Saturday, November 23, 2024

SCG Book 3

第38章
人間の幸福は、ほとんどの人が一般的に所有している神についての知識によって構成されない

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知的実体の究極の幸福がどのような知識からなるのかを調査することは残っている。なぜなら、ほとんどすべての人に見られる、神についての一般的であやふやな知識があるからである[1]。これは、他のデモンストレーションの原理がそうであるように[2]、神が存在することは自明であると、第1巻(第10章)で述べたように、一部の人々が抱く見解であるか、または人は自然な推論ですぐに神のある種の知識に到達することができるか、後者の方は真実であると思われるが、いずれかによるものである。なぜなら、人は、自然界の物事が明確な秩序に従って動き、順序付けが順序付ける者なしでは発生しないことを見ると、ほとんどの場合、我々が直ちに物事の順序付ける者がいることを認識している。しかし、それは誰であるか、どのような存在であるか、または自然の秩序付ける者が1つしかないかどうかは、この一般的な考慮事項ではまだすぐには把握されていない。それと同じように、人が動かされて他の仕事をしているのを見るとき、我々が彼の中で、他のものには存在しない何かこれらの働きの原因が存在していると感じる。そして我々はこれを魂と呼んでいる。しかし、その時点では、魂が何であるか、それが物体であるかどうか、または先言及されたこれらの働きをどのように生成させるかはわからない。

[1] たとえば、「宗教とは心の弱い人が精神の安定を求め、実在しないかもしれない神や天国といったものを想像して生まれたのだ。世の中にはそんな見方があると思います」(山本芳久、『キリスト教の核心をよむ』、NHK出版、2021年、23ページ)。一般的なお茶の入れ方と茶道の訓練を受けた人のお茶のたて方は違いように、一般的な神認識と違って、幸福に導く神の観想にはそれなりの訓練は必要。
[2] 三段論法。

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