Thursday, November 05, 2009

レビストロースと日本文化

画家だった父親から少年が海辺の松の下を歩く人々が描かれた広重の版画をもらったのは5歳ごろだった。少年はそれをベッドの上に掲げ、日本の人形や家具のミニチュアで飾った。それから少年は学校で良い成績をとるたびに浮世絵を1枚ずつもらう▲北斎、豊国、国貞、国芳……その世界に魅了された少年は10代後半には日本刀や鍔(つば)まで買い集めた。少年の名はクロード・レビストロース。「感情と思考においては少年時代の全部と青年時代の一部を(実際住んでいた)フランスと同じくらい日本で過ごした」--そう回想する▲「日本では風景もカリグラフィー(書道)だ」--後に構造主義思想の大御所となった彼が初めて来日した時、そのノートにそう記された。それまでは画家の空想の産物と思っていた浮世絵の風景を実際に目の当たりにして感嘆したのだ▲人類学者として未開社会にも人間の社会としての独自の秩序や構造を見いだしたレビストロース氏だ。それは未開から文明への「進歩」を称揚する西欧中心の思考の根本的見直しを迫り、20世紀の知的世界に地殻変動をもたらすことになった。その100歳での死去が伝えられた▲前半生はまだ非西欧文明が野蛮とさげすまれた時代である。だがその生の最期では、地球上のあらゆる文化は相互に独自性を尊重しあうべきだとされる時代を見届けたはずだ。その巨大な変化をただ知性の営みにより導き出した生涯だった▲浮世絵を現実の風景と知ったかつてのジャポニスム少年は語った。「だからといって描かれた自然に象徴性や、哲学的意味があることには変わりありません」。日本文化への遺言に聞こえる。

毎日新聞  2009年11月5日 余禄

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