Sunday, May 07, 2006

賭けとしてのコミュニケーション (復活の予感?communio sanctorum)

死にゆく人の傍らにたたずむとき、私たちは無力だ。語りかける言葉はうつろに響き、行き先を失う。発話が本質的に未来への投企だからだろうか。私たちは、私たちと同じ「未来」をもたない人にかける言葉を持っていない。しかしにもかかわらず、私たちはその人の傍らを離れることはできない。たとえその人が言葉の通じない異邦人であったとしても、むなしくとも声を発し、なにごとかを言いつづけ、つづける言葉がなくなろうともその身体をさすることをやめない。そこには、情報を交換したり、要望や命令を伝えるのとは違うかたちの、ただそこに「いる」ことだけが重要であるような非対称のコミュニケーションが成立している。いや、賭けられている。

アルフォンソ・リンギス著、何も共有していない者たちの共同体、洛北出版。

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