Wednesday, February 26, 2014

歴史的反省

十六世紀、スペイン・ポルトガルから、キリスト教宣教師が来て、新しい西欧の宗教とルネッサンス期の文明を日本に紹介したとき、日本人の人格と高潔な生活態度、それに知的レベルの高さを評価する手紙を本国に書き送っている。これは日本人の中に、依然として人格の統一性があった証拠になる。

 ただし現代日本人の人格形成の上で、想像以上の影響を与えたのは、徳川時代の長期にわたる封建制、鎖国、切支丹の禁制である。概して宗教弾圧には非論理的要素が多いが、切支丹大名の追放処分、庶民にたいする残酷な処刑法は、日本人の性格を歪めないわけにはいかない。五人組制度など、同一の村落隣組内の切支丹密告組織として、同胞隣人にたいする不信感を植え付けたことは疑えない。

 日本の歴史を顧みて、国全土にわたって、国家的規模で、同国民女子供を含め、住民を容赦なく引き出し、逆さ吊りにしたり、穴蔵に放り込んだり、燃える硫黄を浴びせたり、十字架につけたりして拷問・惨殺を行ったのは、この時代を除いてはない。宗教とか信仰に命がかかるのは、その信仰が人間生活に重大な意味を持ってくるからであるが、信長や秀吉の初期の好意的な態度が一転して、迫害と追放、それから鎖国へと極端な形を取ったことは、日本国民全体にとって不幸な時代であった。このような宗教弾圧によって、気骨のある切支丹が容赦なく追放されたり、殺されたりしたあげく、結局はコロビの背教者と、幕府の迫害に荷担した臆病な日本人が生き残って、今日の日本人が存続しているといえば、言い過ぎであろうか。

 そのあいだ世界は、近代に向かって急速に前進していた。切支丹弾圧と鎖国の期間、つまり十六、十七、十八世紀なくしては、現代世界と自由主義、啓蒙思想は語れないなら、当時の日本の損失は想像を越える。そのあいだ江戸時代の町人文化は栄えたが、その反面、日本人の論理性が後退し、それに代わって内向的な情緒性が花開いたと言える。十九世紀後半、日本は明治の開国と同時に、切支丹禁制の高札を撤去し、近代国家の仲間入りをすると同時に、三百年の遅れを一挙にとり戻そうと、西洋の文化を大車輪で取り入れた。さらに軍備を強化し、日清日露両戦役で勝利をおさめた結果、自信を深め、さらに太平洋戦争に突入した。長年の閉鎖的国策が、反対方向に向かって爆発した。

 このようにして戦後日本の経済が急速に伸びていく一九六、七〇年代、日本人自身のアイデンティティーを求める著書が、書店の店頭を賑わすようになる。日本人とは一体どんな民族か、日本人を理解するためのキーワードは何かが問われる。それは恥の文化、恩、義理、それに甘え、和、タテ社会の論理、単一民族社会、農耕社会、神道的空間、日本教理論、日本会社論など、いろいろの角度と立場から、批判と内省と分析の声が上がった。「日本論Japanology」が口にされ始めたのは、そのころからである。

http://www.arcanapress.com/NagashimaNihonjinron.htm

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