Thursday, April 16, 2009

人権思想

「人間の顔を有するものは誰でもそれだけですでに人間たる「使命」と「真価」をもっているのだという「偏見」が出来上がり得た歴史的世界はもともと、ルネッサンスの「普遍的な」、しかしまた「恐るべき人間」にその源をもった単なる人間性の世界、今日おとろえつつあるその世界ではなくて、人間が自己および隣人に対する位置を神人キリストによって測ったキリスト教の世界である。およそヨーロッパ世界のホモー(Homo)をはじめて人間にする形象は、キリスト教徒が神の似すがたとしての自分自身についていだく表象によって根本的に規定されている。したがって、「我々すべて」が人間であるという命題は、キリスト教がストア学派と協同して作り出した人間性に局限される。単純な人間的存在に関するかような歴史的事情は、キリスト教が消滅するに至ってはじめて人間性も問題をふくんだものとなるということから、間接に見てとられる。」(K・レーヴィット、柴田治三郎訳、『ヘーゲルからニーチェへII』、岩波現代叢書、1967年、125頁)

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