司祭不在のときの主日の集会について
「『ミサに代わる祭儀などありえない。だから司祭の手が十分まわらないからといって、信徒が司式する集会祭儀など行う必要はない』という発言を耳にしたことがあります。このような考え方は正しくありません。」(『司祭不在のときの主日の集会祭儀』、カトリック大阪教区、試用版、2002年発行、4頁)
これを否定する必要はありません。けれども、『使徒的勧告、愛の秘跡』(2008年発行)にはこう書いてあります。
「(司祭が不在であるため主日のミサを行うことができないキリスト教共同体の問題)に関連して、(...)シノドスはまず、信者は、教区の中で、司祭がいることが保証されている教会に行くべきだと勧めました(suasit)。たとえそれがある種の犠牲を求めることになってもです。」(75項)。
この文書は最高の審級(これ以上の権威はない)のものであり、それ以下、それ以前の見解を無効にすると教会法的に考えるべきです。
上記の「正しくありません」には、「ミサがある隣の教会に行くべき」ということが含まれていませんし、そのように拡大して解釈するのはどう見ても妥当ではないでしょう。
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