Thursday, June 20, 2013

大人の日曜学校  3

ビタミン(英語: vitamin)は、生物の生存・生育に微量に必要な栄養素のうち、炭水化物・タンパク質・脂質以外の有機化合物の総称である(なお栄養素のうち無機物はミネラルである)。
ある物質がビタミンかどうかは、生物種による。たとえばビタミンCはヒトにはビタミンだが、多くの生物にはそうではない。ヒトのビタミンは13種が認められている。本項では主にヒトのビタミンについて解説する。また、ビタミンとは本質的に異なるが、ビタミン様物質についても触れる。
ビタミンは機能で分類され、物質名ではない。たとえばビタミンAはレチナール、レチノールなどからなる。
ビタミンはほとんどの場合、生体内で合成することができないので、主に食料から摂取される。ビタミンが不足すると、疾病が起こったり成長に障害が出たりする(ビタミン欠乏症)。日本では厚生労働省が日本人の食事摂取基準によってビタミンの所要量を定めており、欠乏症をおこさない必要量と、尿中排泄量の飽和値によって所用量を見積っている。成人の場合、1日あたりの必要摂取量はmgからμgの単位で計る。


発見の歴史[編集]

ビタミンは通常の食事を取っていれば必要量が摂取できる。単調な食事に縛られた時、ビタミン不足による障害が発生するが、長い間それは単なる病気と見られていた。
ビタミン発見の発端は、軍隊が今ではビタミン不足による障害と知られている壊血病(かいけつびょう、英: scurvy、独: Skorbut)や脚気(かっけ、英: beriberi)に集団でかかり、当時の軍医らがこれらの病気の撲滅を狙って研究したことから始まる。

ビタミンは通常の食事を取っていれば必要量が摂取できる。単調な食事に縛られた時、ビタミン不足による障害が発生するが、長い間それは単なる病気と見られていた。
ビタミン発見の発端は、軍隊が今ではビタミン不足による障害と知られている壊血病や脚気に集団でかかり、当時の軍医らがこれらの病気の撲滅を狙って研究したことから始まる。1734年、J・G・H・クラマーは壊血病にかかるのはほとんど下級の兵卒であり、士官らはかからないことに気づいた。士官らは頻繁に果物や野菜を食べており、下級の兵卒らは単調な食事であることから、壊血病を防ぐために果物や野菜を取ることを勧めた。また、ジェームズ・リンドは 1747年、イギリス海軍で壊血病患者を幾つかのグループに分け異なる食事を与える実験を行った。その結果、オレンジやレモンの柑橘系果物が壊血病に有効であることを発見した。しかしこれらの発見は黙殺され、結局壊血病は 1797年にイギリス海軍において反乱が起き(スピットヘッドとノアの反乱)、その要求の一つにレモンジュースが入り、それが受け入れられるまでイギリス海軍を悩ませた(ただし、イギリス海軍本部は安価なライムを代用した)。


物質としてビタミンを初めて抽出、発見したのは鈴木梅太郎(すずき うめたろう)であった。彼は1910年、米の糠(ぬか)からオリザニン(ビタミンB1 (vitamin B1)を抽出し論文を発表した。ところが日本語で発表したため世界に広まらなかった。 1911年には、カジミール・フンク(ポーランドの生化学者。ビタミンの発見者、命名者として知られる。)がエイクマンにより示唆された米ヌカの有効成分を抽出することに成功した。1912年、彼は自分が抽出した成分の中にアミンの性質があったため、「生命のアミン」と言う意味で "vitamine" と名付けた。このとき発見されたのは、ともにビタミンB1(チアミン)である。

-------
強力粉のあるスパゲッティ、そば粉のあるそば、読める本、食べられる食べ物
生きた動物
--------

No comments: