Monday, September 01, 2014

日本教

阿部仲麻呂、「不干斎ハビアンにおける15年間の意義」、日本カトリック神学院紀要、第5号、2014年、158-159頁。

4・最近のハビアン研究Ⅲ一政治イデオロギー論の視点から
 Kiri Paramore,Ideology and Christianity in Japan,Routledge,London & NewYork,2009,pp.230・(キリ・パラモア『日本におけるイデオロギーとキリスト教』)-
一本書は日本人キリスト者の思考傾向をハビアンの著作テクスト(特に『妙貞問答』)を手がかりにして分析している。同時に、『どちりな・きりしたん』や日本におけるイエズス会の信仰教育関連文書や中国におけるマテオ・リッチのキリスト教関連著作の文脈をも参照しながら、ハビアンが生きていた当時の日本人キリスト者の信仰態度を浮き彫りにしている。その際に、16世紀のキリスト教伝来から明治期の政府によるキリスト教弾圧に至るまでの政治的動向のメカニズムが背景として紹介されている。
 パラモアは欧米人の立場で近世および近代の日本社会に特有な政治的状況をキリスト教受容という主題を手がかりにして整理している。往々にして日本人キリスト者は日本という土地の政治状況を客観視しながら捉え直す作業をまったくしないまま安穏と過ごしている場合が多いと思われるが、パラモアの研究は日本人の限界を補いつつ、欧米人にも予想外の反信仰的な社会状況が存在することを知らしめた点が秀逸な成果となっている。まさに、本書は日本人キリスト者の自画像を垣間見るための鏡である。
5.課題
 こうして、ハビアンに関する近年の研究書のいくつかを紹介してきたが、17世紀のハビアンの歩みをとおして、日本人によるキリスト教的信仰理解の心性(心のもちかたの傾向性)を垣間見ることとなる。以下の三つの段階が日本人独自の信仰理解の心性として浮上してくることだろう。

 ①もともと仏教の立場で生きていた日本人がキリスト教の世界に入る場合に、いつまでもキリスト教には馴染めないままであると実感し、居心地の悪さを身に覚える。

 ②その後、仏教からキリスト教へと改宗した日本人が、長期間、キリスト教の世界で生きているうちに、もともとの仏教とは異質な思考パターンを身につけて、もはや仏教的な世界観とは異なる物の見方をするようになってゆく。

 ③結局は、どちらの世界にも入り込めていないという「ダブルパインド」の宙ぶらりんの状態で、日本人は苦しみを身に覚える。

 上に述べたような三段階の流れを経て、自らの立ち位置をどうするかで悩みつづけた日本人の心の葛藤のメカニズムと適正な対処の仕方に関して論じることが今後の課題となる。

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