Tuesday, May 29, 2012

文化と宗教・どちらが上か? T・S・エリオットにおける文化と宗教


『人間文化』、2001年度
文化と宗教・どちらが上か?
T・S・エリオットにおける文化と宗教
Andrea BONAZZI



「文化」という言葉は厳密に定義できない。いかなる定義も前もってその内容になじみのない人であれば、それほど役に立つことはない。更に、文化という言葉は、正確に言えば「文明」ということばとは同義語に取れないにしても、二つの言葉の意味は確かに重なり合い、時と場合によっては同じ意味に使われる。文化という言葉の不明さは、語自体がもっているいくつかの意味を区別し、正しく関係付けないことによるものである。従って、エリオットは、まず基本的な区別をはっきりさせることから出発する[1]
文化という用語は、A.個人、B.集団もしくは階級、C.社会全体、どれを念頭においているかによってそれぞれ異なる連想をともなう。個人の文化(教養)は或る集団もしくは階級の文化に依存し、またその集団もしくは階級の文化は、その集団なり階級の属する社会全体の文化に依存するというのがエリオットの論旨である。従って根本をなすのは社会の文化であって、まず検討すべきものは社会との関連における「文化」なる用語の意味である。
Cultureという語はラテン語のcolereから出来て、本来「培養」(つまり、植物や動物の意識的な操作)という意味で、細菌学者や農学者などの仕事に適用される。この意味は簡単明瞭であるが、C(社会全体の文化)とは一見してあまり関係ないように思われる。個人の文化、集団ないし階級の文化の場合は、そこに意識的な〈修養〉(つまり、一定の目標設定とそれに達するためのプロセス)を見ることができ、生物学的な意味合いにとれる。国または民族の文化を同じように意識的な目標設定の結果と見なすことはできない。しかしながら、或る民族が一定の環境や立地条件の中で生き残り、繁栄していくために様々な活動(例えば、狩りや農業)を営み、それらの諸活動は時間と共に一定のパターンにおさまり、受け継がれていく。このように見ていくと、Cの意味での文化も、ある程度、意識的な目標達成として考えられる。
カルチャという言葉の第三の意味(社会全体の文化)は、人類学者によってよく使われる。例えば、タイラー(E.B. Tylor)がその著『原始文化』(Primitive Culture)の題名として使用したような意味は他の二つの意味とは独立に発展させるのである。ところで、我々が高度に発達した社会、殊に現代社会のようなものを考察しようとするなら、上記の三つの意味の連関を考えなければならない。文学者や倫理学者たちの間では従来、カルチャを第三の意味とは無関係に、はじめの二つの意味において、特に第一の意味において論じるのが普通になっている。エリオットは特筆すべき一例として、M・アーノルド(Matthew
Arnold)の『教養と無秩序』(Culture and Anarchy)を挙げる。アーノルドは第一義的に、個人の目指すべき「完成」を問題にしている。彼の分類法、「貴族(Barbarians)、ブルジョア(Philistines)、大衆(Populace)」において彼はそれぞれの階級に対する規範を取り扱っている。彼はそれぞれの階級の欠点を批判するが、各階級の本来の役割が何であるべきかを取り上げるまではいっていないのである。
カルチャと言う時は、さらにもう一つの種別ができる。同じく教養といっても、それは「洗練された礼儀正しさ」、「雅やかさ」(urbanity)の意味で使うことができる。その際、礼儀のモデルとなる階級(例えば、武士階級)のことを考えるであろう。さらに、過去の培われた知恵との親密な親しみとしての「学問」を指しているかもしれない。この場合は、文化人のモデルとなるのは「学者」であろう。我々は最も広い意味での「哲学」のことを考えているのかもしれない。つまり、抽象観念に対する関心と抽象観念を扱う能力のことを考えている。その時、浮かんでくるのは「インテリ」や「知識人」のことである。あるいは又、「芸術」一般のことを考えているかもしれない。そうであれば、我々は芸術家や芸術愛好家のことを意味する。
ところが、我々はこれらのすべてを同時に念頭に浮かべることがめったにないのである。例えば、音楽や絵画に対する関心、あるいは美学的判断力ということがアーノルドの描いた教養人には見られない。けれどもこれらの芸能が教養において一役を担っていることを誰も否定しないであろう。他に、H・リード(Herbert Read)は『文化くたばれ』(To Hell with Culture)の中で指摘するように、文化という言葉を専ら、過去の造形美術に対する古物収集家的な孝行心(antiquarian piety)、または旅行案内書的な意味に使うことがある。
さて、上に述べた教養の諸々の活動を見ただけでも、これらの活動のどれか一つに完全に到達したとしても、その他の活動を全く無視したのでは、誰一人として文化人となることはできないという結論に至らざるを得ない。礼儀作法にすぐれていても、教育と理解力と感受性を欠くなら単なるお人形、マンネリ化した機械的行動になるほかない。マナーや感受性を忘れた学問は、単なる物知り、衒学になるし、知性力にすぐれていても、人間らしさを欠くならばチェスの天才児の鬼才と同じ意味でしか誰も感心する人はないであろう。
また、知的内容を伴わない芸術は単なる虚栄、見栄っ張りでしかないことは言うまでもない。
 以上見てきた文化的諸活動のいずれを取って、それのみでは教養となることがない。かといって、誰か一人の人間がそれらすべてに達し得るものと期待することもまた不可能である。従って、完全な教養ある個人というものは全くの幻想(空想)であると推論せざるを得なくなる。そうであるとすれば、カルチャというものを特定の個人や集団の中に求めることをやめて、やはり社会全体の中にしか見出せないであろう。
世間は、一芸に長けた人を「文化人」と考えがちである。たとえ極めて偉大な芸術家にしても、ただその理由のみによって教養人になると限らない。芸術家には「専門バカ」というものもあり、専門以外の芸術に対してしばしば無頓着であるばかりでなく、時には礼儀作法は甚だ粗末であり、知的能力において貧弱の場合もある。文化に貢献する人は、その貢献がいかに重要であるにしろ、必ずしも「文化人」であるとは言えない。だからと言って、集団や階級、個人の文化ということに意味がないと言う結論にはならない。個人の文化は集団の文化から切り離すことができないし、また集団の文化は全体の社会から抽象することができないということと、文化の様々の意味を同時に考慮に入れるものでなくてはならないことを意味するだけである。各種の文化活動に携わる諸々の集団が、互いに他を排することなく、お互いに関心を重ね合い、分かち合い、関与し合い、他の立場を理解し合うより、必要な結合力(cohesion)を得なければ、文化は成り立たないのである。宗教の分野においては、宗教行事を行なうための十分な認識を持った祭司団が必要であると同時に、他方行なわれる行事を理解できる信者の集団も必要なのである。

分化(differentiation)と統合(integration

原始的な共同社会においては、文化のいくつかの活動が互いに織り込まれて解きがたい状態を呈していることは明瞭である。例えばボルネオ島のディアク族(Dyak)は年一回の首狩り儀式に必要な独特の小舟を作り、それに彫刻を施し、色を塗るためにかなりの時間を費すのだが、彼等はいくつかの文化活動、つまり戦の準備(防衛)と芸術的活動と宗教的活動、技術的活動を同時に行なっている。
文明がしだいに複雑になるに従って、そこに職業の分化というものが目立ってくる。「石器時代」のニュー・ヘブリデイズ諸島においては、いくつかの島々がそれぞれ或る特定の芸術、工芸を専門とし、その物品を交換し合い、互いにその出来栄えを誇り合い、そしてこの多島の人々が互いに満足を買っていると伝えられている。しかし、一つの部族なり、島々や村々の一集団なりに属する各個人がそれぞれ別個の職能をもつにしてもそのうち最も変っているのは王と呪術医の職能であるが文明の程度がよほど進んだのちでなくては、宗教と科学と政治と芸術とが互いに別個のものとして抽象的に概念化するということはないであろう。そうしてまた、あたかも各個人の職能が世襲的となり、世襲的職能が硬化して階級別もしくはカスト別となり、ついには階級別がライバル関係ないし闘争にまで導くように、それと同様に、宗教と政治と科学と芸術も、互いに自律もしくは全体的支配を求めて意識的な闘争を開始する地点にまで到達する。この摩擦は、或る段階、或る状況においてはきわめて創造的なはたらきをする。それがどの程度まで自覚の増大の結果であるか、どの程度までその原因であるか、その問題はここで考察する必要はない。社会の内部における緊張がやがてその社会の比較的自覚にめざめた個人の心理の内部における緊張となる場合がある。かの『アンティゴーネ』[2]における義務と義務とのあいだの衝突-、それに敬神と市民的忠順とのあいだの衝突、もしくは宗教と政治とのあいだの衝突というだけではなく、当時においていまだ宗教的、政治的でしかなかった一つの複合体の内部における法と法との矛盾のあいだの衝突なのであるが、そのような衝突はきわめて高度に進んだ一つの文明段階を描くものであるというのは、この矛盾が劇作家によって明瞭な表現を与えられ、それを鑑賞する聴衆がいるためには、その以前において、聴衆の経験のなかで、このジレンマが何等かの意味を有するものでなくてはならないからである。
. 一定の社会が職能の複雑化、個別化の方向に発展するに従って、我々はそこにいくつかの文化的水準というものの出現を見ることができる、つまり階級もしくは集団の文化というものがおのずから現われてくるのである(例えば、コンピュータを利用できるかどうかは就職の分かれ目となること、あるいは医者になるための国家試験)。いかなる社会においても、過去のあらゆる文明社会においてそうであったように、これらの互いに異なる水準というものがなくてはならないことは疑う余地がないとエリオットは考える。いかに熱心な社会平等論者といえどもこの点に異論があるとは考えられない。意見の分かれるところは、集団文化の伝承が世襲によるべきものかどうか、種々の文化的水準がめいめい繁栄さすべきものかどうか、或いはそこに何等かの選択の機構が発見されて、その結果としてすべての個人が、然るべき順序を経て、資質があれば最高の文化的水準にまで登る可能性をもうけることが望ましいかどうかということである。ここで注意しておくべきことは、比較的高度の文化的集団が出現した場合、そのことによってその社会全体が決して影響を受けずにはいられないということである。その現象自体がその社会全体の変化する過程の一部を構成するのである。それにもう一つ確実なことは、殊に我々が芸術の世界に注意を振り向けるときにはっきりすることであるが、新しい価値というものが出現するにともない、また思想、感性、表現力がいよいよ精巧の度を増すにともなって、それ以前のいくつかの価値が消滅し去るということである。ということはとりもなおさず、すべての段階の発展を一ときに兼有することを期待し得ないということが明らかである。ポップスと、ミルトンの『失楽園』[3](演歌と万葉集)を同時に楽しめる民衆は期待できない。そして楽しめなくなった文化財産は廃れる傾向にある。そういえば、時間というものがあらゆる場合に確実にもたらすところの唯一のものは損失なのである。失われた文化の補償というものは、期待し得るとしても、決して確実なものではないのである。文明の進歩度によって、より特殊化された文化集団が生れ出ることは大体において誤りでないとしても、この発展が危険をともなわないものと思い込んではならない。社会のそれぞれの機能や分野はばらばらになることは、これは文化の解体、衰退を意味するが、文化の行きすぎた特殊化の結果として起りかねないからである。

文化的衰退(cultural disintegration)の危険

 文化的衰退(解体)は、一つの社会が被る衰退のうち最も根本的な解体なのであると、エリオットは主張する。特殊化が原因で解体は結果であろうと、その反対であろうと、文化の解体というものは如何なるものにもまして最大の難患であり、それが修復は最大の難事なのである。この現象は、ヒンズー教のインドにおいて見られるような疾患、つまり、もともと種々の職能の階層組織にすぎなかったものが硬化してカストに堕した場合と混同してはならないものである。因みにこの二種の病気が一挙に、現代社会にその魔手を伸ばしていないとは決して断言できないのである。
文化の衰退・解体は二つもしくはそれ以上の社会層が全くかけ離れてしまって、それらが事実上別個の文化と化する場合に現われる。また上層の集団における文化が分裂して断片化し、それらの各々が一つの文化的活動のみを担う場合にも現われる。社会の或る水準と他の水準とのあいだの或る程度の文化的分離がすでに先進国社会に発生しているばかりでなく、文化が最も高度に発達しており、もしくは当然そうあるはずの諸階級において、その階級の或る程度の分解がすでに社会では始まっていると思われる。宗教思想と信仰生活、哲宗と芸術、技術と倫理(生命倫理にまつわる諸問題を思い起こしていただきたい)など、これらが互いに流通の道をもたない種々のグループによって切り拓かれる孤立の領域と化しつつある。芸術的感性は宗教的感性からの遊離によって貧困化され、宗教的感性は芸術的感性からの分離によって弱体化している。そうして、宗教または芸術のどちらにおいても訓練されていない人々は、宗教や芸術に関して礼儀正しさだけを持ち合わせるようになる(例えば、葬儀に参加する人々のほとんどはその儀式の意味や美しさは理解できなくなった)。まさに消えんとする文化が、かすかにその名残を、一つの階級の少数の残存者の専業に一任されようとするかに見える。それがまたその感性教育を宗教にも芸術にも求めず、その知性の貧困は気のきいた会話の材料にも事を欠き、結局、人々の生活に価値を与えてくれるものは減っていく傾向が見られる。
この高度の水準における衰退の現象というものは、そのために一見明瞭な影響を被る当の集団のみにとって心痛の問題となるのではない、実はその国民全体にとって由々しい問題なのである。文化の衰退現象を起す原因は、その現われが多種多様であるように、またきわめて複雑である。それらの原因の或るものは、各種の専門家の手によって比較的捉えやすい社会的病弊(例えば最近の少年犯罪の増加や、教育の衰退、世代間のコミュニケーションの低下)の原因として示される説明のなかに見出すこともできるであろう。そういう病弊に対しては我々は絶えずその場その場の治療法を講ずべきであろう。しかし、これは社会のあらゆる部分が他の部分に対してもつ関係の諸問題の根低に、この「文化」というはなはだ複雑なものがいかに根深く横わっているかということを表している。
大国と大国とのあいだの相互の関係を問題とする場合、また大国と小国とのあいだの関係、経済的誘因によって互いに異なる民族がひとところに掻き集められているような地域において問題となる各人種間の関係、これらの関係を問題とする場合も、多数の人々によって日々の解決をせまられているこれら至難の問題の背後には、いつも文化とは何であるか、またそれは我々の力で管理し或いは意識的に左右し得るものであるかどうかという問題が横わっているのである。教育についての何等かの理論を考案し、或いはその政策を組み立てる場合にも、直ちにこれらの問題に我々は直面するのである。
多種民族の入り混じる中央ヨーロッパにおいて、『文化的国家』(cultural nation)と『民族国家』(state nation)という区別が生まれた。共通の伝統と、共通文化の開拓とによって堅く結ばれた同質なる人種的もしくは言語的集団が存在するということを一見したのみで、単純に一個の独立した政治的単位を設け、これを維持すべき理由となすことはやめなければならないという結論に至った。この問題は、統一民族に国家の基礎をおく日本にもやがて及んでくると思われる。

文化と宗教

文化というものを真剣に考えれば、国民は、単に充分の食物を必要とするというだけではなく(この問題さえも、我々の力で未だ充分に保証し得るものではないが)、そのうえに然るべき特殊の料理法をも考えなければならないことに気づくのである。実に、文化衰退の一つの徴候は、ファスト・フードに見られるように、料理法に対する無関心に見ることができるのである。文化というものは簡単に、生き甲斐を提供するものであると定義することができる。やはり、我々はただ単に何かを食べたいだけではなくて、まさにおいしいもの、喜んでいただけるものを欲しがる。
或る死滅した文明が残した遺跡やその影響力についてつくづく思いをひそめてみる時、例えば、古代エジプト文明の遺産を見て、その文明がかつて存在したことは決して無駄ではないと認めるとき、それはその文明の文化にどこか生き甲斐があったと感じるからであろう。
どの文化も宗教との連関においてでなければ出現することも発展することもできないというのは、エリオットの主張である。しかし連関という用語は容易に誤解を生じる危険がある。文化と宗教とのあいだに一つの関係を単純に想定したということが恐らく最も一般的な認識であろう。この言い方が与える印象からいえば、教養とは宗教よりもさらに包括力の広いものであり、後者は、最大の価値であるところの教養にとって必要な一要素であるということにとどまり、教養に対して宗教は倫理的基盤と多少の情緒的な色どりとを補給する役割を持たされているというにすぎない。すでに文化の発展について語ったこと、また一つの文化が高度の発展段階に達した時の解体の危険について語ったことは、同様に宗教の歴史においても適用し得るのである。文化の発展と宗教の発展とは、外部からの影響を受けない社会においては互いに判然と分離することができない。文化の進歩が宗教における進歩の原因と見るべきかどうか、或いは宗教における進歩がその文化の純化の原因と見るべきかどうかということは、観る者の親方次第でどちらともいえるであろう。
さらに一歩を進めていけば、我々が一民族の文化と呼ぶものと宗教と呼ぶものとは、実は同一物の異なる側面ではないかとを問うことができる。つまり、一民族の文化は、本質的には、その民族の宗教のいわば受肉(incarnation)ではないかということである。問題をこのように見てみると、連関という言葉には問題があるということが理解してもらえるであろう。逆から言えば、果して何等かの宗教的根低なくして文化というものが発生し得るや、或いはみずからを維持し得るや否やは甚だ疑問であると言わねばならない。
宗教と文化とを別個のもののように取り扱う傾向の原因と考えられるものは、「キリスト教信仰」によるギリシア・ローマ文化への透入の歴史である。この透入の及ぶところ、それはその当のギリシア・ローマ文化に対し、及びキリスト教的思想と実践のとった発展の進路に対して、いずれも深刻な影響を及ぼさずに何一おかないものであった。しかし原始キリスト教が接触した文化といえども(キリスト教が発生した環境の文化はいうまでもなく)それはそれ自身がすでに衰退期の一つの宗教的文化だったのである。
なるほど、ある宗教(普遍宗教)が幾種かの文化に魂を吹き入れることができる。他方、
一つの社会が発展するに従って次第に多様な宗教的能力や機能が、もちろん他の能力や機能も増大するのであるが、現われてくる。例えば、聖書世界においたは、王と預言者、士師と祭司など、数多くの役割が見られる。或る宗教の場合ではこの分化の幅が非常に広くなり、事実上は二個の宗教、一つは一般大衆のための宗教、他はその道の奥義をきわめた人々のための宗教となることが注目されるのである。例えば、座禅と葬儀仏教との間のひらきというような現象である。宗教におけるこの断層化は、文化の不統合(disintegration)でもあると言わざるをえない。
キリスト教は中世までこの不統合へ力強く抵抗したと思われる。十六世紀の宗教的分立(宗教改革)、及びそれに続く分派の増殖は一面においては宗教思想の分裂の歴史として研究することができるが、他面においては相い対立する社会的集団間の闘争として、つまり一方は教理の種別化の問題として、他方はヨーロッパ文化の解体現象として、研究することができるのである。
ところで、同一の水準における、信念のこれらの大幅のひらきは決して喜ぶべき現象ではないとしても、「信仰」というものは、同一の教理に対する各種の度合いの知的・想像力的・情緒的受容力を認めることの可能なものであり、また認めざるを得ないものである。あたかも「信仰」が各種の団体や儀式を抱擁することができるのと同じである。そのうえに「キリスト教信仰」というものは、心理的に考えた時には、つまり肉体をもつ特定の各個人の心理上の信念や態度の体系と見た場合には、信仰でありながらも、一つの歴史というものをもたなければやまないものである。ただこの際、注意しなければならないのは、「キリスト教信仰」が発展し変化するものとして語り得る意味のなかに、もしも、人間がその歴史を通じて、より深い聖化とより深い啓示とに達し得ると想うならば、それは途方もない誤りといわなければならない。芸術においてさえも、一つの長い期間をとってみれば、そこに進歩の跡が見られるとか、「原始」芸術が、芸術として、文明の芸術よりもかならず劣等であるとかいう勝手な想定を立てることはできない。
ところが、宗教的見地をとるのと文化的見地をとるとにかかわらず、発展の徴候の一つと見るべきものは「懐疑的精神」(scepticism)の出現ということである。この言葉によってもちろん背信の精神を意味するのでもなければ、破壊的精神を意味するのでもない(まして元来知的怠慢に基づくところの不信の意味では全くない)。懐疑主義とは、明証を検討する習性と、一気に事を決しないだけの能力ということである。懐疑的精神とは一個の高度の文明的特性であるが、それが、認識の可能さえも拒否するピロニズム[4]的懐疑に堕するならば、それはそれだけでも文明の死因となりかねないのである。懐疑的精神を精神の強さだとすれば、ピロニズムは精神の弱さにあたるのである。なぜなら、決定を保留するだけの強さをもたなければならないというに尽きないのである。決断に至るための強さをももたなくてはならないからである。
文化と宗教とが、これらめいめいの言葉をその正しい地盤において解釈した場合には、実は同一のものの異なる側面にすぎないという考え方、相当に立ち入った説明を加えなくては簡単には理解しがたい観念である。とりあえず、この考え方は互いに補い合う二つの誤りを矯正する方法を与えてくれるものであることを言える。そのうち広く一般に受け入れられている誤りは、文化というものが宗教なくして保存され、伸張され、発展させられることが可能であるという考えである。そうしてこの誤りをそれなりに反駁するためには相当綿密な歴史的分析を必要とするのである。
単に表面だけで判断するならばその真相はむしろ表面の事象によって反駁されるかの観さえ呈するからである。つまり、一つの文化は、その文化の宗教的信念が衰退したのちまでも残光を保つこともできるし、そういえば芸術やその他の業績においては、場合によってきわめて華々しい効果を生み出すこともできるからである。
もうひとつの誤りは宗教の保存と維持とは文化の保存と維持とを勘定に入れる必要がないという考えである。この考えはさらに進んで、文化の産物をすべて霊的生活にとって有害無益な障碍物として排斥する結果に導くことさえもある(これは「原理主義」とも言われる)。前者の誤りとともにこの後者の誤りを超える立場に立つためには、我々は近視眼的立場を離れなくてはならない。

受肉した宗教

今まで述べてきた、文化と宗教に対する見方を完全に理解することはきわめて難しいものである。エリオット自身も、おぼろげながらもその正体を、時たま瞬間のひらめきによってのみこれを捉えるよりほかはない、と言う。またこの問題に含まれたあらゆる意味合いをくまなく了解したという自信も持てない。それにまたこの見方は、バランスの取れた考え方を必要とする、それというのも、この二つの用語(文化と宗教)をこのように対語として結び合わせた時にはいずれにも具わっている意味が、単独に取り出してみると、いずれの用語も含み得る或る意味へ我々の気づかないあいだにいつの間にか移り変ってしまう危険があるからである。
例えば、宗教や文化は抽象概念であり、実際に一定の国や民族の文化しかないということから、私達は、「ヨーロッパの宗教」、あるいは「東洋の宗教」というようなものがあると、誤った推論をすることがある。勿論この表現は、例えば、世間の人々は自分たちの属する文化にも宗教にもいずれに対してもはっきりした自覚というものを持っていないが、いわばそれと似た意味においてはじめて妥当するものである。
しかし、たとえわずかでも宗教的意識を具えている者ならば自分の宗教的信念(理想)と自分の行動とのあいだのズレに時々は心をいためるであろう。また個人の教養なり、集団の文化から与えられる何等かの賜物を味わうだけの舌を具えている者ならば、自分ながらいかにしても宗教的とはいいがたい諸々の価値がそこに含まれていることを承知しているに相違ない。要するに、キリスト教を「ヨーロッパの宗教」と形容したい場合、キリスト教の理想とヨーロッパ人の行動とのズレと、本来キリスト教と関係ないものはキリスト教に付随したこととを考慮に入れなければならないのである。
そこで、「宗教」という言葉も「文化」という言葉もいずれも互いに異なる内容を意味しながらも、個人の立場からいっても集団の立場からいっても、それらの言葉は、現在ある集団が手に持っているものだけではなくして、目標として集団が努力しつつある理想をも含まなければならないことは争えないことである。この意味で、ひとつの宗教という時、それは一つの国民の生き方のすべて(way of life)、つまり、誕生から墓場まで、朝から夜中まで、いな、我々の睡眠の最中(夢も宗教的側面をもっている)をも含めた一つの生き方と見るべき面がたしかにある。ところで、その生き方たるものが同時にまたそのままその国民の文化なのである。子供が生まれると洗礼を授けたり、お宮参りしたり、結婚や死去なども宗教的しきたりにつながっていたりする。これらの宗教的行為は同時に文化的習慣になり、やはり人々の行き方全体とつながっている。やはり、宗教と文化は同じものの異なった側面としてみることのできる証拠である。
ところでまたそれと同時に、宗教と文化の同一化が完了してしまった場合は、とりもなおさずその宗教の堕落を伴うことがある(例えば、国家神道)。この意味で、普遍的な宗教というものは一民族なり一国民がみずからの専売を要求する宗教よりも高等であると言える。少なくとも潜勢的(potentially)には、他の文化のなかにも実現されているような宗教を体現している文化というものは、一つの宗教を独占する文化よりも高等である。しかし、この見方は宗教と文化の分離を意味するものではない。キリスト教信仰は、いろいろの文化を導く精神となり得るように、それぞれの文化にも抽象的な(具体的な状況から切り離しても生きつづける)アイデンティティーがあり、それによって私達は異文化を尊重できるのである。
 宗教と文化の同一化を極端なまで論じることができる。他方分離化を徹底的に論じることもできる。いまここで同一化の見方をとるとするならば、カルチャという用語にどれだけの意味合いがひろく抱擁されているかということを想起していただかなくてはならない。それは実に一つの国民の特性をなすすべての活動と関心とを包含するのである。イギリスに住んでいるエリオットは次のような例を挙げる、ダービーの競馬、ヘンレーの素人端艇競漕、カウズのヨット競漕、八月十二日の狩猟解禁日、サッカーの決勝戦、犬の競走、針さし遊戯板、投槍板(ダーツ)、ウェンズリデルのチーズ、湯煮したキャベツの区切り法、赤甜菜の根の酢つげ料理、十九世紀式ゴチック寺院、エルガーの音楽(日本の場合、お正月の種々の行事、お盆、高校野球、競馬・競輪、剣玉、鍋料理、大根・たくあん、三味線、宮大工に相当するようなもの)。このリストを見れば、たちまち我々は或る奇妙な観念に直面せざるを得ないのである、つまり、我々の文化の或る部分はそれが同時にそのまま我々の生きられた宗教の或る部分であるということになるのである。
我々は文化というものをあますところなく統一されたもののように考えてはならない。上に掲げたリストはその意味の暗示を避けるためにわざわざ考案されたものである。またヨーロッパのいかなる国民の現実の宗教もかつて一度も純粋にキリスト教的であったためしもなく、それかといって純粋にその他の何ものであったためしもない。そこにはあらゆる場合に、より原始的な信仰の切れっぱしやが半分消化されないかたちでくっついている。そこにはあらゆる場合に、寄生的な信念が跡を絶ったためしがない。そこにはあらゆる場合に、歪曲が行われている、例えば愛国主義であるが、それは自然宗教の一部分であり、それゆえに立派なものでもあり、「キリスト教会」からも奨励されはする、しかしそれが誇張されてあられもない風刺ものになることがある。またいかなる国民にしたところで、いとも簡単容易に互いに矛盾する信念をごり押しに押し通したり、交互に対立する諸々の勢力の機嫌をとるくらいのことならば誰に遠慮もあったものではない。諸国の文化が相互に違うと同様に、同じ文化の中に個々人の文化もまた、程度に限らず、大変異なることもある。
 
「市民宗教」(civil religion)

 我々の信ずるところのものが単に我々が公式化したり記名承諾を与えたものではなくして、我々の行動が同時に信仰であるということ、また極度に発達した自覚に富む人間でも、それと同時にまた、信念と行動との区別のつかない水準で生きている人間でもあるということを考えてみるならば、この反省は何の奇もないようで、ひとたび我々の想像力をそのうえに活溌に働かせてみるならば、全く手も足も出ない結果となってくるのである。こういう風に考えてくると、我々の日常の何の変哲もない行事や各瞬間の仕事までが突然重大な意味を帯びてきて、それを考えると我々は恐ろしさに襲われ、とうてい長時間の正視には堪えられないのである。霊的生活を完全に切り開くためにどの程度の統合(integration)を遂行すべきかに思い及ぶとき、我々が絶望のどん底に落ち込まないためには神の恩寵の可能性と我らの先人たる聖者の遺業を深く心にとどめておかなくてはならない。また我々が福音宣教の問題、キリスト教的社会の発展の問題に思い及ぶとき、我らの意気が沮喪するのもまた決していわれのないことではない。我々こそ宗教的国民であり、他の国民は宗教を知らないと思いこむのは問題をあまりにも単純化するものであって、むしろそれは問題の歪曲に近いといわなければならない。或る見方からすれば宗教は文化であり、また他の見方からすれば文化は宗教であるという反省は我々の自己満足を破る意味において甚だ不輸決な反省であるのかもしれない。「見たまえ、いまさら宗教を云々するまでもなく、すでに〔イギリス〕国民はダービー競馬〔豪華な社交において威厳と地位を求めたり、拝んだりする機会〕と犬の競走路〔競争に勝てる恵みを占う機会〕がその一役を買って出る、一つの立派な〔擬似〕宗教をもっているではないかと開き直られてみると、まことにお気の毒ですが御挨拶にさぞお困りであろう。〔聖公会の〕司教の奉ずる信仰のなかには勲章留めのゲートル(gaiters)と『芸術院』(Athenaeum)が含まれているではないかと問うこと同じように困ってしまう問題である。キリスト教徒で安心している鼻の先で君たちはキリスト教徒としては信心未到のにすぎないとお叱りを受けたかと思うと、また誰やら別の声で、君たちはよっぽど世間のお付き合いがいいと見えてやたらに博愛衆に及ぼすね、と言われては堪るまい。」[5]
 だから、信仰というものは純粋な形では個々人の心の中だけではないと言えば、精神と体を伴って文化にどっぷり漬かっている私達には、かなりの反省を促すことになる。しかし反省の御蔭というものか、こういうことが判明したビショップといえどもイギリス文化の一部分であり、犬馬といえども実はイギリス宗教の一部分であるということが明かである。
 ある民族の全体をおおっている共通の価値観の枠組み、民族としての自己理解を支え民族としての行動を方向づけている信念体系を「宗教」と考えるとき、多元社会アメリカの「民族性」もまさにこの意味における宗教から捉えることができる。アメリカは多数の人種によって構成される社会であり、曲がりなりにも「単一民族」という主張あるいは幻想が成リ立つかに見える日本とは違って、一つの統一性のある国家を形成するには、「公」に認められた共通の価値観の枠組みが必要になる。RN・ベラー[6]によれば、アメリカの統一性の基礎にある市民宗教は次のように構成される。アメリカの建国に関わったワシントンやリンカーンといった英雄の存在(これは古代イスラエルの族長アブラハムやモーセに対応する)、その英雄を中心とした建国の物語、信教の自由を目指したメイ・フラワー号の物語、独立戦争・ワシントン物語(正直者がホワイトハウスに入る)、南北戦争・リンカーン神話(丸太小屋からホワイトハウスヘいたる成功神話)によって表現された出来事は「アメリカ」のルーツについての聖なる物語(自由な国家、誰にでも成功への道が開かれ、人間は正直でフェアーでなければならない)である、その国家の理念を示した合衆国憲法(=聖典)、これらがアメリカの市民宗教(civil religion)の基盤を構成する。そして、この建国神話に対応した記念日と大統領の就任儀礼などによって、アメリカの「市民宗教」は国民にとって繰り返し体験可能な仕方で示されるのである。アメリカ人であるということは、このような「市民宗教」を自分のルーツとして受け入れることであり、それによってその人は、アメリカ人らしく考え、アメリカ人らしく行動することが可能になる。この「市民宗教」の共有という基盤の上に、多様な人種を包括する移民社会の統一性が成り立っているのである。では、このような「市民宗教」に示されたアメリカの理念とはどのようなものであり、またキリスト教とどのように関係するのであろうか。
 「市民宗教」によって形成された国家理念は、「神の下の国家」(Nation-under-God-ism)と表現することができるであろう。絶対的な神の前においてはすべての人種は「平等」かつ「自由」であり、このような神との契約関係に基づいて自由で平等な個人によって形作られる国家、これが民主的国家アメリカの理念であり、合衆国憲法はこの理念を体現するものとして存在するのである。「アメリカ人になる」とは、自由なデモクラシーの国であるアメリカの理念を受け入れること、絶対的な正義の神の名の下に遂行される自由と民主主義のための防衛戦争に参加することを意味する(=アメリカの世界史的使命)。この国家のアイデンティティーが国際政治におけるアメリカの行動の基礎にあることは、ベトナム戦争や湾岸戦争におけるアメリカの姿勢(大義名分)を見れば明らかであろう。
問題は建国の父たちを主役とした建国神話に基づく「市民宗教」とキリスト教との関係である。確かに、絶対的な正義の神の存在とその前における人間の自由と平等という思想がキリスト教の影響下にあること、また聖書などのキリスト教の構成要素が市民宗教の象徴体系に組み込まれていること、また「教会に行く」ことが長い間アメリカ人になることを示す典型的な象徴的行為であったことなどを考えれば、アメリカの市民宗教はキリスト教とかなりの部分重なり合うことは否定できない。しかし、ケネディの就任演説の分析によってベラーが示しているように、市民宗教はキリスト教そのものではないのである。これは、この演説において言及される神が、「イエス・キリストにおける啓示された神」からずれていることに現れている。したがって、キリスト教国アメリカというイメージは再検討を要するのである。

大衆文化と少数文化

文化というものがある、ただしそれは社会の一小部分の所有に過ぎないと一般に想定されている。そうしてこの想定からして二つの結論のうちの一つへ急ぐのが普通である。つまり、文化とはきわめて少数の人々の関心事でしかあり得ない、ゆえに未来の社会においては文化の余地は残されない、と考えるか、もしくは、未来の社会においてはかつて少数派の所有であった文化は万人の手に委ねられなければたらない、と考えるかのいずれかである。この想定とそれから引き出される結果とを考えてみると、それはかつてピュリタン(清教)が修道院生活(monasticism)と禁欲生活に対して示した反感を想起させるものがある。というのは、現代では少数者のみが接近し得るような文化が敬遠されるのと全く同じやり方で、かつては出入り禁制の観想生活というものが極端なプロテスタソテイズムによって非難され、また独身生活はほとんど変態性慾にも劣らないほどの嫌悪の眼でにらまれたのである。
 エリオットが述べようとつとめてきた宗教と文化の理論を端的に捉えるためには、二つの相互排除的な誤りを避けることにつとめなければならない。つまり、宗教と文化とをそのあいだに一つの関係をもつ二つの別個のものと見る誤り、次に、宗教と文化とを同一化することの誤りである。エリオットは、国民の文化をその国民の宗教の肉化(インカーネイシヨン)として語る。ところでこのようなだいそれた言葉を使用することの大胆さを充分承知しているつもりでいるが、一面において「関係」という用語を避けるとともに他面において同一化をも避けようとする意図をこの言葉以上に適切に伝えてくれる言葉を思いつかないと言う。一つの宗教の真理、もしくは一面の真理、或いはその虚偽でさえも、その宗教を標榜する国民の文化的業績に存するのでもなく、また文化的業績による精密な試験に曝されることをいさぎよしとするものでもない。というのは、一つの国民がその行動によって示すという意味において信じていると言い得るものは、すでに述べたように、いつも純粋にその標榜するところの信念からはるかにはみ出したもの、また、はるかにそれにはとどかないものだからである。そればかりでなく、その国の文化が一面的真理に過ぎないような宗教と相侯って形成された文化は、より真理に近い光をもつ他の国民よりもはるかに忠実に(少なくともその国民の歴史の或る期間だけは)その宗教を実践することがあり得るのである。エリオットが敢してキリスト教文化を最高の文化として語り得るのは、ある社会が真に一個のキリスト教的社会である限りにおいて、その文化をそのあるべき姿において構想する時にのみ言い得ることである。この文化は世界がかつて経験した最高の文化であると断定し得るのは、かつてヨーロッパの文化であったところのこの文化をそのあらゆる側面にわたって検討することによってのみ断定し得るのである。今日あるがままのヨーロッパ文化をキリスト教以外の諸文化と比較するに当っては、ヨーロッパ文化は何等かの点において後者に劣るものであることを知るだけの用意をもたなくてはならないのである。もしもヨーロッパがキリスト教よりも劣る何等かの宗教もしくは唯物論的な宗教の処方に従ってみずからを改革することによってその背教行為を行きつくところまで行かしめるならば、現在よりもはるかに華やかな文化の花を咲かせてみせる可能性のあることを決して見落すべきではない。しかしそれは、その新しい宗教が真理であってキリスト教が虚偽であるという明証にはならない。それは単に、いかなる宗教といえども、それに生命のあるあいだは、またそれに相応の水準においては、生活(あるいは人生)に意味らしいものを与えるものであるということ、そうして大多数の人類を倦怠と絶望から守るものであることを証明するだけのはなしであろう。




[1] T.S. ELIOT, Notes towards the Definition of Culture, 1948. T.S. ELIOT, Christianity and Culture, Harvetst/HBJ, New York-London, 1968参照。『エリオット全集』、第五巻(深瀬基寛編)、中央公論社、一九六〇年(初版)の訳を参考にさせていただいた。
[2] ソフォクレスの名作。テーベ王オイディプスはテーベの王位を、アンティゴネの兄エテオクレスとポリュネイケスにゆだねた。2人は王位継承をめぐってあらそい、エテオクレスが権力の座についた。しかし、ポリュネイケスは兄の地位をうばうため遠征軍をひきいてテーベを攻略し、兄弟はたがいに殺しあった。新しく王位についたおじのクレオンは、エテオクレスのために栄誉ある葬式をもよおしたが、テーベをせめたポリュネイケスの遺体は裏切り者として、殺された場所に放置しておくよう命じた。父の死後、テーベにもどったアンティゴネは、神の法は現世の命令より優先させなければならないと信じて、クレオンの命にそむいてポリュネイケスを埋葬する。クレオンがやむなく彼女を生き埋めにするよう宣告すると、アンティゴネは地下の墓場でみずから首をつって死んでしまう。悲しみにうちひしがれた恋人、クレオンの息子ハイモンも彼女の後をおって、死体におり重なって自殺する。
[3] 「失楽園」は、ミルトン(1608-74)の代表作であり、世界の文学作品の中でもっともすぐれた詩のひとつといえる。この12巻からなる長詩でミルトンは、アダムとイブの堕落の物語を広大無辺のドラマ、奥深い思索としてかたった。この作品の目的は「人間に対して神がとる手段の正当化」であると、詩人みずからのべている。力強く質の高い文体で書かれたこの詩は、自由にはばたく想像力と、幅ひろい知的な理解力でいろどられている。
[4] ギリシアの哲学者ピュロンは、徹底的な懐疑論を展開し、いかなる知識をも否定することに至った。
[5] 深瀬基寛訳、『エリオット全集』、前掲、255頁(一部筆者による変更)。
[6] R.N. BELLAH, „Civil Religion in America“, in Daedalus (1967)4, 1-21RN・ベラー、『社会変革と宗教倫理』(未来社)。芦名定道、『宗教学のエッセンス』(北樹出版)参照。




欧文タイトル

Culture and Religion in T.S. Eliot          (Andrea Bonazzi)



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