Thursday, March 28, 2024

日本文化論

_bunka@asahi.com
五口る
人生の贈りものー
2000年以降は、「日本という方法」などで本格的に日本文化論を展開した▶日本は東洋に属して、しかも
海を隔てた列島です。四書五経も仏教も外から入ってきたもので、稲・鉄・漢字・馬も順番に立ち上がってきたのではない。
そういう国なので、編集的な多重性があるだろうと。だから日本をよく見ることによって、世界の文明や文化が見えるだろうという関心を持ちました。
しかし、そんな日本の文化や歴史にもかかわらず、マルクス主義や構造主義、存在論や現象学など西洋の学問の方法で語ろうとしてきたために、説明の付
松岡 正剛
編集工学者
13
多重性の列島 日本は方法の国」
かないものが増えてしまった。 で解明しようとした試みもありいました。なぞらえる。あやか
九鬼周造や鈴木大拙のように西ましたが、トータルには説明で
る。歌舞伎や江戸遊芸では「や
洋的ではない「いき」や「禅」きない。むしろ柳田国男や折口つし」と呼ばれるものです。本
宿夫が試みた民俗学的な日本
来のものを想定はするんだけれ
を、もうちょっとやり直さないども、そこに少し逸脱をかける。
といけないなと考えた。
どうも大日本帝国主義とか神
^本をめぐる言説は、かつ国日本というのは、その本来をては「松岡正剛の右傾化」と受巨大化しすぎてしまう。奥にはけ取られたこともあった>
正体不明だけれども日本が実感
だいたい「日本が大事だ」とされる「何か」はあるかもしれ
いえば、ナショナリズムと思わない。でも、それをたとえば神れがちなのは当然です。しかし様とか天皇に求めるべきではな私が考えていたのは、日本といい。やつさないと、そらさないう国そのものが「方法」であると。そのために方法がある。私ということです。「日本は方法が考えてきた編集という方法
「ロジカル(論理的)ではなく、アナロジカル(類推的)
でありたい」II小山幸佑撮影
の国だ」という確肩は初期からと、日本という方法が重なってあって、だんだんそれを固めていったんです。
いった。最終的には「臓」と言
(聞き手・山崎聡)

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