Saturday, September 08, 2018

岩下壮一 カトリックの信仰 読書ノート

岩下壮一 カトリックの信仰 読書ノート

p、251-252 プラトン 神の言葉 啓示の必要性

p、252 パスカル 原罪について

p、273 文化の発展は人智を啓発するに相違ないが、またそれだけ生活を複雑にするから、人間相互の理解を必ずしも促進しない。現代における相矛盾せる人生観、世界観の対立と、その宣伝性がこの事実を明らかに証明している。そうして批判力のない大衆は、結局事理の是非は措いて声を高くして叫ぶ者に耳を傾ける。

p、300 和辻哲郎 批判 p、336参照

p、317 我等はハムレットに倣って、かかる実際の歴史をはなれた抽象論者に対して、「この世の中に、汝の弁証法中に夢みられざる多くのことがある」のを告げておきたい。

p、325 「その性に従う、これを道という」(『中庸』)

p、338 この世に賦活した神を与えたのは、ヒステリカルな女の病的想像ではなかったことが分かるであろう。万一、ルナンの小説が真実であったならば、マグダラのマリアの方が、キリストより遥かに偉大な宗教的天才であらねばならぬはずである。それでルナンの唯一の失策は、マグダラのマリア伝を書く代わりに、イエズス伝を書いたことになる。

p、353 キリスト教は歴史的事実である。何人もこれを無視したり、否定したりすることはできない。その根源に神人イエズス・キリストを認めれば、凡ては難なく説明される。そうではないと一切、訳がわからなくなる。アウグスティヌス曰く、「万一その源に奇蹟がなくてキリスト教が成立したのなら、奇蹟なしにキリスト教が成立したという事自身が、すべての奇蹟以上の大奇蹟である」と。

p、354以下 内村門下

p、369 アウグスティヌス 「汝(の協力)なくして汝を造り給える神は汝(の協力)なしには汝を義とし給わず」(Qui ergo fecit te sine te, non te justificat sine te)

p、633 書籍には口が無いかた邪魔にはならぬ。

p、633-637 無教会主義

p、639 Lessing, If God were to hold all Truth concealed in his right hand, and in his left only the steady and diligent drive for Truth, albeit with the proviso that I would always and forever err in the process, and offer me the choice, I would with all humility take the left hand, and say: Father, I will take this one—the pure Truth is for You alone.
• Anti-Goeze (1778)


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