Friday, May 15, 2009

いちじく桑 Sicomoro

キリスト教はヨーロッパの宗教、西洋の宗教とよく聞くが、殉教者の時代からもわかるように、実は古代ローマ文明にとっては異質的なものであった。ローマの文明は、基本的に寛容で、すべての宗教を受け入れる姿勢をもっていた。けれども、時々キリスト教徒は迫害を受けることもあった。こうして、三百年の歴史を経て313年にコンスタンティヌス皇帝のミラノ勅令によって、キリスト教が認められ、次第に帝国の国教になっていく。多神教民族であったローマ人が、なぜ一神教のキリスト教を信仰するようになったのか。これはローマの歴史全体を通じて最大の謎である。古代ローマ人は多神教であり、それゆえに多民族の信仰の自由を認め、合理主義的思考で国の政治を運営していた。そのローマ人が、なぜ対極にある一神教のキリスト教を信仰するようになったのかを説明する時は、今までローマ繁栄の理由として塩野七生さんが述べている価値観が、あまりにもあっさりと消え失せてしまう。迫害から全面的な受け入れ、どうしてこうなったのか。それを理解するために手がかりとなるものは、大聖バジリオス(329-379)の『イザヤ預言者註解』 にある。バジリオスが聖書に度々出てくる「いちじく桑の実」をとりあげている。中近東に生えるこの樹はたくさんの実をつくるが、収穫するニ・三日前に果実の一つ一つに切り込みを入れて黒い汁出しておかなければ美味しく食べることが出来ないのである。アモスも預言者になる前にこうした仕事をしていたと言っている(7、14)。バジリオスにとっては、異教徒の文化はこのいちじく桑と同じように豊富な産物を作るが、切り込みをしなければ美味しくいただけないのである。日本で言えば、有毒の「ふぐ」という魚を連想できる。さて、古代ローマ文明におけるキリスト教の役割は、まさに「切り込みを入れる」ことにあったのである。

Basilius Magnus, Commentarius in Isaiam Prophetam, cap. IX, vers. 10, Migne PG tomus 30. GNILKA, CHRISTIAN, Chresis. Die Methode der Kirchenväter im Umgang mit der antiken Kultur. I. Der Begriff des "rechten Gebrauchs", Basel/Stuttgart 1984; Gnilka, Christian : Kultur und Conversion / von Christian Gnilka . - Basel : Schwabe , 1993 . (Chresis ; 2 ) 参照。

アンドレア・ボナツィ
古代ローマ文明とキリスト教                        
キリスト教文化研究所紀要・2005年度

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