Friday, April 11, 2014

朝日新聞

朝日新聞

(耕論)孤立する日本 出口治明さん、加藤典洋さん
2014年4月11日05時00分


 安倍晋三首相の靖国神社参拝をきっかけに、中国・韓国だけでなく、米国ともきしむ日本。国内で政権の支持率は高いが、国際社会で日本の仲間はいるのだろうか。孤立化も指摘される背景と日本のこれからについて識者が語った。

 ■「信念より現実」こそ真の保守 ライフネット生命会長・出口治明さん

 今の日本はロシア、北朝鮮、韓国、中国、台湾と近隣の五つの国・地域すべてと領土紛争を抱えている。郊外に一戸建てを買ったが、周りのすべての家と境界争いをしているようなもの。家なら引っ越せますが、国は引っ越せません。世界史的に見ても極めて異例な状況です。

 最近、日本の孤立が深まったように見えるきっかけとなった安倍首相の靖国神社参拝からは、「信じる理念に基づき、現実を変革しよう」という首相の強い意思を感じます。その気持ちは理解できますし、戦没者を追悼したいという思いは真実だと思います。

 一方で、僕は「保守主義の父」とされる18世紀の英国人エドマンド・バークにも共感します。保守主義とはむしろ理念ではなく、理念自体を否定する考え方です。バークは「自由・平等・博愛」という一見素晴らしい理念で社会を変えようとしたフランス革命に批判的でした。

 バークは「人間の知恵や理念は信頼できない。なぜなら人間はそれほど賢くないからだ。信頼できるのは長年にわたる試行錯誤の結果、社会に定着した習慣だけだ」とし、「これまでうまくいってきたことを変えようとするな。まずいことが起こったら、そこだけ変えればいい」と主張した。

 現実にフランス革命は、バークの予想通り恐怖政治に陥った。保守主義の立場からすると、現実にさほど困っていないことを変えようとする、あるいは現実よりも信念を重視するという姿勢は奇異なものに映ります。

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 <過去は消せない> 第2次世界大戦の評価はとても難しい問題です。ただ、人間はそう簡単に過去を忘れることができない動物でもある。最近みなもと太郎の「風雲児たち」という歴史漫画を読みました。

 ワイド版単行本の第2巻では、関ケ原の戦いに敗れ、山口県の萩に追いやられた長州藩主・毛利家の元旦恒例の行事が描かれます。家老が殿様に「徳川家征伐の準備が整いました」と、毎年同じ口上を述べる。それに対し、殿様は「今はまだその時機ではない」と答える。「いつかは徳川を倒す」という怨念を込めたこの行事を長州藩は300年近く続けました。

 事実ではなく伝説、との見方もありますが、僕は「人間とはこういうものだ」と思います。過去は数百年程度では消せない。古代ローマの哲学者キケロの「自分が生まれる前を知らなければ、ずっと子どものままだ」という言葉をかみしめ、歴史に学んで欲しい。

 日本人が中国や韓国との関係に過敏になっているのは「戦争には負けたが、経済ではアジアのどの国にも負けない」という誇りが脅かされたことも影響しています。ですが、長い歴史の中で、日本の経済力が中国を上まわっていたのはごく一時期。それに戦後の日本の高度成長は「戦後中国に共産党政権が誕生し、米国が冷戦期のアジア外交のパートナーを日本に変えざるを得なかった」という幸運にも支えられていた。幸運はいつまでも続かない、中国は元に戻りつつあるだけだ。そう考えれば、プライドも傷つかないのでは。

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 <貧しい対米人脈> 実は個人的に一番懸念しているのは米国との関係です。ブッシュ政権で国家安全保障担当補佐官、国務長官を歴任したブッシュの右腕ライス氏の回顧録を読んでも、日本人の名前が出てこない。日本はブッシュ政権の最重要人物と個人的関係を築けなかった。オバマ政権とも同様です。現在の日本の対米人脈の貧しさが心配です。

 日露戦争が始まった時、伊藤博文は、自らの懐刀である金子堅太郎をただちに米国に派遣しました。金子がハーバード大学に留学した時、若き日のセオドア・ルーズベルト大統領と親交を結んでいたからです。金子がルーズベルトと旧交を温めたことは、米国が日本支持に回り、戦争を有利に進める上で大きな力となった。

 現在、米国への留学生は中国から約23万人、日本からは2万人を切っています。将来、どちらが金子のような人材を多く持てるのか。日本が今後も米国との関係を軸に中国と相対しようとするのであれば、留学生への支援強化など、米国とのしっかりとした人間関係を築く努力をするべきです。

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 でぐちはるあき 48年生まれ。生命保険業の傍ら、5千冊以上の歴史書を読み、京都大で歴史の特別講義をしたことも。著書に「仕事に効く教養としての『世界史』」。

 ■敗戦の「ねじれ」に向き合って 文芸評論家・加藤典洋さん

 安倍首相の靖国神社参拝から3カ月半。これだけの短期間で日本の孤立が深まった根本的原因は、日本が先の戦争について、アジア諸国に心から謝罪するだけの「強さ」を持っていないことです。

 日本が東アジア諸国と安定した関係を築くには、しっかりと謝罪し通す以外の道はない。これは戦後の世界秩序の中では、どうあがいても動かない原則です。ところが、日本が本当の意味で東アジア諸国に謝罪したと言えるのは、従軍慰安婦に関する1993年の河野官房長官談話、侵略戦争と認めた95年の村山首相談話と、それを継承した05年の小泉首相談話くらい。これらに対し、近年、政治家が繰り返し疑問や反発の声を上げて、これまでに築いた信用を自ら掘り崩してきました。

 自らが生きる東アジアで関係を築けない以上、米国との関係に依存するしかない。だから米国に「失望した」と言われたとたん、世界で孤立してしまう。同じ敗戦国のドイツが謝罪を繰り返し、今やEUで中心的な役割を担っているのとあまりにも対照的です。

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 <悪い戦争だった> なぜ、謝れないのか。敗戦の事実から逃げてきたから。具体的には敗戦で日本が背負った「三つのねじれ」に正面から向き合ってこなかったからです。

 戦争は通常、国益のぶつかり合いから生じるもので、「どちらが正しいか」という問題は生じません。しかし、先の戦争はグループ間の世界戦争で、「民主主義対ファシズム」というイデオロギー同士の争いでもあった。民主主義の価値を信じる限り、「日本は間違った悪い戦争をした」と認めざるを得ない。

 だが、たとえ間違った戦争であっても、当時これを正しいと信じ戦って死んだ同胞を哀悼したい、という気持ちは自然です。それを否定しては人間のつながりが成り立たない。「悪い戦争を戦って亡くなった自国民をどう追悼するのか」という、世界史上かつてなかった課題に私たちは直面したが、その解決策をいまだに見いだせない。これが第一のねじれです。

 第二のねじれは憲法です。現在の憲法は明らかに米国から押しつけられた。ひどい憲法なら作り直せばいいが、実は中身は素晴らしい。押しつけられた憲法をどうやって選び直し、自分たちのものとするのか。護憲派もこの難題に向き合うのを避けた。それで、憲法が政治の根幹として機能しない。

 第三のねじれは、天皇の戦争責任をあいまいにしてきたことです。昭和天皇と戦争については多くの考慮すべき事情がありますが、それでも私は昭和天皇は戦争に道義的責任があるし、存命中にそれについて発言すべきだったと考えています。それがなかったため、戦後多くの政治家は「自分たちも戦争責任を真剣に考える必要はない」と居直り、戦争で苦しんだ人々の思いを受け止める倫理観を麻痺(まひ)させてしまった。

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 <苦しみに応える> これら三つのねじれはいずれも、現在の課題と直結しています。第一のねじれは靖国神社参拝、第二のねじれは集団的自衛権をめぐる憲法解釈の見直し、そして第三のねじれが従軍慰安婦問題です。特に元慰安婦への対応は「個人の受けた苦しみや屈辱に国家がどう応えるか」という普遍的な問題で、世界中に通用します。孤立化に最も影響するでしょう。

 陳腐な言い方になってしまいますが、根本は「苦しんだ人への想像力を持てるか」「それを相手に届くように示せるか」です。人も国もそれができなかったら、信頼を失い孤立するしかない。理屈もこの心の深さの上に立たなければ意味をなさないのです。

 西ドイツの首相だったウィリー・ブラントは70年、当時共産圏だったポーランドでユダヤ人ゲットーの蜂起記念碑を訪れた際、思わずひざまずいた。ドイツ国内からは「屈辱外交」と非難され、ポーランド側さえとまどった。だが、そうした「政治家の顔が見える、本当の心をともなった謝罪」だけが、苦しめられた側に届く。「元慰安婦たちはウソをついている」と言わんばかりの姿勢でいいのか。それを判断する感度が、政治家だけでなく日本社会全体で弱くなっていることを危惧します。

 (聞き手はいずれも太田啓之)

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 かとうのりひろ 48年生まれ。国会図書館勤務を経て明治学院大、早稲田大教授を務め、14年3月退職。著書「アメリカの影」「敗戦後論」。




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