Monday, November 17, 2008

音楽とキリスト教  および日本教

「明治維新の和魂洋才によって取り入れられた西洋文明のなかでも、音楽は以前のものを否定し、まったく取って変わるような結果になったものの代表ではないかと思われる。日本クラシック音楽界は追いつけ追い越せで突っ走ってきた。小澤征璽氏がオペラの殿堂、ヴィーン国立歌劇場の総監督に就任したことからも、日本人が西洋音楽を演奏することができるかという実験は一応成功だったと言えるだろう。しかし音楽とは住んでいる家や建築物、衣服、書いている文字、ものの考え方や感じ方、宗教などと切り離して考えられるものではない。西洋音楽を教育されたとしても、それは本当には日本人の他の表現とはあまり密接でない借り物である。宴会や親戚の集まりで、シューベルトの歌曲やオペラのアリアを歌うということはない。お祭りでワルツを踊るということもないのである。だとすれば私たちがもっているのは教養としての音楽の知識、受動的な鑑賞であり、「音楽」そのものではないのである(注1:小泉文夫 『日本の音』 平凡社 1994年 82頁)。」(202頁)

「音楽は国際的言語であるという楽観論が強調されていたが、逆に音楽はよその民族には全然わからないものでもある(注3:小泉文夫・團伊玖磨 『日本音楽の再発見』平凡社2001年 61頁)。(203頁)

「唱歌教育を実施するにあたっては、キリスト教が入ってくるのではないかという大変な危惧があったようである」(210頁)

「日本に西洋音楽が移植された経緯を調べてみると、どういう立場に立っているかで見方は変わってくる。キリスト教側からみれば、キリスト教を受け入れる下地作りとしての賛美歌を歌うための土台、つまりドレミの音感を植えつけることに成功したと言えるし、日本人が唱歌として馴染んできた歌は、賛美歌が元歌になっていて、「きよしこの夜」「いつくしみ深き」など抵抗感なく誰にでも歌われている賛美歌まである。日本にはいくつもオーケストラがあり、キリスト教の宗教曲が好んで演奏されている。だからといってキリスト教化したというわけではない。むしろ西洋音楽とキリスト教の結びつきにはあえて触れず、癒し効果などをもたらすものとして捉えようとしたりする。またこれを邦楽関係者の視点で見れば、嘆かわしい状況であろう。ドレミの音感に塗り替えられてしまったものは、到底元にはもどせない。」(220頁)

「2001年9・11以降、欧米中心の世界観は少しずつではあるが転換してきていると私は感じている。音楽においても芸術としての教養、知識に留まらない、私たちの音楽を、地に足をつけて、再発見していきたいと願っている。」(220頁)

黒川京子、「明治期の西洋音楽の受容」、『キリスト教をめぐる近代日本の諸相』、オリエンス宗教研究所、2008年 所収。

No comments: