Sunday, August 17, 2008

Charles Margrave Taylor

http://www.tku.ac.jp/~juwat/blog/book_blog/2008/05/post_68.html

1992. The Malaise of Modernity, being the published version of Taylor's Massey Lectures. Reprinted in the U.S. as The Ethics of Authenticity. Harvard University Press ★



チャールズ・テイラー『<ほんもの>という倫理』産業図書
・「ほんもの」は英語では「オーセンティシティ」という。「リアリティ」とはまた違う意味で、アカデミックな世界ではよくつかわれることばだ。たとえば、「オーセンティック」なロック音楽、「ほんもの」のミュージシャンといった言い方がされる。それが、じぶんでも気にいったものなら、ほとんど疑問ももたずに、すぐに同調したくなる。ここで「オーセンティック」や「ほんもの」という評価の根拠となるのは、多分、音楽性や芸術性、あるいは文学性といったものだ。優れているからそう評価されるのだから、そこには当然、「名誉」や「称賛」の気持がともなうことになる。

・一方で、「ほんもの」にはかならず、その対比として、そうでないものが含意されていて、そこには、いんちき、偽物、屑といったことばがつかわれる。何かを高く評価するためには、低い評価のものとの比較が必要で、そうした方がぜったいわかりやすいし、説得力もあるからだ。
・だから、このことばを使うことにはある種の抵抗やためらいもある。たとえばポピュラー音楽でいえば、そもそもその価値はクラシック音楽との比較の上で、たえず偽物やがらくたとして蔑まれてきたという歴史をもっている。ロックは、その価値を転倒させた音楽だが、今度は、それをほんものとして、別の音楽を屑だと批判するようになった。その気持はわかるし、ぼくも、そう言いたくなることがしょっちゅうある。けれども、そこには何かすっきりしない、わだかまりものこってしまう。

・テイラーは、その点を「名誉」と「尊厳」の違いとして説明する。つまり、「名誉」は社会階層を基礎にして感じられるものだが、「尊厳」は、普遍主義的で平等主義的な前提にたつというのである。現在の社会通念では、階級や階層は差別意識の土台として非難され、「人間の尊厳」はすべての人に平等に分けもたれたものとして受けとめられている。だから、何かを指して「ほんもの」だとか「オーセンティック」だということに感じるわだかまりは、そうではないものの「尊厳」を否定するニュアンスを自覚するからだ、ということになる。
・テイラーは、「人間の尊厳」を否定せずに、なおかつ何かを、誰かを「オーセンティック」だとするやり方はあるという。彼によれば、「オーセンティシティ」は、じぶんよりも大きな社会、世界、宇宙といったところに立ったときに考えられる「重要な問いの地平」、あるいは「道徳的理想」を基準にして判断されるものである。すべての人の権利や尊厳を認める「平等」という原則は、基本的には相対主義的なものだが、現代のそれは「重要な問いの地平」や「道徳的理想」をきれいに捨象してしまっているから、人それぞれの多様性や雑多なものごとを横並びで共存させて、尊重しているふうを装っているだけだ、ということになる。

・だとすると、ロック音楽における「オーセンティシティ」は、まず第一に、この社会に対する批判精神の有無によって判断されるということになるだろう。それがなければ、どれほどの人気に支えられようと、音楽性が高かろうと、それは「ほんものではない」と言えるはずである。

・テイラーは「[自己の]外部からやってくる道徳的な要請や、他者との真剣な関わり合い」を軽視、あるいは認めずに「自己達成を人生の主要な価値とする」傾向を「ナルシシズムの文化」と呼ぶ。彼によれば、これこそが、ほんものという倫理を陳腐なものにした元凶である。「ナルシシズム的な自己達成」は何より自由を主張して、関心を自分にのみ向けがちになる。それは平等を基盤にした「人間的尊厳」に支えられる生き方だが、同時に、自分を他者より優った者、つまり、自己の「ほんもの性」をたえず確認したがる存在でもある。
・現在の消費社会、とりわけ「ブランド」イメージは、このような欲望に訴える。自己の「アイデンティティ」は「重要な他者がわたしのうちに承認しようとするアイデンティティとの対話のなかで、またときには闘争のなかで、自分のアイデンティティを定義」してはじめて、自他の間で了解されるものになるが、「イメージ」を消費してまとう限りは、そのような面倒なやりとりは必要ない。



人生の意味を追求し、じぶん自身を有意義な仕方で定義しようとする行為者は、重要な問いの地平に生きねばなりません。そしてそれこそは、自己達成にひたすら邁進して社会や自然の要求と対立する現代文化の流儀、歴史を隠蔽し、連帯の絆を見えなくさせる現代文化の流儀では、やろうにも自滅するほかないことなのです。


・何か、誰かの「ほんもの性」を問うことは、当然、自分に跳ね返って、自分の「アイデンティティ」を見つめなおせと問い詰めてくる。その自覚がないところでは、「ほんもの論議」はまた、無益に消費されるものでしかない。この意識は、世界中のどこより、現在の日本人に欠けているもののように思う。

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日本語での紹介文献としては

中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム』勁草書房 2007
田中智彦「両義性の政治学――チャールズ・テイラーの政治思想」 『早稲田政治公法研究』、第53号、1996年12月、293-323頁、 第55号、1997年8月、213-244頁

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チャールズ・テイラー博士、京都賞を受賞

京都賞は稲盛財団が創設した「科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々の功績を讃える国際賞」である。
1985年に始まり、今年が24回目。
チャールズ・テイラー博士の受賞理由は「多様な文化の共存を目指す社会哲学」の構築に貢献したというもの。
「全体論的個人主義」の立場から「共同体主義」と「多文化主義」を唱え、歴史・伝統・文化を異にする人間同士が、複合的アイデンティティを保持しつつ幸福に共存しうる社会哲学を構築し、人類社会の進むべき方向を自らの人生を通して示してきたという説明が付されている。



http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k24_c_charles/ctn.html

第24回(2008年)受賞者 / 思想・芸術部門 / 思想・倫理
チャールズ・マーグレイヴ・テイラー (Charles Margrave Taylor)
カナダ / 1931年11月5日
哲学者
マギル大学 名誉教授

「多様な文化の共存をめざす社会哲学の構築」
「全体論的個人主義」の立場から「共同体主義」と「多文化主義」を唱え、歴史・伝統・文化を異にする人間同士が、複合的アイデンティティを保持しつつ幸福に共存しうる社会哲学を構築し、人類社会の進むべき方向を自らの人生を通して示してきた。

|プロフィール|業績|プレス資料|
業績
多様な文化の共存をめざす社会哲学の構築
チャールズ M.テイラー博士は、「全体論的個人主義」の立場から、「共同体主義」と「多文化主義」を唱え、歴史・伝統・文化を異にする人間同士が、複合的アイデンティティを保持しつつ、幸福に共存しうる社会哲学を構築し、その実現に向けて努力してきた傑出した哲学者である。

博士は、原子論的な人間観、方法論的個人主義・行動主義に基づく人間理解や自然主義的な人間科学を批判し、現象学・解釈学や言語ゲーム論を基盤に「哲学的人間学」を立て、人間は価値と目的とをもって行動する「自己解釈する動物」—日常的感情や道徳的直観を言語に分節化し、目的や価値の重要度を主体的に評価して行動する存在—と定義する。博士は、近代の功利主義哲学が価値選択を個人の感情や主観にゆだねている点を批判し、人間は共同体のなかで他者との会話を通じてアイデンティティを確立し、善なること、価値あること、為すべきこと、賛同・反対することを自己決定する枠組みを獲得していく存在であり、社会関係に埋め込まれた自己だとする。

博士は、当代最高と評されるヘーゲル研究を成し遂げ、ルソーやヘルダーの思想を掘り起こし、またガダマーの「地平の融合」や「影響作用史」の思想を導入することにより歴史的文脈のなかに自己の思想を位置づけ、説得力のある社会理論を構築した。重要なのは「承認」の概念であり、それをもとに、「独白的自己」に「対話的自己」を対置し、「絶対的自由」に代えて「状況内の自由」を提示する。そして、人間は他者からアイデンティティを承認されることによってのみ善く生きられること、個人の自律を重視するリベラリズムを実現する条件として、共同体の絆が重要であり、共同体意識が不可欠であることを主張するのである。

テイラー博士の「多文化主義」の基礎にも「承認」概念がある。近代社会におけるアイデンティティは、ときに歪められた承認に依拠するために、抑圧になりやすく、他者から押し付けられた「自己表象」の変更をめざす闘争ともなる。博士は「多様な性格や気質をもつ多数の人間に長く意味の地平を与えてきた諸文化は、たとえわれわれが嫌悪したり拒否すべきものを多くふくむ場合ですら、賞賛と尊重に値するものを確実に含むと想定するのが理にかなう」という原則を提示し、深い多様性を生きる人間の尊厳と、その承認の要求に正当な根拠を与えた。

博士はまた、活動する知識人、市民として、出身国カナダでは少数者の文化的同一性保持の集団的権利の承認を求める政治活動をする一方、グローバルな価値を非西洋社会の具体的条件を考慮しながら追求し、欧米中心主義からの脱却も試みている。博士が一貫して志向してきたのは相互承認に基づく社会であり、人間の物語全体に占める自己の位置が限られ、文化の優劣を決める絶対的尺度からは遠くにいるという自覚のもとに、各人が対話を通じて限定された理解の枠組みを替える相互努力をすることで、よりよき理解をめざす社会である。テイラー博士は、多様な異質の文化の承認に基づく共存に未来を託し、人類社会の進むべき方向を、自らの人生を通して示してきた、卓越した思想家である。

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