Monday, December 21, 2009

塩野 七生 と キリスト教  日本だけ通用する歴史記述

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キリストの勝利―ローマ人の物語ⅩⅣ
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/860b163c60d4cf85124fa68a4d476618

塩野 七生氏の『ローマ人の物語 ⅩⅣ』を読了。ローマがいよいよキリスト教に飲み込まれる4世紀前半から末までの時代を描いている。ローマ皇帝の親キリスト教政策により、他の宗教、それも特にローマ伝来の宗教を排斥する方針が明確になってくる。

 皇帝コンスタンティウス(在位337-61)の時代にまず初めに夜中に家畜を生贄に捧げることの禁止、これに続き日中に行われるのが普通だったローマ伝来の神々に捧げる公式の祭儀と、それに伴う生贄を捧げることも禁止される。違反した者は死罪に処す、と明記された。さらに偶像崇拝を禁じる法も発布され、神殿の閉鎖命令まで出される。“信仰の自由”を謳歌してる現代のわが国から見れば、宗教弾圧以外の何者でもないが、キリスト教が優勢となっていくローマからすれば当然の流れだろう。
 塩野氏はキリスト教振興を目的にした諸政策を3段階に分けている。第一段階は公認する事で他の諸宗教との同等の地位にする、第二段階、キリスト教のみの優遇にはっきりと舵を切る、第三段階はローマ伝来の宗教に他宗教排撃の目標を明確に絞る、だった。

 それにしても、いかにローマが異民族侵入が相次ぎ混迷したにせよ、ローマ伝来の宗教の弱さはどうしたものか。ローマの宗教には専門の聖職者や教典もなかったのだ。それがキリスト教との武装理論にも弱かったのだろうか?インドに関心のある私はどうしてもインドの宗教事情と比較したくなる。インドも中世以来イスラムや近世はイギリスのような一神教徒に支配されながらも、屈せず古来からの伝統文化を守り抜いたのは驚きだ。ローマと違いインドは見事な教典や宗教専門職が健在だったし、膨大な人口と領土もあったが。

 最後の第3章での元老院議場に安置されていた勝利の女神像の撤去をめぐる問題での論戦は実に面白い。撤去反対者シンマクスの訴えで私が気に入った文言を一部抜粋したい。
「貴方(皇帝テオドシウス)に懇願するのは、単なる像の撤去の撤回ではない。幼少の頃に父から教えられたことを、我々も子に教えられる状況に戻して欲しいことなのです。伝統への愛ほど良き生を全うしようと願っている者にとって、偉大なものはない。…人間には誰にでも各人各様の生活習慣があり、各人の必要に応じての信仰する対象がある。…また、理性といえども限界がある。それを補うのに自分たちの歴史を振り返る以上に有効な方法はあるだろうか。

 私には多くの人々にとっての心の糧が、唯一つの神への信仰のみに集約されるのは、人間の本性にとって自然ではないと考えてもいるからです。我々全員は同じ星の下に生きている。我々誰もが同じ天に守られている。同じ宇宙が我々を包んでいる。その下に生きる一人一人が拠って立つ支柱が異なろうと、それがいかほどの問題でありましょうか。唯一つの道のみが、かほども大きな生の秘密を解けるとは思われません」

 これに対するミラノ司教アンブロシウスの反論の一部。
「世界の秘密の探求は、それを創造した唯一神に任せるべきで、自分自身のことにさえも無知な人間に託してよいことではありません。シンマクスは言う。世界の秘密に迫るには一つの道だけでは充分でない、と。だが彼にとっての秘密は、我々キリスト教徒にとっては神の声によって明かされたことによって、もはや秘密ではなくなっているのです。彼らが探求しようと努めていることも、我々には既に神の叡智と真理によって明らかにされている。…キリストへの信仰は無知な魂を救うのではなく、これまでは法によって真実が示されてきたと信じてきた文明が崩壊した後に、その過去の誤りを正す勇気を持つ人々の上に輝くことになるでありましょう」

 論戦に勝ったのは勿論キリスト教徒側。そして勝利の女神像は撤去される。ただ、塩野氏はキリスト教徒でないので司教アンブロシウスへの論評は控えたいと断りながらも、「強引な論法とはしばしば、スタートしたばかりで未だマイナス面が明らかでないからこそ、可能で有効な戦術でもある」とかなり皮肉な感想を記していた。

 元老院議場からの女神像撤廃以降、異教排斥の名の下に次々と勅令が公布される。まず公式な祭儀だけが禁止されていたのが、私的な祭儀も禁止される。ローマ人の家ならどこでも神棚のような、中庭に面した一角に家の守護神や先祖を祭る場所が設けられていたが、取り払うよう強制され、違反すれば死罪。さらに祭壇の前で灯明をともすこと、香を焚くこと、壁面を花飾りで飾ること、神々や先祖に献酒することまでもが禁止される。これらの禁を破った者は高額の罰金が科せられ、罰金は必ず黄金で払うと決められた。
 かくしてキリストは勝利し、ギリシア・ローマの宗教は滅亡する。西欧はキリスト絶対主義の中世に入っていく。

 正確な生没年ははっきりしてないが、16世紀を中心に生涯をおくったと思われるインドの神秘主義者ラッジャブ(Rajjab)はこう歌っている。
―人間の数と同じだけの宗派がある。神の創造はそれほどまでにも多様なのだ。
―各派の祈りは多くの小川にも似て、大海の如きハリ(神)のなかへ共に流れ込む。

 4世紀のローマ人シンマクスのことなど知らなかったのは確かなラッジャブだが、その精神の何と似てるものだろうか。
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http://hisaho.blog35.fc2.com/blog-entry-525.html
塩野七生「ローマ人の物語」よりキリストの勝利
2009,01/06(Tue)
文庫版が待ちきれず新書版で読んだローマ帝国の末期を描いた「キリストの勝利」。
新書版では14巻。高校生の時以来、あれだけ迫害されたキリスト教がなぜ国教になり
中世へと向かったかずっと疑問だった私にとって待望の一冊でした。
この巻では全盛期には「寛容」を最高の美徳とし、おおらかな多神教のもと多種多様な
価値観を認め、敗者からも賞賛を受けたローマが一神教のキリスト教に覆いつくされて
ゆくプロセスを描いています。頭に入れていただきたいのは塩野さんが国家を支配する
宗教(キリスト教)に批判的な立場を取っておられることです。

帝政ローマ初期に迫害されたキリスト教が突然これだけ保護されるようになった理由。
一言でいうと社会の弱体化。不安な世で何かを信仰したくなる人間の性。
これこそがローマ帝国のキリスト教の隆盛の理由です。

3世紀は皇帝が出ては殺されの世紀でペルシャには敗れ、異民族の侵入は繰り返され
国家は疲弊しきっていました。一般市民も公がしてくれない病人や孤児の世話などをする
キリスト教に傾倒するようになり、政治的に優れた感覚を持ったコンスタンティヌスは
元老院と市民に承諾を得た従来の皇帝では政局は安定しないと考え、皇帝の権威を神に
求めようとします。その後の王権神授説の始まりです。神の言葉を伝えるのは聖職者。
こうやって聖職者は皇帝以上の権威を持つようになり時代は中世へとなだれこんでゆきます。
(現代でもキリスト教国の国王が聖職者に戴冠してもらうのはこの伝統に立つものです)

聖職者に権力を牛耳られることを警戒したのかコンスタンティヌスが洗礼を受けたのは
死の直前でした。ところがテオドシウス帝は病気をした30代で早くも洗礼を受けてしまい
以後のローマは教養豊かな高官上がりの司教アンブロシウスが皇帝をも凌ぐ権力を
持つようになります。アンブロシウスの権勢は以下のようなものです。

 (アンブロシウスは)テオドシウスに向かい何人とえいども神から受けた恩恵を忘れることは
 許されないと断固とした口調で強調したのだった。「神から受けた恩恵を忘れることは
 許されない」を言い換えると「誰のおかげて帝位についているのか」である。 
                          (「キリストの勝利」より)

極めつけはギリシャでの暴動を鎮圧した皇帝テオドシウスにアンブロシウスが謝罪を
要求。8ヵ月後公衆の面前で皇帝はこのしたたかな司教に懺悔をすることになります。

 これほどに現世の権力者に対する神の力を誇示したショーもなかった。(略) 
 まるで中世を象徴することの一つと言われる「カノッサの屈辱」を想起させる光景だ。
 (略)その前奏曲は700年も前に始まっていたのであった。
                          (「キリストの勝利」より)

中世ヨーロッパはご存知のようにキリスト教の価値観一辺倒の暗黒時代となります。
異端の名の下に多くの人が火あぶりにされたり十字軍の遠征という一神教の
弊害そのものといった事件も起こります。信教の自由が人権として認められるのは
17世紀の市民革命の時代になってからのことでした。

国家を信頼できなくなり、現世にも自分にも絶望した人間がご利益をもたらしてくれ
そうな強い神にすがるのは洋の東西を問わないのかもしれません。 今でも続く
国家と宗教の問題。疲弊した社会での人間の心。信仰の自由と国家のありかたの問題。
「キリストの勝利」は重いテーマを問いかけています。

この巻では後世「背教者」のレッテルを貼られた皇帝ユリアヌスが非常に丹念な文章で
描かれています。かつてのローマ帝国の寛容性を復活させようとしたユリアヌス。
19ヶ月の短い統治の末、31歳の若さで戦死したこの皇帝の治世が19年であれば
その後の歴史が変わったかもしれないと指摘する塩野さんの視点が斬新でした。

「もし織田信長が勝っていたら、今は日本はキリスト教かもしれない。」

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http://www.sankei.co.jp/enak/2006/dec/kiji/14lifeshionorome.html

塩野七生さん「ローマ人の物語」完結 15年かけ
6月29日(金)   東京朝刊 by 桑原聡
イタリア在住の作家、塩野七生さん(69)の「ローマ人の物語」(新潮社)がついに完結、あす15日に最終巻(第15巻)「ローマ世界の終焉」が発売される。

「ローマ人の物語」に込めた思いを語る塩野七生さん

平成4年、第1巻「ローマは一日にして成らず」の刊行にあたって、《1年に1冊のペースで刊行し、15年で完結する》と“公約”した塩野さんは、この15年間、「ローマ人の物語」に専念、1年の半分を史料の精読、半分を執筆にあて、約束通りゴールにたどり着いた。

「自分の羽根を一本一本抜きながら美しい織物を織り上げていった『夕鶴』のつうのよう。丸裸になった気分がします。しばらく休んで羽根を生やさなければオーブンに入れられそう」と塩野さん。

ローマの歴史といえば、英国人史家ギボン(1737~94年)の「ローマ帝国衰亡史」全6巻が著名だが、同書が扱うのはローマ全盛期の5賢帝の時代(96~180年)から、1453年の東ローマ帝国滅亡までで、ローマの興隆期は描かれていない。

これに対して塩野さんは《なぜローマのみが民族、文化、宗教の違いを超えた普遍帝国を実現しえたのか》という問題意識を持って、前753年のローマ建国から476年の西ローマ帝国滅亡までを描き切った。

《人間とは善悪を併せ持つ存在である》との冷徹な認識に貫かれた塩野さんの叙述は、多くの読者の心をつかみ、単行本14巻の累計発行部数は約220万部、文庫28冊(単行本の10巻まで)は約540万部と、この種の本としては異例の数字を記録している。

塩野七生に聞く
「クールな視点で描けた」
ローマ建国から西ローマ滅亡までを描き切った作家、塩野七生さんの出発点は、素朴な疑問だった。

人類の歴史のなかで、なぜローマのみが、民族、文化、宗教の違いを超えた《普遍帝国》を作り上げることができたのか-。

「だれも私の疑問に答えてくれなかった。だから自分で答えを探そうとしたのです」

納得のゆく答えを出すのに15年の歳月と15巻のボリュームが必要だった。

「手っ取り早く分かりやすいということが、それほど大切なことだとは思いません。歴史とは人間がつくるもの、人間そのもの。複雑な人間の営為を簡単に書くことなど私にはできません。私は叙述は好きですが、解説は大嫌いなんです

塩野さんの視線は、イタリア・ルネサンス期の思想家で「君主論」の著者、マキャベリ(1469~1527年)に通じる。

「ルネサンスとは、1000年もの間キリスト教に導かれてきたが、欧州人の人間性はちっとも向上しないではないか、という問題意識から起こったものです。そこでルネサンス期の人々が注目したのがキリスト教以前の古代ギリシャと古代ローマだったのです。マキャベリは、宗教や哲学によって人間性は向上するものではない、と考えるローマ人のリアリズムに触れて《人間とは何か》を学び、善も悪も併せ持つという人間性の現実を直視したうえで、統治のあり方を考えるようになりました。私がマキャベリにひかれるのは、彼が人間に対してリアリズムに徹したまなざしを持っているからです

ローマは、伝統的に異民族に対して寛容政策をとり、常に制度の見直しを怠らなかった。それは、古代ローマが多神教世界であったことと結びついている。

「キリスト教は、まず天国ありきで、この世は仮の世という認識です。それじゃあ本気でこの世をよくしようとは思わないでしょう。多神教のローマでは、死者の国はありますが、それは天国ではありません。それゆえ、いま生きている世界をよりよくしようという強い意志が生まれたのだと思います。ローマ人は人間という複雑な存在をしっかと見据えたうえで制度を作り出し、メンテナンスと見直しを怠りませんでした」

ところで、キリスト教徒ではない日本人というポジションは叙述にどんな影響を与えたのだろう。

「ものを書くとき、自分が日本人だと意識したことはありません。しかし、欧州の史家がローマ史を書こうとすれば、どうしても共和制を高く、帝政を低く評価してしまうでしょう。まったく別の文明圏に生まれ育った私は、クールに描くことができたと思います。私は政治とは結果だと考えます。その視点から見れば、帝政が悪いものだとはいえないし、キリスト教に対しても敵ながらあっぱれと思うことは多いですよ。こういう視点は、欧州の史家にはないかもしれませんね」

西欧的価値観が壁に突き当たっているいま、「ローマ人の物語」は輝きをいっそう増す。なぜなら「共生」の手がかりがここにあるからだ。

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