『声』2000年12月号・巻頭言
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二十一世紀への宣言
アンドレア・ボナツィ
(聖ザベリオ宣教会)
「発想は最初のうち愚かに見えるのでなければ、それに対してあまり期待できない」と言ったのは、相対性理論を発表したアインシュタインである。インターネット上の販売を始めた人から、最近こんなメッセージが届いた。
キールケゴールはキリスト教会を汽車に譬えて、機関車は「永遠のいのちへの憧れ」であるとした。その機関車に引っ張られて教会がもっとも長い旅ができた。ところが、その機関車は今、はずされようとしている。「今や船が司厨員に乗っ取られて、司令塔の拡声器から聞えてくるのは針路のことではなく、明日のメニューだけである」と、キールケゴールは注意してくれた。
世界中の人々は、神殿からの神託を受けるがごとく毎日為替相場の結果を窺いながら生活を決めているのを見るにつけ、世の中は変になった、どこか大事なことが欠けているとしか思えてならない。二十世紀は、かつてない暴力に満ちた世紀であった。また、神を表舞台から積極的に追い出そうとした時代でもあった。やはり、どこかで反省をしないと私達は過去のパターン(あやまち)を繰り返すだけではないか。発想を変えず、日付けが変るだけでどうして新しい時代になりえようか。そんな起りようもない「奇跡」を現代人は信じてしまっているのではなかろうか。
「既知の海岸を見失わないかぎり、新しい大陸を発見できない」(A・ジード)。「彼岸」という発想を失えば、「此岸」だけ見えて旅は始まらない。
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