Monday, November 30, 2009

小沢 発言

不勉強な宗教批判は慎んで

2009年11月27日
産経新聞 小さな親切大きなお世話
作家 曽野綾子

 11月10日、民主党の小沢一郎幹事長は、和歌山県の金剛峯寺で全日本仏教会会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会い、その後記者団にキリスト教は「排 他的で独善的宗教だ」。イスラム教も「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。キリスト教の団体がそれに抗議したというが、私は義理で 訂正されたりすると後の気分がよろしくない。

 人間の発言には根拠が要る。ことに政治に責任を負う人は、学者と同じくらい厳密な資料が必要だ。感情でものを言う人は指導者ではない。

 いい機会なので、この小沢氏の発言が正当かどうか、私情を一切交えずに、聖書のみを資料として、何と書いているかだけを紹介しておこう。ただし信仰の神 髄を実生活において守らない人がいるのはどの宗教でも同じである。私は小学校で「教義をその人的な部分で判断してはいけない」と教わっている。信仰を歪め た者も、命に懸けて守った人もいる、というだけのことだ。

 新約聖書に凝縮されるキリスト教の本質は以下のようなものだ。

 「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
  平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
  義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」

 「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、
  左の頬をも向けなさい」

 右利きの人が手の甲で相手を打つと右頬を打つことになる。手の甲打ちは、相手に対する侮辱を満座の中で示すことであった。そんな仕打ちを受けてもなお抵抗せず、反対の頬を差し出して打たれなさい、ということである。

 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
 「わたしが求めるのは哀れみであって、いけにえではない」
 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、
  また、隣人を自分のように愛しなさい」

 隣人も敵も自分のように愛しなさい、という掟は執拗なまでに繰り返し述べられる。また、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。

 金も住居もなく、衣服にも事欠き、病気や不遇に苦しむいわゆる「難民」を優しく遇した人に、イエスは感謝を述べている。

 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」「人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい」「あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」

 あまりに多くて引用しきれない上、聖書の言葉で原稿料を稼ぎ過ぎるのも気が引ける。キリスト教をご存じなくても、国内問題なら氏の発言も日本人は見逃 す。しかし勉強していない分野には黙っているのが礼儀だろう。また宗教について軽々に発言することは、少なくとも極地紛争以上の重大な対立を招くのが最近 の世界的状況だ。それをご存じない政治家は決定的に資質に欠けている。

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