa il capitolo sembra oggi in difficoltà, troppo verticistico e lontano dalla vita di ogni singolo religioso/a, adatto a un tempo di omogeneità culturale che oggi non esite più. Uno strumento che necessita di nuove forme.

La Commissione teologica dell'Unione Superiori Generali in un suo recente documento afferma: «La vita consacrata non ha forse attualmente un'eccessiva zavorra giuridica, che in certa misura schiaccia le sue possibilità carismatiche?» E in riferimento al capitolo generale: «abbiamo in qualche occasione spezzato la logica della rappresentatività giuridica?».[1] Le riflessioni qui riportate sollevano degli interrogativi sulla validità dello strumento "capitolo generale" ai fini della ri-evoluzione della vita religiosa (VR).

IL CAPITOLO

IERI E OGGI

Il termine capitolo trae origine dalla tradizione monastica benedettina a partire dal secolo VIII e stava a indicare l'assemblea comunitaria nella quale i religiosi ascoltavano la lettura e la spiegazione di un capitolo della regola, da qui l'uso di denominare con lo stesso termine dapprima il luogo e poi la riunione stessa.[2] Poi divenne un incontro a carattere formativo, legislativo, elettivo che prevedeva la partecipazione di tutti i religiosi.

Successivamente divenendo numerose le comunità e le distanze si arrivò alla delega ad alcuni,[3] frutto di votazioni, conseguenti esclusioni e relative tensioni (prima e durante) a vari livelli. Non stupisce se come punto di arrivo il capitolo si presta a «sommovimenti emotivi, resistenze intellettive, ansie prestazionali». Nato come esigenza di fraternità soffre ora di un processo di esclusioni che non agevolano la fraternità. La "verticizzazione" nella Chiesa ha sempre trovato buoni teorizzatori e la VR ha copiato da essa i modelli organizzativi anche se in contraddizione con le istanze di fraternità da cui è nata. Un tempo tutto ciò non pesava: in "quel" tempo, in cui le istituzioni avevano un grande alone ideale e fascino, l'appartenenza ad un tale impianto gerarchico, soddisfaceva il bisogno identitario dei "sudditi". Ma «il tempo delle piramidi è finito, è ieri. Tutte le organizzazioni devono passare da forme gerarchiche piramidali a strutture a rete».

Alla riattualizzazione del carisma devono poter partecipare tutti, non è più sufficiente la rappresentatività giuridica; si tratta di inventare le forme possibili e opportune. Non possono esistere i soli esecutori altrimenti c'è la possibilità che scattino modi di adesione all'istituzione in forme di appartenenza con riserva: in situazione in cui altri pensano, deliberano, non rimane che prendere i propri spazi.

Un indicatore del fenomeno, sempre più consistente, di appartenenza limitata si ha nel fatto che i delegati ai capitoli sono sempre più sentiti come loro e non come noi. La forza di un insieme di persone invece è data dal sentimento del noi, se si indebolisce questo si indebolisce l'identificazione con l'insieme, con le sue finalità e con le sue proposte. Da questo nasce la passività frutto di disaffezione.

Un provinciale dopo sette mesi dal capitolo volle rendersi conto di quanto i documenti avessero incuriosito. Risultò che di una provincia di 153 religiosi, se si tolgono i 37 capitolari, soltanto 18 avevano letto integralmente i testi. Quando i documenti non arrivano alla base è perché si è allentata la forza emotiva e come conseguenza non hanno più la capacità di orientare le scelte.

Quali le cause? Di 6 capitoli generali di cui ho preso in esame gli Atti, a fronte della disaffezione, 5 portano l'attenzione sull'individualismo delle persone. In nessuno degli Atti capitolari c'è un approfondimento del fenomeno. I provinciali camilliani al termine del mandato si raccontano e si interrogano. Alla domanda: «l'individualismo dei religiosi è una colpa o una necessità?», rispondono: «se non c'è coinvolgimento a livello decisionale, se non c'è partecipazione alle "cose di casa", come sbocco, non c'è che l'individualismo».[4]

Una possibile via di uscita è quella di trovare forme diverse dal capitolo attraverso cui sia data ad ognuno la possibilità di rifare i patti. In un tempo in cui cambiano non poche prospettive teologiche della VR, la prassi della vita comunitaria, le metodologie apostoliche, non può essere escluso colui che, in ultima analisi, è il solo a dover decidere, da qualcosa che ha a che fare con la libertà di una scelta personale. In caso contrario al singolo non rimane che l'adattarsi passivo a causa del non investimento. La rinascita possibile è quella che parte dal basso.

RIPOSIZIONARE

LA VITA RELIGIOSA

Negli anni tra il 1965 e il 1980, anni pervasi da vivaci fermenti evangelici e dinamismi conciliari che spingevano alla estroversione, alla missionarietà, la VR era tutta presa da un impegno introspettivo: era fervido il lavoro di capitoli (ordinari e straordinari, e oltre ai sessennali anche i triennali a livello provinciale), per rivedere i progetti costituzionali, la ristrutturazione della vita "interna" e delle opere centenarie. Mentre la VR era tutta presa da questi compiti di adeguamento, dalla base del popolo di Dio sorgevano e prendevano forza «aggregazioni di persone che decidevano di vivere in modo radicale la sequela di Cristo professando i consigli evangelici sotto nuove forme e nuovi vincoli rispetto alla vita religiosa tradizionale». È stato il periodo in cui le congregazioni e gli ordini perdevano dal 15 al 25 % dei membri mentre iniziavano a crescere le associazioni di consacrati, approvate con decreto dell'Ordinario. Oggi le forme sono le più varie. Nell'ambito degli stessi movimenti ecclesiali cresce il numero di membri che danno luogo a forme di vita consacrata sia come punto massimo dell'esperienza religiosa propria del movimento, sia come nucleo coagulante del movimento stesso con una vera consacrazione mediante i tre voti. Spesso però non desiderano essere considerati consacrati secondo il modello dei religiosi/e e si rivolgono per l'approvazione al Pontificio consiglio per i laici, per timore di essere incasellati nella VR.

A ispirare queste nuove forme non è stata la VR anche se alcune connotazioni sono identiche (caratterizzazione carismatica, radicalità evangelica, appartenenza a un gruppo), anzi le nuove forme comunitarie - scrive p. Ciardi - «si pongono in voluta antitesi nei confronti degli istituti religiosi…» e puntano sulla comunione di vita «come annuncio di un nuovo tipo di società egualitaria e fraterna», come esperienza rivelatrice di bisogni nuovi, quali ad esempio il non isolarsi dal mondo, la spontaneità, la dinamicità, creatività, duttilità, attenzione alle sfide del tempo, natura laicale, adesione in modo partecipativo e vitale.

Questo accenno alla storia recente è per dire che lo strumento capitolo su cui principalmente si contava ai fini del cambiamento è stato e rimane inadeguato ai fini della vita. Quando si parla di capitolo l'idea che emerge è quella di un fatto giuridico, di un qualcosa che ha a che fare con il "diritto canonico" cioè con qualcosa che codifica e omologa: infatti sia il codice che il capitolo corrono il rischio d'essere delle linee di traguardo per tempi di acquisizioni sedimentate, piuttosto che snodi di accelerazione. Se questo può essere accettato per un testo giuridico non lo può essere per il capitolo, organo orientativo della VR il cui compito è quello di dare risposte nuove alle nuove sfide del tempo.

Il capitolo come attualmente concepito è uno strumento valido per un tempo di stabilità e omogeneità culturale e per momenti della storia in cui la realtà procede linearmente, cioè per un tempo in cui ciò che definisco oggi è buono per domani, ciò che stabilisco per uno vale per tutti, in Europa, in Africa, in America, in Asia, per i giovani e per gli anziani. Ora invece le diverse culture esigono maggiore autoreferenzialità, altrimenti, come sta avvenendo, prendono spessore le contrapposizioni. È figlio di un tempo in cui l'uniformità era una delle mete ed era la norma sancita a orientare la vita , per cui mal si adatta a un tempo in cui è più forte il criterio della differenziazione ed è la vita ad anticipare la norma.

PUNTI DI FRAGILITÀ

DI UN CAPITOLO

Anziché accelerare la vita di una congregazione la mette in stand-by per quasi due anni: circa un anno di preparazione a partire dai capitoli locali e un altro anno dopo il capitolo perché la macchina riprenda. Ma non è detto che successivamente tutto fili: stante l'accumulo di incombenze inevase, una provincia è successivamente presa dalle cose che maggiormente urgono, piuttosto che dalle cose che risulterebbero le più importanti proprio a partire dal capitolo. In altri tempi quelli caratterizzati da lentissima evoluzione culturale, i ritardi burocratici al massimo ritardavano la risposta, oggi invece la snaturano.

Non ha la possibilità di essere laboratorio di ricerca ma solo codificatore di vissuti, magari innovativi ma già vissuti. Il fatto è riconducibile a vari motivi. Innanzitutto, il capitolo, tendenzialmente, procede per stereotipi, o quantomeno identifica il rinnovamento in pochi modelli di riferimento anche quando è il futuro a interpellare; e non si può pretendere diversamente perché è il modo d'essere delle organizzazioni istituzionali, e questo anche quando l'istituzione è la VR, il cui modo d'essere dovrebbe esprimersi nella capacità di dare risposte nuove a nuove sfide.

Nel caso poi deliberasse nuovi progetti con la delibera non si fa molta strada, non è ancora promozione. I "nuovi" (nuovi modi di vivere la comunitarietà, l'integrazione, il lavoro) richiedono capacità di pilotare la complessità standone dentro, coinvolti. Perché "nuovi" richiedono creatività, continui aggiustamenti, mani in pasta e occhi all'orizzonte, tempestività nel cogliere l'opportunità: cose difficili quando tutto è normato o comunque deve soggiacere o fare riferimento a molteplici livelli di autorizzazione.

Inoltre nei capitoli l'investimento di pensiero è troppo piccolo stante il pochissimo tempo a ciò deputato. Non è possibile investire di attenzione nuovi profili perché scatta la preoccupazione per la "norma" o per il "modo": insomma prevale il formalismo rispetto alla sostanza. Il risultato poi, proprio perché frutto di molte mediazioni non è la migliore delle ipotesi. È un grande sforzo di manutenzione senza troppa fantasia. Dopo un mese di tale lavoro capitolare ci si scontra con la fatica e forse «l'alienazione di un qualcosa ingessato nella funzione di una inefficace ortopedia sociale».

OGGI

DOVE SIAMO?

Ci si sta rendendo conto che per poter prendere il largo, la "navigazione" di un istituto ha bisogno di intervento nel "continuo" del momento evolutivo. Gli accadimenti sessennali specie se in mano a pochi, non pilotano i fenomeni: come se un comandante di vascello guardasse la bussola e mettesse mano al timone una volta al mese.

Ma soprattutto un fatto sporadico, qual è il capitolo, non ha la possibilità di risolvere le problematiche oggi in fase di evoluzione, e di incidere su nuove tendenze di fenomeni, quali:

- l'ibridazione: fino a ieri per "formazione insieme" si intendeva corsi teologici intercongregazionali; oggi all'"insieme" intercongregazionale si delega la stessa formazione alla vita religiosa. Inoltre in Italia sono già una trentina le opere gestite insieme e stanno nascendo forme di vita comunitaria intercongregazionale. Si potrebbe anche intravedere qualche positività in ciò (discernimento più ampio, comunione operativa), se il tutto non fosse dettato dall'unica possibilità di sopravvivenza;

- l'identità apostolica debole. In molti decenni la VR aveva affinato in proprio tecniche apostoliche e scelte di campo conseguenti al carisma e all'idea di essere quasi gli unici destinatari del mandato apostolico e della sequela di Cristo, e oggi si trova all'interno di una dottrina che indica quale soggetto della missione della Chiesa l'insieme organico del popolo di Dio e che invita al discepolato quale vocazione di ognuno;

- la convergenza dei carismi in un "indifferenziato". Era tendenza lasciare le parrocchie per opere maggiormente espressive del carisma fondazionale, ora quasi nessun istituto lascia le parrocchie, rimanendo queste l'unico spazio apostolico per molti presbiteri diversamente non inseribili;

- la rottura dello scambio tra generazioni. Nelle comunità un tempo c'erano degli anziani oggi, nella migliore delle situazioni ci sono dei giovani. «Manca - scrive p. Rovira - la generazione di mezzo per cui si trovano in comunità nonni e nipoti, senza genitori; anzi a differenza della famiglia naturale, in cui ci sono pochi nonni e tanti nipotini, qui, invece troviamo tanti nonni e pochissimi nipoti. Manca la generazione ponte. Di conseguenza ci sono religiosi di 30 o 40 anni o anche più) che continuano a essere i "giovani", falsando la realtà, visto che giovani non sono affatto, almeno dal punto di vista cronologico»;

- le forme di appartenenza con riserva. Un tempo era punto di arrivo di religiosi disillusi, oggi è punto di partenza di molti giovani;

- l'immagine di una VR rassicurante. Sta crescendo (non solo per l'età media del corpo sociale) l'idea di VR come di un qualcosa di tranquillo, con il conseguente rischio di interessare coloro che sono in cerca di questo più che di intraprendenza missionaria. Viene spontaneo il rimando alla pastorale vocazionale;

- la mancanza di desiderio: nei giovani capaci di "sognare", perché vedono poca possibilità di realizzarsi sulla linea del sognato; negli anziani perché il sogno è nel passato. La conseguenza è un calo di appartenenza empatica;

- il carisma di istituto e carisma personale non coincidenti: il fenomeno può essere detto con la frase di un provinciale: «ho dieci confratelli in più, ma me ne mancano due»;

- l'indebolimento della parresia: all'appello di inserirci nel nuovo millennio concepito come «oceano vasto (sfide culturali inedite) in cui avventurarci» (NMI, 58), la VR mostra la preoccupazione del difendersi dalle nuove culture;

- i ruoli direttivi non ambiti: perché è cresciuta la virtù o perché l'istituzione ha perso di interesse?;

- la sussidiarietà ambiguamente intesa. Il principio è ridotto a «io intervengo ad aiutare semmai nascesse qualcosa», come conseguenza della difficoltà a livello superiore a dare impulso al nuovo;

- l'identità culturale d'area geografica che in alcuni momenti può sopravvanzare l'identità carismatica dell'istituto;

- lo sbilanciamento sul "racconto" di una gloriosa storia da ricordare piuttosto che sul resoconto di «una grande storia da costruire» (VC110).

È il tempo allora di passare dal ritoal mito. È difficile trovare qui la parola esatta che porti fuori dall' attuale situazione. Il termine adeguato dovrebbe essere profezia ma ormai logoro per l'abuso di cui si è fatto. Mito inteso non secondo l'accezione usuale ma come "forza culturale" (Malinowski B.), elemento ideale costitutivo della vita di gruppo che ha bisogno di essere rigenerato in ogni cambiamento storico. Espressione simbolica oltre le storicizzazioni in cui un gruppo si riconosce. In ogni caso non può essere un rito, una celebrazione: così si dice di questo sessennale avvenimento. Infatti è solenne, lento e "ripetitivo" come un rito; ha le sue "formule" omettendo le quali è "invalido". Ha la pretesa del "memoriale" (riportare all'oggi l'istanza di salvezza) ma il più è solo "memoria" riaggiornata.

Paradossalmente più rifondante è un capitolo meno i pronunciamenti coincidono con le attese dei confratelli stante il fatto che data l'età media, la maggioranza appartiene per formazione ad un mondo, sotto il profilo culturale, che va a finire.

Rino Cozza

[1] Commissione teologica USG, Nella Globalizzazione: verso una comunione pluricentrica e interculturale. Implicazioni ecclesiologiche per il governo dei nostri istituti, Ed Il Calamo, Roma 2001.