Tuesday, April 16, 2024

「日本人」は定義できない 多数派が抱く「純ジャパ幻想」の抑圧性:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASS483JM7S48UPQJ00TM.html

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Saturday, April 06, 2024

Hanno perso il ben dell’intelletto. Cosa direbbe il Conforti…ai posteri…

SALERNO – ITALIA: UN sajjāda – TAPPETO DA PREGHIERA

Venerdì 8 marzo 2024, vigilia del Ramadan, il gruppo "Ero in carcere..." della Famiglia Saveriana ha ricevuto l'autorizzazione dalla direzione della Casa Circondariale di Salerno per distribuire tappeti da preghiera e copie del Corano ai detenuti di fede islamica che periodicamente visitano. Il sajjāda è usato dai musulmani durante le loro cinque preghiere giornaliere (Ṣalāt).
Bahia, una signora di origine marocchina, ha coinvolto numerosi uomini e donne della sua comunità per permettere agli islamici di pregare nelle loro celle durante il mese sacro dell'Islam, nel modo più naturale per loro. Ci siamo ritrovati con un'auto piena di tappeti per la preghiera e copie del Corano, sufficienti per soddisfare molte richieste.
Anna Paola ed Elsa hanno avuto potuto consegnare personalmente tappeti dai vivaci colori e copie tascabili del Corano a diversi uomini e ragazzi, insieme a un foglietto contenente un messaggio in lingua araba preparato da Bahia.

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Thursday, April 04, 2024

Thursday, March 28, 2024

日本文化論

_bunka@asahi.com
五口る
人生の贈りものー
2000年以降は、「日本という方法」などで本格的に日本文化論を展開した▶日本は東洋に属して、しかも
海を隔てた列島です。四書五経も仏教も外から入ってきたもので、稲・鉄・漢字・馬も順番に立ち上がってきたのではない。
そういう国なので、編集的な多重性があるだろうと。だから日本をよく見ることによって、世界の文明や文化が見えるだろうという関心を持ちました。
しかし、そんな日本の文化や歴史にもかかわらず、マルクス主義や構造主義、存在論や現象学など西洋の学問の方法で語ろうとしてきたために、説明の付
松岡 正剛
編集工学者
13
多重性の列島 日本は方法の国」
かないものが増えてしまった。 で解明しようとした試みもありいました。なぞらえる。あやか
九鬼周造や鈴木大拙のように西ましたが、トータルには説明で
る。歌舞伎や江戸遊芸では「や
洋的ではない「いき」や「禅」きない。むしろ柳田国男や折口つし」と呼ばれるものです。本
宿夫が試みた民俗学的な日本
来のものを想定はするんだけれ
を、もうちょっとやり直さないども、そこに少し逸脱をかける。
といけないなと考えた。
どうも大日本帝国主義とか神
^本をめぐる言説は、かつ国日本というのは、その本来をては「松岡正剛の右傾化」と受巨大化しすぎてしまう。奥にはけ取られたこともあった>
正体不明だけれども日本が実感
だいたい「日本が大事だ」とされる「何か」はあるかもしれ
いえば、ナショナリズムと思わない。でも、それをたとえば神れがちなのは当然です。しかし様とか天皇に求めるべきではな私が考えていたのは、日本といい。やつさないと、そらさないう国そのものが「方法」であると。そのために方法がある。私ということです。「日本は方法が考えてきた編集という方法
「ロジカル(論理的)ではなく、アナロジカル(類推的)
でありたい」II小山幸佑撮影
の国だ」という確肩は初期からと、日本という方法が重なってあって、だんだんそれを固めていったんです。
いった。最終的には「臓」と言
(聞き手・山崎聡)

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Friday, March 22, 2024

ゴジラはなぜ、東京にやって

ゴジラはなぜ、東京にやって
天声人語
くるのだろうか。繰り返し、何度も何度も、日本の首都を襲うのだろうか。1954年に初代のゴジラが破壊して以来、国会議事堂は幾度となく、がれきと化した。あの異形の怪物が暗喩するものはいったい、何なのかゴジラとは「亡霊」なのだ、あの戦争で死んだ日本兵の「凝集体」なのだ、と書いたのは評論家の加藤典洋さんだった。南洋の海から怪物が現れるのは、私たちが死者に向き合っていないからではないか。著書『さようなら、ゴジラたち』に記している兵士たちは「尊い祖国の防衛のための犠牲者」だった。同時に「侵略戦争の先兵」でもあった。戦後の日本社会は、彼らのこの二つの異なる側面を「消化」できていない。戦後を考え続けた加藤さんはそう訴えた戦没者を奉る靖国神社をめぐって、気になる動きが生じている。自衛官らの集団参拝が相次いで明らかになった。新たな宮司には、海上自衛隊の元海将が就くという。元将官の就任は初めてだそうだ昔の傷口がうずくような、ひどく落ち着かぬ気持ちになる話である。
何がいま、自衛隊と靖国神社の結びつきを強めさせているのか。戦前の体制への回を強く思念しつつ、しかと、その背景に目をこらしたい初代ゴジラは国会議事堂を壊した後、ぐるりと向きを変える。なぜか皇居を活問し、下町へと向かう。加藤さんは書いている。もしも新2たに映画をつくるならば、ゴジラが靖国神社に行くというのはどうか、と。
2024322

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