Wednesday, June 06, 2012

司祭不在のときの主日の集会について 4

集会祭儀を行う主な理由としてよく耳にするのは、「共同体作り」に必要だからです。


ところが、『教会憲章』11項は次のように謳っています。

「エウカリスティア(聖体祭儀=ミサ)はキリスト教的生活全体の源泉で、頂点である」("Eucharistia est totius vitae christianae fons et culmen")と。


これは二千年この方、一貫としてカトリック教会の最も基本的な認識、原理の一つです。カトリック教会の中で、これと異なる原理を立てる神学者は一人もいないというぐらいで、カトリックをカトリックたらしめる所以のひとつである。そして、これからも変わる可能性はないというぐらいで、動かしがたい原理です。


さて、事実上ミサよりも集会祭儀に力を注ぐのであれば、それはつまり集会祭儀に、ミサにない、「共同体作り」のポテンシャルがあると考えるからでしょう。ということは、「キリスト教的生活」の源泉として、ミサと違うものがあるということになります。


この考えを抱くのは、もちろん自由ですが、けれどもこれはカトリックとは違うものであると言わざるをえないでしょう。

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