Thursday, December 27, 2018
Wednesday, December 26, 2018
NYTimes.com: The Uncommon Power of Grace
From The New York Times:
The Uncommon Power of Grace
A revolutionary idea lies at its core: radical equality.
https://www.nytimes.com/2018/12/23/opinion/grace-jesus-christmas-christianity.html
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The Uncommon Power of Grace
A revolutionary idea lies at its core: radical equality.
https://www.nytimes.com/2018/12/23/opinion/grace-jesus-christmas-christianity.html
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Tuesday, December 25, 2018
Saturday, December 15, 2018
Wednesday, December 05, 2018
Sunday, November 25, 2018
ヨハネの黙示録について
ヨハネの黙示録について
H. U. von Balthasar, Teodrammatica, vol. IV
日常生活の中では説明不要のシンボルもたくさん使われている。例えば、「彼の方はまるで観音様だ」と言えば、話題の人が情け深い人であると分かります。「あのキツネめが」と言えば、「ずる賢いやつ」ということになる。黙示録は、私たちの文化とは違う文化圏で生まれたので、説明がないとわからない。また、著者は旧約聖書に精通していて、旧約の内容を独特の仕方で自由自在にシンボルとして利用するので、旧約の知識なしには理解できないことが非常に多いのです。著者は一つのシンボルの上に他のいくつかのシンボルを重ねて用いる。そして、著者は例に満たされて受けた啓示内容をシンボルに込めて表現しているわけですから、同じ霊によらない限り、私たちにはわからないことがある。
自分の信じる信仰を公に生きるのは難しい社会の中で、神が歴史を導き、歴史に現世を超える意味を与えることができるだけでなく、歴史を目的地に導いていかれるという確信のもとで、現実の歴史の出来事をどのように解釈したらいいのか、を教えています。
子羊は勝利者として、歴史全体の主として紹介されると同時に、いつも戦いに向かっていかなければならないという者として描かれている。宣教のパラドックス(19、11以下)。福音宣教は、勝利の宣言と同時に、絶えざる戦いでもある。
ヨハネが見ているヴィジオンは、「天と地の間」におこる。地は全てではない、天もある。また、天は地において神の臨在を示す特権的場である。その場は、空間的というより神学的な場である。6、14で天は「巻物が巻き取られるように消え去る」といことからもわかります。天は神であるとは言われない。天は地上の対局として描かれている。
ヨハネは、地上に生きながら、同時に自分のことを天にある24人の老人の一人として描いている。死ぬ前に、天における自分の役割を語っている。幼きイエスの聖テレジアが天にいる時に地上のために取りなすというように、宣教は天には不要となるが、その重心は天にある(von Speyr)。
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H. U. von Balthasar, Teodrammatica, vol. IV
日常生活の中では説明不要のシンボルもたくさん使われている。例えば、「彼の方はまるで観音様だ」と言えば、話題の人が情け深い人であると分かります。「あのキツネめが」と言えば、「ずる賢いやつ」ということになる。黙示録は、私たちの文化とは違う文化圏で生まれたので、説明がないとわからない。また、著者は旧約聖書に精通していて、旧約の内容を独特の仕方で自由自在にシンボルとして利用するので、旧約の知識なしには理解できないことが非常に多いのです。著者は一つのシンボルの上に他のいくつかのシンボルを重ねて用いる。そして、著者は例に満たされて受けた啓示内容をシンボルに込めて表現しているわけですから、同じ霊によらない限り、私たちにはわからないことがある。
自分の信じる信仰を公に生きるのは難しい社会の中で、神が歴史を導き、歴史に現世を超える意味を与えることができるだけでなく、歴史を目的地に導いていかれるという確信のもとで、現実の歴史の出来事をどのように解釈したらいいのか、を教えています。
子羊は勝利者として、歴史全体の主として紹介されると同時に、いつも戦いに向かっていかなければならないという者として描かれている。宣教のパラドックス(19、11以下)。福音宣教は、勝利の宣言と同時に、絶えざる戦いでもある。
ヨハネが見ているヴィジオンは、「天と地の間」におこる。地は全てではない、天もある。また、天は地において神の臨在を示す特権的場である。その場は、空間的というより神学的な場である。6、14で天は「巻物が巻き取られるように消え去る」といことからもわかります。天は神であるとは言われない。天は地上の対局として描かれている。
ヨハネは、地上に生きながら、同時に自分のことを天にある24人の老人の一人として描いている。死ぬ前に、天における自分の役割を語っている。幼きイエスの聖テレジアが天にいる時に地上のために取りなすというように、宣教は天には不要となるが、その重心は天にある(von Speyr)。
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Saturday, November 24, 2018
Lonergan, Method p. 341
Lonergan, Method p. 341
ルソー的桃源郷(とうげんきょう)Arcadia
Apophatic theology 否定神学
Kataphatic theology 肯定的神学
Analogical theology 類比的神学
否定、肯定、優越
イコノクラスム(英語: iconoclasm, ギリシア語: εικονομαχία)とは、宗教的に崇められる画像を破壊する運動である[1](英語の意味においては「悪習の打破」等の他の意味も含意されるが[1]、本項では「破壊運動」の語義に当たる事項のみを扱う)。聖像破壊運動(せいぞうはかいうんどう)ともいう。
キリスト教で有名なイコノクラスムには、東ローマ帝国におけるイコノクラスムと、宗教改革時に西ヨーロッパで起こったビルダーシュトゥルム(絵画嵐)がある。場合によってはイコノクラスムと言えば、東ローマ帝国において8世紀から9世紀にかけて行われたものを特に指すことがある[2]。「偶像破壊」というとキリスト教の運動を中心としていうこともあるが、包括的に宗教的な「偶像」の破壊を指すこともある。
不可知の雲(The Cloud of unknowing)
「不可知の雲(The Cloud of unknowing)」は、14世紀末中世の英国で書かれた瞑想のガイドブックあるいは指導書である。かなり割り切って言えば、瞑想のハウツー本である。
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ルソー的桃源郷(とうげんきょう)Arcadia
Apophatic theology 否定神学
Kataphatic theology 肯定的神学
Analogical theology 類比的神学
否定、肯定、優越
イコノクラスム(英語: iconoclasm, ギリシア語: εικονομαχία)とは、宗教的に崇められる画像を破壊する運動である[1](英語の意味においては「悪習の打破」等の他の意味も含意されるが[1]、本項では「破壊運動」の語義に当たる事項のみを扱う)。聖像破壊運動(せいぞうはかいうんどう)ともいう。
キリスト教で有名なイコノクラスムには、東ローマ帝国におけるイコノクラスムと、宗教改革時に西ヨーロッパで起こったビルダーシュトゥルム(絵画嵐)がある。場合によってはイコノクラスムと言えば、東ローマ帝国において8世紀から9世紀にかけて行われたものを特に指すことがある[2]。「偶像破壊」というとキリスト教の運動を中心としていうこともあるが、包括的に宗教的な「偶像」の破壊を指すこともある。
不可知の雲(The Cloud of unknowing)
「不可知の雲(The Cloud of unknowing)」は、14世紀末中世の英国で書かれた瞑想のガイドブックあるいは指導書である。かなり割り切って言えば、瞑想のハウツー本である。
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Monday, November 19, 2018
晴佐久昌英、福音宣言 読書ノト
晴佐久昌英、福音宣言 読書ノート
p、3 宣言されて初めて福音は福音となり、宣言して初めて福音を福音にできる。
p、102 名のある歌手が平和運動をしたり、福祉活動に協力したりするこちがあり、それ自体はすばらしいこちだし大いにやるべきことであろうが、もしもその人が歌を歌わなくなったならば、その人を歌手と呼べるだろうか。その人が本当に人の心を動かす魂の歌を歌う歌手であるからこそ運動や活動に携わる意味も生まれてくるのであって、活動を共にする仲間たちの期待と信頼もそこからうまれてくるのではないか。
p、142 音楽
p、162 宗教多元論。すべてを相対的に俯瞰(ふかん)しようとする欲望は、結局は「かみのようになれるぞ」という悪の誘惑であり、人間の経験と観念ですべてを支配しようとする傲慢である。
p、166 洗礼。生まれてからずっと親に愛されてきた子どもが物心ついてから親の愛を理解するように、もとより神の子であるのに気付いていなかった人が、自らが神の子であることに目覚める。新たに生まれる。
p、171 赤ん坊が生まれるのは何らかの資格を満たしているからでも自ら願ったからでもなく、ただ親の愛と望みによるものであるように、幼児洗礼は無条件なる恩寵による誕生を過不足なく表す秘跡である。
p、178 現代社会は、今こそ福音を求めているし、教会の秘跡に潜在的に憧れている。…いまだにこの秘跡の喜びの知られていない日本においては、福音宣言の怠惰についてはどんな言い訳も空しい。
p、194 いくつもの宗教のうちのひとつの宗教の教えを「布教」するような相対的な活動ではなく、すべての人にとって救いとなる真理を明確に「宣言」するという絶対的な奉仕であることも、理解すべきだろ。
p、218 友人が「私は絵を信じる。自分は美術に救われ、絵画こそいのちと思って生きてきたし、実際に良い絵もたくさん描いてきた」と言っているからといって、「音楽はすばらしい、音楽で魂は癒される、ぜひこの曲を聴いてほしい」ということに何か問題があるだろうか。
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p、3 宣言されて初めて福音は福音となり、宣言して初めて福音を福音にできる。
p、102 名のある歌手が平和運動をしたり、福祉活動に協力したりするこちがあり、それ自体はすばらしいこちだし大いにやるべきことであろうが、もしもその人が歌を歌わなくなったならば、その人を歌手と呼べるだろうか。その人が本当に人の心を動かす魂の歌を歌う歌手であるからこそ運動や活動に携わる意味も生まれてくるのであって、活動を共にする仲間たちの期待と信頼もそこからうまれてくるのではないか。
p、142 音楽
p、162 宗教多元論。すべてを相対的に俯瞰(ふかん)しようとする欲望は、結局は「かみのようになれるぞ」という悪の誘惑であり、人間の経験と観念ですべてを支配しようとする傲慢である。
p、166 洗礼。生まれてからずっと親に愛されてきた子どもが物心ついてから親の愛を理解するように、もとより神の子であるのに気付いていなかった人が、自らが神の子であることに目覚める。新たに生まれる。
p、171 赤ん坊が生まれるのは何らかの資格を満たしているからでも自ら願ったからでもなく、ただ親の愛と望みによるものであるように、幼児洗礼は無条件なる恩寵による誕生を過不足なく表す秘跡である。
p、178 現代社会は、今こそ福音を求めているし、教会の秘跡に潜在的に憧れている。…いまだにこの秘跡の喜びの知られていない日本においては、福音宣言の怠惰についてはどんな言い訳も空しい。
p、194 いくつもの宗教のうちのひとつの宗教の教えを「布教」するような相対的な活動ではなく、すべての人にとって救いとなる真理を明確に「宣言」するという絶対的な奉仕であることも、理解すべきだろ。
p、218 友人が「私は絵を信じる。自分は美術に救われ、絵画こそいのちと思って生きてきたし、実際に良い絵もたくさん描いてきた」と言っているからといって、「音楽はすばらしい、音楽で魂は癒される、ぜひこの曲を聴いてほしい」ということに何か問題があるだろうか。
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Wednesday, November 07, 2018
A contextual look at the Heisei Era | The Japan Times
A contextual look at the Heisei Era | The Japan Times: To lament the 'fall of Japan' during the Heisei Era, as some pessimists do, misses the big picture.
Seoul moves the goalposts yet again | The Japan Times
Seoul moves the goalposts yet again | The Japan Times: If the South Koreans remain obsessed with the past and do not respect the rule-based international system, they are committing international political suicide.
Monday, October 29, 2018
希望と音楽 (Timothy Radcliffe ティモシー・ラドクリフ)
希望と音楽 (Timothy Radcliffe ティモシー・ラドクリフ)
マルコ福音書によると、イエスは最後の晩餐が終わると、「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。」(14、26)。賛美の歌とは、「ハレル」の第2部のこと、つまり詩篇113〜118。
ハレルヤは、ヘブライ語由来の言葉で、「神をほめたたえよ」の意 。この単語は「讃える、賛美する」を意味する動詞ヒッレールからの派生名詞で、「賛美」を意味する。この動詞の複数命令形ハレルーに神の名ヤハウェを短縮したヤーを付した形がハレルヤ。「ヤハ(ヤハウェ)」を「ハレル(ほめたたえよ)」)。ラテン語では、アレルヤ。
「神のいつくしみは永遠」(118、1〜4)は何回も繰り返される。
イエスは、受難に向かうにあたって、賛美の歌を歌った。
・殉教者は歌いながら死んだ。長崎の殉教者もそうです。十字架に架けられ槍に刺されて死んでいった彼らは、実は殉教の瞬間、賛美歌を歌っていたのだそうだ。西坂のレリーフはその瞬間を表現している。
・2015年、エジプトのコプト教会(キリスト教)に所属する21人のエジプト人が、リビアの海岸で、イスラム国の兵士によって首を斬られて、処刑される時も、彼らは歌っていました。
・ドミニコ会の習慣として、修道士が死ぬ間際に、共同体は全員、ベッドのもとを囲んで、サルベレジーナを歌うそうです。本人は、目をあけて、「まだ早すぎるではないか」という場合もある。
・ティモシー・ラドクリフ師は、自分のお父さんが死んでいるときに、エルサレムから駆けつけて、父親に聞いた、何かしてほしいことありますか。ウオークマンを持ってきてほしい。モーザルトのレクイエムと
『十字架上での最期の七つの言葉』(Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am kreuze)は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1786年に作曲した管弦楽曲。同じ趣向のハインリヒ・シュッツの『十字架上での七つの言葉』と並んで知られる。原曲は管弦楽曲であるが、後にハイドン自身の手によって、弦楽四重奏版とオラトリオ版が編曲されており、さらにハイドンが監修したクラヴィーア用の編曲版がある。
歌と音楽によってのみ、死の怖い沈黙を前にして、希望を表現するすることはできる。
・2015年、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(English National Opera、ロンドンを拠点とするイギリスのオペラ・カンパニー)の依頼によって作られたオペラがある。ストリーは、アメリカ同時多発テロ事件、2001年9月11日にニューヨークである。テロは歌劇の題材になれるか。
炎上するワールドトレードセンター・ツインタワーに取り残された人々を救出すべくある警備員は44階から降りようとする人々を励ますために、歌を歌っていたエピソードがある。この人はベトナム戦争のベテランで、戦争の時にも、砲撃される中で、部下を励ますために歌っていた。
タワーの中から、家族に最後の電話した人々は、言う言葉に困って、歌を歌っていた。
・朝日新聞の記事、2015年。イラク、不屈のタクト 演奏続ける国立交響楽団
過激派組織「イスラム国」が勢力を広げ、混乱が続くイラクで、国立交響楽団が「音楽による連帯」をめざして活動を続けている。テロの脅威を乗り越え、1月に開いた定期演奏会には、1千人を超える聴衆が集まった。
イスラム教スンニ派やシーア派、キリスト教、クルド人。様々な背景を持つ団員の奏でる音色が、ひとつの指揮棒の下で共鳴した。
それでもワスフィさんが祖国で活動を続けるのは、「前向きなエネルギーは暴力に必ず勝てる」と信じるからだ。「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる」。国難を、指揮棒1本で戦い抜く覚悟を決めている。(バグダッド=渡辺淳基)
・ドミトリー・ショスタコービッチ(1906-1975) 交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」というのがある。
そしてレニングラード。
1942年7月上旬に楽譜が届きましたがレニングラードでは、食料も不足していましたが、紙や鉛筆、ペンも不足していました。楽譜が届いてからそれらも必死に集められ、
模写係の一団が昼夜を徹してパート譜を用意しました。リハーサルが始まったのが7月下旬。レニングラード市内に残っていた演奏家だけでは、足りないので戦場にいた演奏家たちも呼び戻されました。食糧難でしたが、市民は演奏家への特別な配給を認めました。
こんな非常時に音楽を演奏している場合か、という声もありましたが、非常時だから音楽が必要なんだという声が圧倒しました。人々は、食料に飢えていましたが、音楽にも飢えていたのです。8月9日、ホールは超満員になりました。入れなかった人のために拡声器を使いレニングラード全市に流されました。その音楽は、レニングラードを包囲しているドイツ兵にも届きました。ドイツ軍のレニングラード戦線司令官は、演奏中は戦闘の中止を命じ、
かれらドイツ兵士もこの演奏を聴きました。もしかしたら、いやきっと包囲するドイツ兵の中にこの曲を聴きながら、ナチス・ドイツの愚かしさを呪っっていた兵士もいたことでしょう。演奏が終わったら、また戦闘が始まりました。そしてこのレニングラード初演から約1年半後の1944年1月18日に、レニングラード包囲戦は、ドイツ軍の敗退によって終わるのでした。
歌を歌う、音楽が演奏されることはクリスチャンの生活の普通の姿であるが、
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マルコ福音書によると、イエスは最後の晩餐が終わると、「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。」(14、26)。賛美の歌とは、「ハレル」の第2部のこと、つまり詩篇113〜118。
ハレルヤは、ヘブライ語由来の言葉で、「神をほめたたえよ」の意 。この単語は「讃える、賛美する」を意味する動詞ヒッレールからの派生名詞で、「賛美」を意味する。この動詞の複数命令形ハレルーに神の名ヤハウェを短縮したヤーを付した形がハレルヤ。「ヤハ(ヤハウェ)」を「ハレル(ほめたたえよ)」)。ラテン語では、アレルヤ。
「神のいつくしみは永遠」(118、1〜4)は何回も繰り返される。
イエスは、受難に向かうにあたって、賛美の歌を歌った。
・殉教者は歌いながら死んだ。長崎の殉教者もそうです。十字架に架けられ槍に刺されて死んでいった彼らは、実は殉教の瞬間、賛美歌を歌っていたのだそうだ。西坂のレリーフはその瞬間を表現している。
・2015年、エジプトのコプト教会(キリスト教)に所属する21人のエジプト人が、リビアの海岸で、イスラム国の兵士によって首を斬られて、処刑される時も、彼らは歌っていました。
・ドミニコ会の習慣として、修道士が死ぬ間際に、共同体は全員、ベッドのもとを囲んで、サルベレジーナを歌うそうです。本人は、目をあけて、「まだ早すぎるではないか」という場合もある。
・ティモシー・ラドクリフ師は、自分のお父さんが死んでいるときに、エルサレムから駆けつけて、父親に聞いた、何かしてほしいことありますか。ウオークマンを持ってきてほしい。モーザルトのレクイエムと
『十字架上での最期の七つの言葉』(Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am kreuze)は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1786年に作曲した管弦楽曲。同じ趣向のハインリヒ・シュッツの『十字架上での七つの言葉』と並んで知られる。原曲は管弦楽曲であるが、後にハイドン自身の手によって、弦楽四重奏版とオラトリオ版が編曲されており、さらにハイドンが監修したクラヴィーア用の編曲版がある。
歌と音楽によってのみ、死の怖い沈黙を前にして、希望を表現するすることはできる。
・2015年、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(English National Opera、ロンドンを拠点とするイギリスのオペラ・カンパニー)の依頼によって作られたオペラがある。ストリーは、アメリカ同時多発テロ事件、2001年9月11日にニューヨークである。テロは歌劇の題材になれるか。
炎上するワールドトレードセンター・ツインタワーに取り残された人々を救出すべくある警備員は44階から降りようとする人々を励ますために、歌を歌っていたエピソードがある。この人はベトナム戦争のベテランで、戦争の時にも、砲撃される中で、部下を励ますために歌っていた。
タワーの中から、家族に最後の電話した人々は、言う言葉に困って、歌を歌っていた。
・朝日新聞の記事、2015年。イラク、不屈のタクト 演奏続ける国立交響楽団
過激派組織「イスラム国」が勢力を広げ、混乱が続くイラクで、国立交響楽団が「音楽による連帯」をめざして活動を続けている。テロの脅威を乗り越え、1月に開いた定期演奏会には、1千人を超える聴衆が集まった。
イスラム教スンニ派やシーア派、キリスト教、クルド人。様々な背景を持つ団員の奏でる音色が、ひとつの指揮棒の下で共鳴した。
それでもワスフィさんが祖国で活動を続けるのは、「前向きなエネルギーは暴力に必ず勝てる」と信じるからだ。「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる」。国難を、指揮棒1本で戦い抜く覚悟を決めている。(バグダッド=渡辺淳基)
・ドミトリー・ショスタコービッチ(1906-1975) 交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」というのがある。
そしてレニングラード。
1942年7月上旬に楽譜が届きましたがレニングラードでは、食料も不足していましたが、紙や鉛筆、ペンも不足していました。楽譜が届いてからそれらも必死に集められ、
模写係の一団が昼夜を徹してパート譜を用意しました。リハーサルが始まったのが7月下旬。レニングラード市内に残っていた演奏家だけでは、足りないので戦場にいた演奏家たちも呼び戻されました。食糧難でしたが、市民は演奏家への特別な配給を認めました。
こんな非常時に音楽を演奏している場合か、という声もありましたが、非常時だから音楽が必要なんだという声が圧倒しました。人々は、食料に飢えていましたが、音楽にも飢えていたのです。8月9日、ホールは超満員になりました。入れなかった人のために拡声器を使いレニングラード全市に流されました。その音楽は、レニングラードを包囲しているドイツ兵にも届きました。ドイツ軍のレニングラード戦線司令官は、演奏中は戦闘の中止を命じ、
かれらドイツ兵士もこの演奏を聴きました。もしかしたら、いやきっと包囲するドイツ兵の中にこの曲を聴きながら、ナチス・ドイツの愚かしさを呪っっていた兵士もいたことでしょう。演奏が終わったら、また戦闘が始まりました。そしてこのレニングラード初演から約1年半後の1944年1月18日に、レニングラード包囲戦は、ドイツ軍の敗退によって終わるのでした。
歌を歌う、音楽が演奏されることはクリスチャンの生活の普通の姿であるが、
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Friday, October 26, 2018
Saturday, October 06, 2018
Wednesday, October 03, 2018
G. K. Chesterton
G. K. Chesterton
Truth can understand error, but error cannot understand truth.
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Truth can understand error, but error cannot understand truth.
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Saturday, September 29, 2018
Creation
Creation
Creation is not a real process, but only interprets the structure of the universe in a temporal scheme.
(H. G. Gadamer, Truth and Method, Part III, 5, 2 B)
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Creation is not a real process, but only interprets the structure of the universe in a temporal scheme.
(H. G. Gadamer, Truth and Method, Part III, 5, 2 B)
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Sunday, September 23, 2018
Definizioni di Dio
Rudolf Karl Bultmann (1884-1976) dice che Dio è «la
realtà che determina il tutto (die Alles bestimmende Wirklichkeit)» (Welchen
Sinn hat es, von Gott zu reden?, 1925)
Gott als Geheimnis der Welt: zur Begründung der Theologie des Gekreuzigten im Streit zwischen Theismus und Atheismus 1977
Eberhard Jüngel
Gott als Geheimnis der Welt: zur Begründung der Theologie des Gekreuzigten im Streit zwischen Theismus und Atheismus 1977
Eberhard Jüngel
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