Wednesday, January 14, 2009

日本と学問

わが国の学者は、長期間、欧米の学問にたいする一方的な授受/依存関係になじんできた。もっとも、この関係をかつて「本店-出店」関係と揶揄した評論家よりも、みずから学問的に苦闘する学者のほうが、欧米人学者の学問的苦闘も追体験でき、学者としての共感と敬意という普遍的品位感情を培うとともに、欧米学問の土俵にも乗り込み、対等に論争し、積極的に寄与することで、当該関係の是正につとめてもいる。しかし、そうした学者は、まだわずかで、圧倒的多数は、欧米の最新流行を追い、手早く紹介したり整理したり実証的に適用したりするのに熱心である。そこでは、「言いたい放題」と「見て見ぬふり」をともに「人間として浅ましい」と受け止める品位は、育ちようがない。羽入書への対応は、はからずもそうした島国根性の深層を露呈してはいないか。
ここで筆者には、一九六八~六九年東大闘争のさい、東大当局による事実誤認とその隠蔽という現実の直視を避け、首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待った「亀派」教官の姿が思い出される。あれから三五年、事態は変わっていないのか。筆者がいま、あえてこの一文を草し公表するのも、「中堅」や「新進気鋭」の研究者には、この機会にぜひ「学者の品位と責任」について考え、今後に予想される危機状況には慎重にも敢然と立ち向かってほしいからである。
問題と状況のいかんによっては、多忙による回避が許されないこともある。学者は、学問研究と教育に直接責任を負うべきである。あてどなくさまよう人間組織への責任を優先させ、研究への直接の責任を忘れるとすれば、本末転倒であろう。

(折原 浩 Orihara Hiroshi 二〇〇三年一一月三〇日) 東京大学名誉教授

http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm

羽入辰郎著「マックス・ヴェーバーの犯罪」(ミネルヴァ書房2002年)における問題提起

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