神無論について
「不可知の雲」(The Cloud of Unknowing)はキリスト教の書物であるが、キリスト教をどの程度代表するかを調べなければならない。「不可知の雲」=キリスト教となれば、これは基礎的論理の誤りとなる(logical fallacy)。
キャサリン先生は日本語をしゃべる。キャサリン先生はアメリカ人である。従って、アメリカ人は皆日本語をしゃべる。こういうのは悪い三段論法である。
神の人格性を抜きにすれば、「不可知の雲」と仏教的思想は似たものと見える。ひいて、キリスト教と仏教は似たものになるであろうか。
けれども、神の人格性は必要条件であるので、ここも基礎的論理の誤りとなる。私はこの文章をコンピュータで書いている。印刷すれば、昔のタイプライタの文章と似たものになる。けれども、コンピュータには電気がないと動かない。キリスト教も神の人格性を抜きにすればキリスト教でなくなる。
Wednesday, March 14, 2007
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