Wednesday, April 30, 2014

お迎え現象

http://www.ox-tv.co.jp/SA/lecture_05.shtml

「あの世」はどこへ行ったか?近代日本における死生の行方
講師/東北大学大学院文学研究科文学部 助教
   桐原 健真 氏

近代以降の日本人は死んだらどうなると考えるかと言う事を中心にお話ししたいと思います。

現代日本における終の棲家(亡くなる場所)というのはどのようになっているのか
時代を経ることに病院死が右肩上がりになって、今では在宅死は2割、病院死が8割を超えます。現代日本の死の有り様を考えた時に、8割以上の方が病院で亡くなっているということは大きな意味があります。病院における死は日常と社会から隔離されていて、私たちは死に直接触れることができなくなっています。臨終が病院に囲い込まれて行くにつれて「看取り」「お迎え」といったものを語れる機会が少なくなってきているのです。なぜならば医療とは化学的・合理的で、「あの世」・「お迎え」といった目で見えないようなものは排除して考えるのが基本だからです。これらは「せん妄」現象と捉えられ、治療されてしまう事もあります。治療とは薬を使って興奮している精神を鎮静させる、思考力を取る事で、それは患者の活動そのものを抑制してしまうことにもなり、生活の質・生命の質を下げてしまう危険性も否定できません。果たして治療は本当に必要なのかというのが本日のお話しの1つの出発点であります。
近代以降の宗教と社会
江戸時代の後期から現代までの知識人が無神論を展開しているのは仏教に対する批判の一面があります。仏教的な道徳論としての因果応報論などは極楽に行くために良い事をしなさいという教説です。しかしこれは善行は「死後の救済」のために行うという態度で、仏教に批判的な知識人は善行は「善であるがゆえに行うべき」と考えいて、知ることのできない「あの世」のためではないとしています。
自分たちが生きているこの世界で日常的で身近な倫理が主張され、その世界では神や仏と言った現実世界を超越した存在を否定したのです。かくして近代以降日本には「あの世」を語らない文化が誕生したのであります。
「お迎え」現象について
2007年に在宅緩和ケアを利用しながら看取りをした人に対して、臨終した人が他人には見えないような人や風景を見たような様子があったかを調査しました。
この世には存在しないものが現れるのを私たちは「お迎え」現象と読んでいます。お迎え現象を体験した人は全体の42%にのぼっています。半数以上がすでに亡くなった家族・知り合いが現れたということです。みなさんも驚きなのではないでしょうか。
しかし実際の現場では「不思議な話」をしているとみられてしまいます。しかし、医者は我々を治癒するのが目的なので仕方がないのです。また、初詣に行く人は7割いるのに神仏を信じている人は半数しかいないという現代日本における宗教性のつかみどころのなさもお迎え現象を見えにくくさせている1つの要因です。
「お迎え」と宗教
お迎えに来る人を見てみると、人物・亡くなった知り合いが多く、大体の方がお父さんやお母さんが出てきています。ここからお迎えが宗教という枠組みに合致しないということが分かります。神様や仏様といった伝統的な宗教性は見られなく、鬼などの恐怖心をあおるものではなく、日常的に慣れ親しんできた人が現れ、自分ひとりで死んでいくのではないということが表現されています。近代という制度の中で取りこぼされてしまった自己の魂の救済のあり方がなじみのある人がお迎えに来るという現象に現れているのではないでしょうか。お迎え現象は人間の死に関する生理的なプロセスとしてあるととらえたほうが良いのではないでしょうか。


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