Monday, March 06, 2017

Evangelii gaudium

85 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>不毛な悲観主義に対する「いいえという返事」




85.熱意と大胆さを窒息させる最も深刻な誘惑のうちの一つは、文句の多い悲観主義者、また酢に漬けられたような顔の不快感に満ちた人にわたしたちを変える敗北の意識です。だれも最初から勝利を全く信じられないなら戦い始めることはできません。信頼することなく始める人は最初から半分戦いに負けており、そのタレントを地に埋めてしまいます。自分のもろさに関する痛みを伴う自覚があっても、敗北宣言をせずに前進し、主が聖パウロに告げた「わたしの恵みはあなたに充分である。なぜならわたしの強さは弱さのうちに示されるからだ」(Ⅱコリ129節)という言葉を思い出さなければなりません。キリスト者の勝利はいつでもひとつの十字架にあります。けれど同時に勝利の旗であり、悪との戦いを前に戦いに備えた温もりを伴う十字架なのです。敗北の悪い霊は、落ち着かず自己中心的な不信感の産物である、時が来る前に麦を毒麦から分けたがる誘惑の兄弟分です。


 Evangelii Gaudium(福音の喜び)』

No comments: