Sunday, November 06, 2022

実態について

 実体(substantia)について  (第2巻第46章を参照)基体


(名称や外形に対する)正体。本体。実質。内容。「~がつかめない」「~のない理論」

〔哲学〕(ousia(ギリシア)・substantia(ラテン)・substance(イギリス))変化する諸性質の根底にある持続的な担い手と考えられるもの。それ自身によって存在するもの。世界ないし事物の実体は古来哲学の重要問題とされ、殊にギリシア哲学・スコラ哲学・デカルト・スピノザにおいて中心的役割を演じた。カントは実体を現象認識のためのカテゴリーに過ぎないと考えたが、現在では、実体ではなく関係を事物の根底に捉える考え方が盛んになっている。(広辞苑、第5版、1998年)

日本において、この哲学用語は使われ始めたのは明治時代、おそらく西周(にしあまね、1829年‐1897年)からであると思われる。飯田隆(いいだ・たかし)氏(「西洋近代音楽の受容との比較からみた近代日本哲学」、2014年、オンライン閲覧)によれば、「日本における哲学用語の成熟は、一般に漠然と思われているように第二次大戦前のことではなく、むしろ戦後の1960年代になってから」である。

---------

知的実体および分離実体

たとえば、テレビ、ラジオ、スマホに「緊急地震速報」が送られてきて、「直ちに避難してください」というメッセージが現れる。日本語の分かる人の場合はメッセージの意味内容は伝わり、理解され、その人の知性の中に特定の思いが存在し始める。

もし、不手際で韓国語で送られてきたら、こんなものでしょうか:「긴급 지진 속보를 대피하십시오.」。ハングル語の分から

ない人は意味内容は伝わらない、したがって特定な思いは存在し始めない。

存在するのと存在しないのとでは事情は全く異なります。死活問題になりうる。存在しない場合は、「実体のない」ものになり

ます。存在する場合、肝心なメッセージは伝わり、理解され、重要な行動にもつながる「実体的」ものになる。

物質的には音声や文字として耳や目に存在するが「知的」部分は存在しない。物質的部分と精神的部分はつながっているが、存在の観点から別々である。前者はあっても後者を伴わない場合がある。


No comments: